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== 作品 ==
*ほとんどの作品は[[ケント紙]]に[[ロットリング]]で描かれたもの{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=199}}で、一部には厚手の[[トレーシングペーパー]]にロットリングで描かれたものもあった{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、クロガネユウくろがねゆう「イラコバ流映画の道」|2006|p=244}}。
*原稿のサイズはイラストが使用されるサイズの2倍以上、映画のイラストに文字を書き込むようになってからは3~4倍(通常は1.5倍くらいで十分)になることも多かったが、これはイラストが拡大されて使用されることにより線が汚く見えることを嫌ったためであった{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、クロガネユウくろがねゆう「イラコバ流映画の道」|2006|p=244}}。
*[[1969年]](昭和44年)以降の[[MGC (トイガンメーカー)|MGC]]社員時代には、同社で数多くのボックスアートや説明書などのイラスト・広告デザインを手掛け<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>、ガンマニアたちを唸らせた{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}。
*[[1980年]](昭和55年)に月刊「[[コンバットマガジン|コンバット・マガジン]]」で挿絵を描くようになり、それ以降「明日 蘭(あしたらん)」名義で専門誌や一般誌でイラストを担当した{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=198}}が、その多くは映画や銃に関する蘊蓄(うんちく)が手書きで添えられたものだった{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=199}}{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』収録イラスト及び巻末インデックス|2006}}。[[1985年]](昭和60年)から担当した 「[[週刊プレイボーイ]]」誌(集英社刊)の映画紹介のページでは担当ページがB5判1ページであったことから解説の分量がさらに増し、例えば映画「[[ハメット (映画)|ハメット]]」の回では解説の手描き文字の数が約600字に及んた{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』」|2006|p=18}}。