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{{Infobox 芸術家
| 称号 =
| 名前 = {{Ruby|小林 弘隆|こばやし ひろたか}}
| イニシャル =
| 画像 = <!-- ファイル名だけを指定し、前後の[[]]は含めないで下さい -->
| 画像サイズ = <!-- 画像サイズ指定 -->
| 画像テキスト = <!-- 視力障害者のための代替テキスト -->
| 画像説明文 = <!-- 画像説明文 -->
| 本名 = <!-- 名前 と異なる場合にのみ記入して下さい -->
| 誕生日 = {{生年月日|1938|3|15}}
| 出生地 = [[東京都]][[杉並区]]
| 死没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1938|3|15|1994|3|4}}
| 死没地 =
| 墓地 = [[文京区]]大円寺
| 墓地座標 = <!-- {{Coord|LAT|LONG|type:landmark|display=inline}} -->
| 国籍 = {{JPN}}
| 教育 = <!-- 芸術家が美術を修学した場所 -->
| 出身校 = 杉並区立泉南中学校
| 芸術分野 = [[挿絵]]<br />[[広告]][[デザイン]]<br />[[映画]]・[[銃|銃器]]解説([[イラストレーション|イラスト]][[エッセイ]])
| 代表作 = 『世界映画・拳銃大図鑑―小林弘隆ベストワーク集』<br />『イラコバワークス 小林弘隆画集』
| 流派 = <!-- 芸術家の芸術的なスタイル -->
| 運動・動向 = <!-- 芸術家が関連している芸術運動や流派 -->
| 配偶者 = <!-- 特筆性のない一般人の配偶者名は記入しないで下さい -->
| 受賞 = <!-- {{awd|賞名|受賞年度(年の漢字は省略)|タイトル|役名|賞名に付加する名前(オプション)}} -->
| 会員選出組織 = <!-- 芸術家が会員に選出された組織 -->
| patrons = <!-- 芸術家を支援した人物 -->
| メモリアル = <!-- 記念碑、銘板、主題にちなんで名づけられたエンティティなど -->
<!-- 以下の引数は英語版に存在しない日本語版のみの引数 -->
| 民族 = <!-- 特記すべき芸術家の出身民族 -->
| 活動期間 = 1958年 - 1993年
| 被影響芸術家 = [[小松崎茂]]
| 与影響芸術家 = <!-- 芸術家に影響を受けた芸術家。最大5人まで -->
<!-- 以上の引数は英語版に存在しない日本語版のみの引数 -->
| ウェブサイト =[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内
}}
'''小林 弘隆'''(こばやし ひろたか、[[1938年]] - [[1994年]])は、日本の[[画家]]・[[イラストレーター]]である。
 
[[東京府]][[杉並区]]出身{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=196}}。[[モデルガン]]メーカーの「[[MGC (トイガンメーカー)|MGC]]」社員として[[ボックスアート]]や広告デザインを手がける {{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=240-243}}{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}。'''明日 蘭'''(あした らん)名義で映画・銃器を題材にしたイラストエッセイを執筆{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=198}}{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=241}}。また、親しい人からは「イラストの小林」を縮めた「'''イラコバ'''」と呼ばれていた{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006|p=2}}。
 
父は挿絵画家の[[小林秀恒]]{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=196}}。妻は漫画家の[[ヒサクニヒコ]]の妻の妹{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197、198}}{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=242}}。長男はイラストレーターの[[小林秀樹]]{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=199}}{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、小林秀樹「もうひとつの小林弘隆」|2006|p=246}}。
 
師匠は父の弟子であった挿絵画家の[[小松崎茂]]{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}。
 
== 作品 ==
*[[1969年]](昭和44年)以降の[[MGC (トイガンメーカー)|MGC]]社員時代には、同社で数多くのボックスアートや説明書などのイラスト・広告デザインを手掛け<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>、ガンマニアたちを唸らせた{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}。
*[[1980年]](昭和55年)に月刊「[[コンバットマガジン|コンバット・マガジン]]」で挿絵を描くようになり、それ以降「明日 蘭(あしたらん)」名義で専門誌や一般誌でイラストを担当した{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=198}}が、その多くは映画や銃に関する蘊蓄(うんちく)が手書きで添えられたものだった{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=199}}{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』収録イラスト及び巻末インデックス|2006}}。[[1985年]](昭和60年)から担当した 「[[週刊プレイボーイ]]」誌(集英社刊)の映画紹介のページでは担当ページがB5判1ページであったことから解説の分量がさらに増し、例えば映画「[[ハメット (映画)|ハメット]]」の回では解説の手描き文字の数が約600字に及んた{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』」|2006|p=18}}。
*こうした小林のイラストについて銃・映画関係の[[リポーター|レポーター]]、[[随筆家|エッセイスト]]の[[くろがねゆう]]は「独特の暖かみを持った絵と、専門家でもなかなか知らない色んな蘊蓄(うんちく)やトリビア・ネタの書き込みも人気でした。」と記している{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006|p=2}}。また映画監督の[[押井守]]は「銃は常にキャラクターやドラマとともにあり、イラコバさんの画集は、銃を愛する人々に、その記憶を鮮明に蘇らせる強力なデバイスでもあります。」と『イラコバワークス 小林弘隆画集』の帯に記している<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]内に掲載の『イラコバワークス 小林弘隆画集』の表紙写真">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]内に掲載の『イラコバワークス 小林弘隆画集』の表紙写真|Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>。
*ほとんどの作品は[[ケント紙]]に[[ロットリング]]で描かれたもの{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=199}}で、一部には厚手の[[トレーシングペーパー]]にロットリングで描かれたものもあった{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、くろがねゆう「イラコバ流映画の道」|2006|p=244}}。
*原稿のサイズはイラストが使用されるサイズの2倍以上、映画のイラストに文字を書き込むようになってからは3~4倍(通常は1.5倍くらいで十分)になることも多かったが、これはイラストが拡大されて使用されることにより線が汚く見えることを嫌ったためであった{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、くろがねゆう「イラコバ流映画の道」|2006|p=244}}。
 
== 逸話 ==
*親しい人からは「イラストの小林」を縮めた「イラコバ」と呼ばれていた{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006|p=2}}が、これはMGC社員時代に同社に小林姓の社員が何人もいたため、区別するために付けられたニックネームであった{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=242}}。
*博学で、特に銃と映画に関しては関係者から「わからないことがあればイラコバさんに聞け」と言われる程だったという。{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006|p=2}}。
*映画に関しては、体調を崩した時期を除き年間平均500本もの作品を見ていた{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=241}}。さらに記憶力が抜群に良く、画面にちらっと映った銃がどういう物か瞬時に見抜いたという{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』」|2006|p=63}}。
*1989年(平成元年)以降、映画などの映像作品の制作にも関わるようになり、映画「[[226 (映画)|226]]」において資料提供、オリジナルビデオ作品「[[ミカドロイド]]」において戦闘アンドロイドと銃器のデザインを担当、映画「[[新宿鮫シリーズ|眠らない街〜新宿鮫〜]]」のメカニックデザインを担当するなどした{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=198}}<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>。
*没後の[[2004年]](平成16年)から[[2005年]](平成17年)頃にかけて、フランスの「Soft Air Mag」誌において数回に分けて紹介された<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>。
 
== 略歴 ==
*1959年 [[岡山県]]に生まれる<ref>『吉原昌宏作品集 1 迎撃空域』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付頁</ref>。
*[[1938年]](昭和13年) [[東京都]][[杉並区]]に生まれる。
*19??年 [[早稲田大学]]卒業後、[[川崎汽船]]に入社<ref>『吉原昌宏作品集 1 迎撃空域』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付頁</ref>。
*[[1955年]](昭和30年) 杉並区立泉南中学校を卒業後、挿絵画家を目指し[[小松崎茂]]に弟子入りする{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}。
*1985年 川崎汽船を退職。その後、[[漫画家]] [[弘兼憲史]]のアシスタントとなる<ref>『吉原昌宏作品集 1 迎撃空域』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付頁</ref>。
*[[1958年]](昭和33年) この頃独立し、以降漫画雑誌や児童単行本で活躍{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>。
*1987年 小学館ビッグコミック賞に入選し、マンガ家としてデビューする<ref>『吉原昌宏作品集 1 迎撃空域』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付頁</ref>。
*[[1969年]](昭和44年) モデルガンメーカーの[[MGC (トイガンメーカー)|MGC]]に専属イラストレーターとして入社。これは同じ小松崎茂門下生で、当時既にMGCの専属イラストレーターであった[[上田信 (イラストレーター)|上田信]]{{Refnest|group="注釈"|年齢は上田の方が若く、小松崎門下生としても後輩。{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=240}}}}の推薦によるものであった{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=240}}{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197}}。
*1989年 『COMIC B-CLUB HERO'S』(バンダイ刊)に「POINT BLANK 第1部 予震」「POINT BLANK 第2部 集結」「POINT BLANK 第3部 始動」が掲載された(未完)<ref>『COMIC B-CLUB HERO'S』(1989年 バンダイ刊)</ref>。
*[[1973年]](昭和48年) 漫画家の[[ヒサクニヒコ]]の妻の妹の節子と結婚{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=197、198}}{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』所収、タニオ・コバ(小林太三)「MGC時代のイラコバ氏と私」|2006|p=242}}。
*1990年 「月刊カメラマン」誌(モーターマガジン社刊)5月号から「とんびの眼鏡(めがね)」を連載開始(1991年4月号まで)<ref>『吉原昌宏作品集 3 ライカの帰還 完全版』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付</ref>。同作品は、雑誌掲載時の左綴じから右綴じに体裁を改めた上、1991年9月に『月刊カメラマン9月臨時増刊号 とんびの眼鏡・総集編』として出版された<ref>『吉原昌宏作品集 3 ライカの帰還 完全版』2007年 幻冬舎コミックス刊 あとがき</ref>。
*[[1980年]](昭和55年) 月刊「[[コンバットマガジン|コンバット・マガジン]]」誌([[ワールドフォトプレス]]社刊)創刊号から「明日 蘭(あしたらん)」名義でイラストを担当{{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=198}}。特にくろがねゆうの連載「モデルガン・テストレポート」では毎回イラストを担当する。{{Refnest|group="注釈"|当該記事のイラストには、レポート対象の銃を持った映画の登場人物を描いたもの(説明文付き)が含まれていた。{{sfn|「モデルガン・テストレポート第9回 マルシン WALTHER P.38」『月刊コンバット・マガジン]』1981年2月号(通巻第10巻)|1981|p=34}}{{sfn|「モデルガン・テストレポート第11回 MGC S&W M76」『月刊コンバット・マガジン]』1981年4月号(通巻第12巻)|1981|p=35 など}}}}。
*1990年 「[[B-CLUB (模型雑誌)]]」誌(バンダイ刊)60号及び61号に「銀河保険調査局」が掲載された<ref>「B-CLUB」誌(バンダイ刊)60号及び61号</ref>。
*[[1985年]](昭和60年) 「[[週刊プレイボーイ]]」誌([[集英社]]刊)の映画ページのイラスト担当を始める(「明日 蘭」名義、文は[[小峯隆生]]が担当){{sfn|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012|p=198}}{{Refnest|group="注釈"|『イラコバワークス 小林弘隆画』では当該連載の開始年を「1986年から」としている。{{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006|p=7}}}}。イラストには手描きで小林自身の映画解説が添えられていた {{sfn|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006|p=8-62}}。
*1992年~1996年 ホビーデータ社によって運営された、[[プレイバイメール]]RPG及び[[テーブルトークRPG]]である「[[クレギオン]]」のためのイラストを制作<ref>同人誌『TRAMPERS/吉原 昌宏 クレギオン画集』(1997年 ぱぴぷぺぽ倶楽部刊)「ごあいさつ」</ref>。
*[[1986年]](昭和61年) 月刊「[[Gun (雑誌)|Gun]]」誌(国際出版株式会社刊)でくろがねゆうの連載エッセイ「カレイドスコープ」のイラスト担当を始める(「明日 蘭」名義){{sfn|「カレイドスコープ(第1回)ワルサーP38はどこに行った」『月刊Gun』1986年5月号(通巻第292巻)|1986|p=108、109}}{{sfn|「カレイドスコープ(第46回) チラシ・グラフィティ-ガバメントの系譜」『月刊Gun』1986年5月号(通巻第292巻)|1990|p=152-158 など}}。
*1993年~1994年 「ミスターマガジン」誌(講談社刊)に「幻想の昭和史」を連載(原作は丸戸亀介)<ref>『ポパイたちの遺産』(1994年 講談社刊) 奥付頁</ref>。
*[[1987年]](昭和62年) 「[[SCREEN (雑誌)|スクリーン]]」誌([[近代映画社]]刊)で銃や軍装関係についてのイラストや解説の担当を始める(「明日 ラン」名義)<ref name="「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」">[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内2021年2月12日閲覧</ref>。
*1995年 「とんびの眼鏡(めがね)」全12話中9話をセレクトし加筆・修正した『ライカの帰還』(新潮社刊)が出版された。<ref>『吉原昌宏作品集 3 ライカの帰還 完全版』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付頁</ref>。
*[[1994年]](平成6年) 肝臓がんのため逝去。享年55歳。
*1997年 「ウルトラジャンプ」誌(集英社刊)3月号、5月号、7月号に「ニムロッド」が掲載された<ref>『吉原昌宏作品集 2 ニムロッド』2007年 幻冬舎コミックス刊 奥付頁</ref>。
 
*1999年~2001年 「コンバットコミック」誌(日本出版社刊)1999年春号に「迎撃空域」が掲載された。以後同誌の2001年冬号まで、「ギャロッピング・グース」「クロスロード」「ギャロッピング・グースⅡ(ローマ数字の2)」「脱出戦域(前編)」「脱出戦域(後編)」「オホートニク」「オホートニクⅡ(ローマ数字の2)背信航路(前編)」「オホートニクⅡ(ローマ数字の2)背信航路(後編)」が掲載された<ref>『吉原昌宏作品集 1 迎撃空域』『吉原昌宏作品集 2 ニムロッド』『吉原昌宏作品集 4 ギャロッピンググースZERO』(いずれも2007年 幻冬舎コミックス刊) 奥付頁</ref>。
== 画集 ==
*2001年 『坂井三郎の零戦操縦』(編著者/世良光弘 2001年 並木書房刊)に書き下ろし漫画「天空輪舞 RONDO」が収録された<ref>『坂井三郎の零戦操縦』(編著者/世良光弘 2001年 並木書房刊)</ref>。
* {{Cite book|和書|ref={{Harvid|小林弘隆『世界映画・拳銃大図鑑―小林弘隆ベストワーク集』1997}}|author=小林弘隆|others=くろがねゆう 監修 |title=世界映画・拳銃大図鑑―小林弘隆ベストワーク集|publisher=洋泉社 |year=1997|isbn=978-4896912654}}
*2005年 「ヤングキングOURS」誌(少年画報社刊)2005年10月増刊に「ストライク・オブ・ザ・ソード」が掲載された<ref>『吉原昌宏作品集 1 迎撃空域』(2007年 幻冬舎コミックス刊) 奥付頁</ref>。なお同作品は2013年に単行本『特殊任務飛行隊 KG200』(大日本絵画刊)に収録されるにあたり、空戦場面を中心に9頁加筆されている<ref>『特殊任務飛行隊 KG200』(2013年 大日本絵画刊) 118頁</ref>。
* {{Cite book|和書|ref={{Harvid|小林弘隆『イラコバワークス 小林弘隆画集』|2006}}|author=小林弘隆|others=くろがねゆう 監修 |title=イラコバワークス 小林弘隆画集|publisher=エンターブレイン |year=2006|isbn=978-4757727335}}
*2007年 webコミック『MANGA』(幻冬舎配信)2007年4月号から2007年6月号まで「ギャロッピンググースZERO GOOSE01」を連載<ref>『吉原昌宏作品集 4 ギャロッピンググースZERO』(2007年 幻冬舎コミックス刊) 奥付頁</ref>。
 
*2008年 「ストライク アンド タクティカルマガジン」誌(カマド社刊)3月号、5月号、7月号に「ナイトストーカーズ」が掲載された<ref>「ストライク アンド タクティカルマガジ」誌(2008年 カマド社刊)3月号、5月号、7月号</ref>。なお、同作品は2013年に「特殊任務飛行隊 KG200」と改題の上、単行本『特殊任務飛行隊 KG200』(大日本絵画刊)に収録された<ref>『特殊任務飛行隊 KG200』(2013年 大日本絵画刊)</ref>。
== 参考資料 ==
*2009年~2021年 「[[歴史群像]]」誌(2009年当時、学研パブリッシング刊、2022年3月現在、ワン・パブリッシング刊)2009年8月号(No.96)からシリーズ『戦場伝説』を掲載開始。同シリーズのうち2010年2月号(No.99)から2011年10月号(No.109)まで連載された「エクリプス~太陽が欠ける日~」は2011年に単行本として出版された<ref>『エクリプス~太陽が欠ける日~』(2011年 学研マーケティング刊)</ref>。2011年12月号(No.110)から連載開始の「翼をもつ魔女」は第二次世界大戦中のソ連空軍の女性パイロットだった[[リディア・リトヴァク]]を描いたものであったが<ref>「歴史群像」2011年12月号(No.110) (2011年 学研パブリッシング刊)</ref>、2021年12月号(No.170)に掲載の第59話で完結するまで10年間を要し、吉原にとって最長の連載期間とページ数の作品となった。なお同号の後、同誌に『戦場伝説』は掲載されていない(2022年3月末現在)が同号に連載終了か休載か明確な告知は無かった。<ref>「歴史群像」2021年12月号(No.170) (2021年 ワン・パブリッシング刊)</ref>。
* {{Cite book|和書|ref={{Harvid|大橋博之『SF挿絵画家の時代』|2012}}|author=大橋博之 |title=SF挿絵画家の時代|publisher=本の雑誌社 |year=2012|isbn=978-4860112332}}
*2015年 『証言でつづる日本海軍戦記 : 終戦70年記念コミック』(2015年 学研教育出版刊)に書き下ろし漫画「索敵針路」が収録された<ref>『証言でつづる日本海軍戦記 : 終戦70年記念コミック』(2015年 学研教育出版刊)</ref>。
 
== 参考サイト ==
[https://kopan.jimdofree.com/%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 「小林弘隆 (明日蘭・イラコバ) 1938年~1994年)」]Studio KOPAN/小林秀樹公式サイト内
 
== 注釈 ==
<references group="注釈"/>
 
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
 
 
 
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:こはやし ひろたか}}
[[Category:1938年生]]
[[Category:1994年没]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:日本のイラストレーター]]