「D.B.クーパー事件」の版間の差分

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305便は[[ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港|ワシントンD.C.]]からシアトルへ向かう空路で、[[ミネアポリス・セントポール国際空港|ミネアポリス]]、{{仮リンク|グレートフォールズ国際空港|en|Great Falls International Airport|label=グレートフォールズ}}、{{仮リンク|ミズーラ国際空港|en|Missoula International Airport|label=ミズーラ}}、[[スポケーン国際空港|スポケーン]]、ポートランドを経由していた<ref name="sraphjp">{{cite news|url=https://news.google.com/newspapers?id=NPAjAAAAIBAJ&pg=6509%2C3689150|work=Spokesman-Review|agency=Associated Press|title=Hijacked plane makes landing at Seattle airport|date=November 25, 1971|page=1}}</ref>。[[太平洋標準時]]午後2時50分、飛行機は予定通りポートランドを飛び立った。飛行機には定員の3分の1程度が搭乗していた。離陸してまもなく、クーパーは自分の最も近くにいた[[客室乗務員]]であるフローレンス・シャフナー ({{lang-en-short|Florence Schaffner|links=no}}) にメモを渡した。シャフナーは機体尾部の[[エアステア]] (昇降用階段) のドアに取り付けられた補助席に座っていた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。シャフナーは、メモは孤独なサラリーマンが自分の電話番号を綴ったものだろうと考え、メモを開かずにハンドバッグに入れた<ref name=":4">{{cite book|title=Myths and Mysteries of Washington|last=Bragg|first=Lynn E.|year=2005|publisher=Globe Pequot|___location=Guilford, Connecticut|page=2|isbn=978-0-7627-3427-6|date=}}</ref>。クーパーはシャフナーの方に体を傾けて、次の言葉を囁いた。"Miss, you'd better look at that note. I have a bomb."<ref name="PI">{{cite news|title=When D.B. Cooper Dropped From Sky: Where did the daring, mysterious skyjacker go? Twenty-five years later, the search is still on for even a trace|last=Steven|first=Richard|date=November 24, 1996|url=|page=A20|work=[[The Philadelphia Inquirer]]}}</ref> (「君、そのメモを読まないといけない。俺は爆弾を持っている」)
 
メモは[[フェルトペン]]で丁寧に書かれており、全て大文字だった<ref name=":5">{{Cite news|title=Unmasking D.B. Cooper|date=October 29, 2007|url=http://nymag.com/nymag/features/39593/index1.html|newspaper=New York|accessdate=June 28, 2016|last=Gray|first=Geoffrey}}</ref>。メモはクーパーが返却を要求してきたため、実際にどう書いてあったかは不明である<ref name="crime museum">{{Cite web|url=https://www.crimemuseum.org/crime-library/cold-cases/d-b-cooper/|title=D.B. Cooper|accessdate=June 28, 2016|publisher=|website=Crime Museum}}</ref>{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=13}}。しかし、シャフナーの記憶によれば、ブリーフケースの中に爆弾が入っているというようなことが書いてあったという。シャフナーがメモを読むと、クーパーはシャフナーに自分の隣に座るように言った<ref name=":6">{{Cite web|url=https://archives.fbi.gov/archives/news/stories/2006/november/dbcooper_112406|title=A Byte Out of History - D.B. Cooper|accessdate=June 28, 2016|publisher=FBI|date=November 24, 2006}}</ref>。シャフナーはその言葉に従い、それから爆弾を見せるように冷静に頼んだ。クーパーはブリーフケースを開けて、中身を一目見るだけの時間を与えた。中には赤い円筒形の物体が8本入っていた{{efn|シャフナーの説明がポートランドにあるFBIの指令所へ伝達されると、捜査官たちはダイナマイトは普通は茶色かベージュ色であることを指摘し、8本の赤い円筒形の物体はおそらく道路や鉄道で使用される発炎筒だろうと推測した。しかし、その推測は確実なものにはなりえなかったため、武力介入は推奨されえなかった<ref name>{{harvnb|Himmelsbach|Worcester|1986|pp="cylinders" 40–41}}</ref>。}}。4本の上に別の4本が置かれている状態だった。物体には赤い絶縁材で覆われたワイヤーと、大きな円筒形の電池が付いていた<ref name=":7">{{Cite web|url=http://n467us.com/Data%20Files/Logs%2006-20-2008R.pdf|title=Transcript of Crew Communications|accessdate=February 25, 2011|publisher=|format=PDF}}</ref>。クーパーはブリーフケースを閉じると、自分の要求を伝えた。現金20万ドル ("negotiable American currency"、「交換可能なアメリカの通貨」で払うように指示した){{efn|ほとんどの情報源では、クーパーは20ドル紙幣で身代金を支払うように指示したとある。しかし、クーパーからの要求に最初に応じたときにその場にいたヒンメルスバッハは、クーパーは紙幣の種類は不問としていたと記している<ref name>{{harvnb|Himmelsbach|Worcester|1986|p="twenty" 18}}</ref>。どの情報源でも身代金は20ドル紙幣で支払われたことは共通している。}}、パラシュート4つ (2つはメイン、残りの2つは予備)、飛行機が到着したときに燃料を補給するための給油車をシアトルで待機させることである{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=18}}。シャフナーはクーパーの指示をコックピットにいる操縦士に伝えた。シャフナーが戻ってくると、クーパーは黒いサングラスを身につけていた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。
 
操縦士のウィリアム・スコット ({{lang-en-short|William Scott|links=no}}) はシアトル・タコマ国際空港の[[航空管制官]]に連絡をとり、管制官は地元警察とFBIに通報した。他の36名の乗客には、シアトルへの到着が機械の軽度のトラブルにより遅れているという偽の情報が与えられた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=20}}。ノースウエスト・オリエント航空社長のドナルド・ニューロプ ({{Lang-en-short|Donald Nyrop|links=no}}) は身代金の支払いを承認し、全従業員にハイジャック犯の要求に十分に協力するように命じた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=19}}。飛行機は[[ピュージェット湾]]上空を約2時間旋回し、その間に{{仮リンク|シアトル警察|en|Seattle Police Department}}とFBIがパラシュートと身代金を集め、救急隊員を動員した<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。
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==捜査==
FBIは飛行機の中から未特定のかすれた指紋を66点回収した<ref name="Pasternak-USNWR2000-07-24" />。クーパーが身につけていた黒いネクタイやネクタイ留め、4つのパラシュートのうちの2つも発見した{{efn|パラシュートを提供したスカイダイビングのインストラクターのアール・コッシーはいくつかのメディアに対して、4つのパラシュートのうちの3つ (メイン1つ、予備2つ) は返却されたと述べた。FBIは飛行機内で発見されたメイン1つと破壊された予備1つの計2つのパラシュートだけを保管している<ref name>{{harvnb|Gunther|1985|p="parachutes" 50}}</ref>。}}。残された2つのパラシュートのうちの1つは展開されており、キャノピーからシュラウドラインが2本切断されていた<ref name=":12">{{cite news|title=F.B.I. reheats cold case|work=[[National Post]]|last=Cowan|first=James|date=January 3, 2008|url=https://nationalpost.com/news/story.html?id=211616|archive-url=https://archive.today/20080121231748/http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=211616|url-status=dead|archive-date=January 21, 2008|access-date=January 9, 2008}}</ref>。当局はポートランドやシアトル、リノにいた目撃者や、クーパーと直接接触した全ての人々に対して尋問を行った。一連のクーパーの似顔絵が制作された<ref name="latinapp">[https://vault.fbi.gov/D-B-Cooper%20/D-B-Cooper-Part-7-of-7/view FBIの情報公開資料]</ref>。
 
地元警察とFBIはすぐに被疑者の尋問を開始した。800名以上が被疑者と考えられたが、20名ほどを除き捜査対象から除外された<ref name=":13">{{cite web|title=D.B. Cooper Hijacking|url=https://www.fbi.gov/history/famous-cases/db-cooper-hijacking|accessdate=7 December 2018|language=en-us|publisher=FBI|first=Maria|last=Motaher}}</ref>。軽犯罪の前科を持つD.B.クーパーという名前のオレゴン州在住の男がこの事件の最初の被疑者の1人だった。ハイジャック犯は実名や以前に行った犯罪で使用したのと同じ偽名を使っていた可能性があることから、ポートランド警察はこの人物に接触した。結局、この人物はすぐに被疑者から外されたが、地元の記者のジェームズ・ロング ({{Lang-en-short|James Long|links=no}}) が、差し迫った締切に間に合わせようとしているうちに、この人物の名前とハイジャック犯が使用した偽名とを混同した<ref name=":14">{{Cite news|title=One mystery solved in 'D.B. Cooper' skyjacking fiasco|date=July 22, 2016|accessdate=July 29, 2016|url=https://www.cjr.org/the_feature/db_cooper_mystery_solved.php|last=Browning|first=William|newspaper=Columbia Journalism Review|___location=New York}}</ref><ref name=":15">{{Cite news|title=D B Cooper was not really D B Cooper? A journalist added swagger to mysterious hijacker's legacy|date=July 28, 2016|newspaper=India Today|url=https://www.indiatoday.in/fyi/story/d-b-cooper-was-not-really-d-b-cooper-a-journalist-added-swagger-to-mysterious-hijackers-legacy-331971-2016-07-28|accessdate=July 29, 2016}}</ref>。[[通信社]]の記者 (ほとんどの情報源では[[UPI通信社|UPI通信]]のクライド・ジャビン <{{Lang-en-short|Clyde Jabin|links=no}}><ref>{{Cite news|title=Update: Everyone wants a piece of the D. B. Cooper legend|date=November 27, 2007|accessdate=February 25, 2011|last=Guzman|first=Monica|newspaper={{仮リンク|Seattle Post-Intelligencer|en|Seattle Post-Intelligencer}}|url=https://blog.seattlepi.com/thebigblog/2007/11/27/update-everyone-wants-a-piece-of-the-d-b-cooper-legend/}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.cjr.org/the_feature/db_cooper_unsolved_hijacking_mystery.php|title=A reporter's role in the notorious unsolved mystery of 'D.B. Cooper'|last=Browning|first=William|date=July 18, 2016|newspaper=Columbia Journalism Review|___location=New York|access-date=July 19, 2016}}</ref>、それ以外の情報源では[[AP通信]]のジョー・フレージャー <{{Lang-en-short|Joe Frazier|links=no}}>{{sfn|Gunther|1985|p=55}}) がこの誤植を転載してしまい、数多くのメディアがこれに倣った。こうして「D.B.クーパー」という通称が人々の記憶に残ることとなった<ref name="Braggp4" />。
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1991年の''D.B. Cooper: The Real McCoy''という書籍<ref>{{Cite book|title=D.B. Cooper, the real McCoy|date=|year=1991|publisher=University of Utah Press|isbn=9780874803778|___location=Salt Lake City|first=Bernie|last=Rhodes|first2=Russell P.|last2=Calame}}</ref>で、著者であるパロール・オフィサーのバーニー・ローズ ({{lang-en-short|Bernie Rhodes|links=no}}) とかつてFBIの捜査官だったラッセル・カラム ({{lang-en-short|Russell Calame|links=no}}) は、マッコイがクーパーの正体であることを突き止めたと断言した。2人は2つのハイジャック事件の明白な類似性を引き合いに出し、さらに、マッコイの家族が飛行機に残されたネクタイと真珠母のネクタイ留めはマッコイのものであると主張したことや、マッコイ自身が自分がクーパーであることを認めることも否定することもしなかったことを根拠とした<ref name="CrimeLibrary9" /><ref name="SLT">{{cite news|last=Schindler|first=Harold|title=25 Years Later, 'D.B' Remains Tied to Utah; Skyjacker Took Story To His Grave|work={{仮リンク|The Salt Lake Tribune|en|The Salt Lake Tribune}}|date=November 24, 1996|url=}}</ref>。カラムはマッコイを射殺した捜査官だった<ref name="CrimeLibrary9" />。
 
FBIはマッコイをクーパー事件の被疑者とは見なしていない。年齢や外見が大きく異なること<ref>{{efn|ローズとカラムが引き合いに出した顕著な例を挙げる。まず、クーパーの年齢は目撃者全員から40代半ばと推定されていたが、マッコイは29歳だった。3名の客室乗務員を含むほとんどの目撃者がクーパー目の色は暗褐色だったと証言したが、マッコイの目は明青色だった。クーパーの耳に目立つ特徴はなかったが、マッコイの耳は顕著に外側に突き出ており、「ダンボ」というあだ名があった。マッコイがハイジャックを起こしたときは、その間にスカーフで耳を隠していた。クーパーはバーボンを飲み、立て続けにタバコを吸っていたが、マッコイはモーモン教徒で喫煙や飲酒をしなかった。クーパーは訛りのない耳障りな声をしていたと証言されているが、マッコイには明らかな南部訛りがあり、子供の頃に口蓋裂を手術で矯正したことが原因で舌足らずに話すという特徴があった<ref>Rhodes & Calame (1991), pp. 86, 94, 96, 134, 145.</ref>。}}や、マッコイがクーパーが持っていたと思しきスカイダイビングの技術を上回る水準の腕前を有していること<ref name="FBI-Redux" />、クーパー事件の日にマッコイはラスベガスにいて<ref name="timeline" />、翌日にユタ州の自宅で家族と一緒に感謝祭の晩餐を開いたことを証明する信頼できる証拠があることがその理由である<ref name="CNN2011-08-01" /><ref name="ST2">{{cite news|last=Hamilton|first=Don|title=F.B.I. makes new plea in D.B. Cooper case|work=[[The Seattle Times]]|date=October 23, 2004|url=}}</ref>。
 
===ロバート・ラックストロー===
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: 2021年[[Disney+]]配信のドラマで[[マーベル・シネマティック・ユニバース]]の一つである『ロキ』第1話においてクーパーの正体が実はロキであったという描写がある。ロキが飛行機から飛び降りた直後、ビフレストを使い地球から離れアスガルドに転移した為その足取りが掴めなかったという事になっている。
 
==出典 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|3
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|325em
| colwidth =
| refs =<ref name="CNN2011-08-01">{{cite news| url= http://www.cnn.com/2011/CRIME/08/01/fbi.db.cooper/| title= FBI working new lead in D.B. Cooper hijacking case | date=August 1, 2011| publisher= CNN| access-date= August 1, 2011}}</ref><ref name="Gray-NYmag2007-10-21">{{cite journal
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| page = 107
| isbn = 978-0-313-30543-6
}}</ref><ref name="cylinders">
シャフナーの説明がポートランドにあるFBIの指令所へ伝達されると、捜査官たちはダイナマイトは普通は茶色かベージュ色であることを指摘し、8本の赤い円筒形の物体はおそらく道路や鉄道で使用される発炎筒だろうと推測した。しかし、その推測は確実なものにはなりえなかったため、武力介入は推奨されえなかった ({{harvnb|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=40–41}})。
</ref><ref name="twenty">
ほとんどの情報源では、クーパーは20ドル紙幣で身代金を支払うように指示したとある。しかし、クーパーからの要求に最初に応じたときにその場にいたヒンメルスバッハは、クーパーは紙幣の種類は不問としていたと記している ({{harvnb|Himmelsbach|Worcester|1986|p=18}})。どの情報源でも身代金は20ドル紙幣で支払われたことは共通している。
</ref><ref name="parachutes">
パラシュートを提供したスカイダイビングのインストラクターのアール・コッシーはいくつかのメディアに対して、4つのパラシュートのうちの3つ (メイン1つ、予備2つ) は返却されたと述べた。FBIは飛行機内で発見されたメイン1つと破壊された予備1つの計2つのパラシュートだけを保管している ({{harvnb|Gunther|1985|p=50}})。
</ref>
 
}}