「フアン・カルロス1世 (スペイン王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
33行目:
'''フアン・カルロス1世'''({{Lang-es|'''Juan Carlos I'''}}、[[1938年]][[1月5日]] - )は、[[スペイン]][[スペイン君主一覧|国王]](在位: [[1975年]][[11月22日]] - [[2014年]][[6月19日]]<ref>{{cite web|url=http://politica.elpais.com/politica/2014/06/18/actualidad/1403107426_009520.html|title=El Rey sanciona la ley orgánica de su abdicación en Felipe VI|publisher=[[エル・パイス]]|language=スペイン語|date=2014-06-18|accessdate=2014-06-19}}</ref>)。
 
[[スペイン君主一覧|スペイン国王]][[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]の孫として誕生し、[[フランコ体制下のスペイン|共和制]][[独裁者]][[フランシスコ・フランコ]]から後継者指名を受け、1975年11月に即位([[王政復古]])。[[立憲君主制]]下での[[民主化]]の推進に貢献し、2014年に[[退位]](嫡男[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]への譲位)した。
 
[[2002年]]の[[ユーロ]]導入までスペインで発行されていた5000[[ペセタ]]紙幣(1982([[1982]]-[[1992年]])と10000ペセタ紙幣(1982年-[[2001年]])に肖像が使用されていた。
 
== 全名 ==
全名は、'''フアン・カルロス・アルフォンソ・ビクトル・マリーア・デ・ボルボン・イ・ボルボン=ドス・シシリアス'''({{Lang|es|Juan Carlos Alfonso Víctor María de Borbón y Borbón-Dos Sicilias}})。
 
父([[バルセロナ伯|バルセロナ伯爵]][[フアン (バルセロナ伯)|フアン]]) 、母方の祖父([[カルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ|両シチリア王子カルロ]])、父方の祖父([[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]])、父方の祖母([[ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ|ヴィクトリア・エウヘニア]])、母([[マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス|マリア・デ・ラス・メルセデス]])からそれぞれ名前がとられている。
 
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
祖父であるボルボン朝([[スペイン・ブルボン朝]])のスペイン国王[[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]は、[[1931年]][[スペイン第二共和政|共和派政権]]の誕生を受けて家族とともに[[イタリア王国|イタリア]]の[[首都]]である[[ローマ]][[亡命]]し、王政は終わりを迎えて[[スペイン第二共和復古|第二共和政]]が成立しは終わりを迎えた。その後発生した[[スペイン内戦]]を経て、[[フランシスコ・フランコ]]将軍が[[カウディーリョ#スペインにおけるカウディーリョ|エル・カウディーリョ・デ・エスパーニャ]]として国を治めることになった。
 
そのような状況の下、フアン・カルロスは1938年に亡命先のローマで、アルフォンソ13世の四男[[バルセロナ伯|バルセロナ伯爵]][[フアン (バルセロナ伯)|フアン・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ([[1913年]](1913年 - [[1993年]])と、旧[[両シチリア王国]]の王族[[マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス|マリア・デ・ラス・メルセデス([[1910年]](1910年 - [[2000年]])の間の長男として生まれる。
 
フアン・カルロスは、[[第二次世界大戦]]の終結後のイタリアにおける、[[1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票|国民投票]]の結果を受けた[[イタリア|共和制]]移行とそれに伴う[[サヴォイア家|イタリア王室]]の国外追放を受けて、[[1948年]][[フランコ体制下のスペイン|スペイン]]へ戻り、フランコの庇護の下、フランコ死後の指導者になるべく教育を受けた。帰国後は[[サン・セバスティアン]]で[[初等教育]]を受け、[[スペイン陸軍|陸軍]]に入隊した。その後、[[マドリード・コンプルテンセ大学|マドリード大学]]で学んだ。
 
[[1969年]]、フランコより後継者指名を受けた。
 
=== 即位・王政復古と民主化の推進 ===
1975年[[11月20日]]にフランコが死去すると、フアン・カルロスはフランコの遺言に従って同年11月22日に即位した。即位前にフランコの庇護下で帝王学の教育を受けていたこともあり、そのまま国王を筆頭とした[[権威主義|権威主義体制]]を採るかと思われた。しかし即位後はフランコの権威主義体制を受け継がず、一転して他の[[ヨーロッパ]]の[[立憲君主制|立憲君主国]]を模範とした政治の民主化を推し進めた。国王の姿勢は、フランコの葬儀の時に参列した[[チリ大統領の一覧|チリ大統領]][[アウグスト・ピノチェト]]大統領をすぐさま追い返すなど、早くからその片鱗が現れていた。
 
[[1977年]]には41年ぶりに[[1977年スペイン議会総選挙|総選挙]]が行われ、[[1978年]]に[[スペイン1978年憲法|新憲法]]が承認されてスペインは立憲君主制に移行した。新憲法では、国王は儀礼的な役割を果たすのみとされ、スペインにおける権威主義体制の解体と民主政治確立に大きな功績を残した。
 
[[1981年]][[アメリカ合衆国|アメリカ]]訪問では、[[ニューヨーク近代美術館]]に「貸与」していた[[パブロ・ピカソ]]の『[[ゲルニカ (絵画)|ゲルニカ]]』の返還を要請し、これによって『ゲルニカ』は[[ニューヨーク近代美術館]]から[[プラド美術館]]を経て、[[ソフィア王妃芸術センター]]に安住の地を得ることになった。
 
=== クーデター未遂事件 ===
[[1981年]][[2月23日]]、国王親政の復活を求める[[アルフォンソ・アルマダ・コミン]]陸軍参謀次長の信任を受けた、[[グアルディア・シビル]]所属の[[アントニオ・テヘーロ]][[中佐]]が率いる約200人の兵士により[[国会 (スペイン)|議会]]が占拠され、[[アドルフォ・スアレス]][[スペインの首相|首相]]ら閣僚と議員350人が人質に取られる[[クーデター]]が発生した([[23-F]]と呼ばれる)。しかし国王はこの申し出を拒否し、直ちに全軍の指揮官に対してこのクーデターに賛同しないよう呼びかけると同時に、[[テレビ]]で国民に平静を呼びかけ、民主政治の維持を図った。また、翌[[2月24日|24日]]には陸軍兵士らも国王の呼びかけに応じて投降したため、国民から国王への信頼は不動のものとなった。
 
このとき、感想を問われ「自分の給料分、働いただけです」と答えた。しかしフアン・カルロス1世の非公認の「伝記」を著したパトリシア・スベルロ(Patricia Sverlo)によれば、「このクーデターは国内を政治的に安定させ、国王の人気を高めるために仕組まれたものであった可能性もある」という。ともあれ、その後も国王としてのフアン・カルロス1世の人気は絶大さを保った。[[2005年]][[保守]]系新聞『[[エル・ムンド (スペイン)|エル・ムンド]]』紙によって行われた[[アンケート]]によれば、国王に対して「良い」あるいは「非常に良い」印象を持っている国民は77.5%に達しているが、[[カタルーニャ州]]や[[ガリシア州]]では、国王の肖像写真が白昼堂々と公衆の面前で燃やされるなどの事件も起きている。
 
=== 国際会議で一喝 ===
{{main|ポル・ケ・ノ・テ・カージャス}}
[[ファイル:Cumbre Iberoamericana 2007.jpg|thumb|right|240px|イベロアメリカ首脳会議の様子]]
[[2007年]][[11月10日]]、チリで行われていた第17回[[イベロアメリカ首脳会議]]の閉幕式で、スペイン前首相[[ホセ・マリア・アスナール|アスナール]]前首相を激しく批判した[[ベネズエラの大統領|ベネズエラ大統領]][[ウゴ・チャベス]][[ベネズエラの大統領|チャベス大統領]]と、これを民主的に選ばれた代表に対する侮辱と受け取って強く反発したスペイン現首相[[ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロ|サパテーロ]]首相が口論となり、サパテロの諫言を全く聞き入れず一方的に批判を続けるチャベスに対して、フアン・カルロス1世が「[[ポル・ケ・ノ・テ・カージャス|¿Por qué no te callas?]](黙ったらどうかね?)」と一喝した<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/politics/2310269/2338064|title=スペイン国王、ベネズエラ大統領に「だまれ」と激怒|date=2007年11月11日 |accessdate=2008年11月18日 |website=AFPBB News}}</ref>。その後、国王のこの一言は[[携帯電話]][[着信メロディ]][[Tシャツ]]など様々な用途に商品化され、スペインでヒットした。着信メロディはおよそ50万の[[ダウンロード]]により約2億4千万[[ (通貨)|円]]の利益を生んだ<ref>{{cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/world/america/071121/amr0711211159009-n1.htm|title=売上2億円超 チャベス大統領に「黙れ!」の着メロが人気|date=2007年11月21日 |accessdate=2008年11月18日 |website=産経ニュース}}</ref>。ただし、着信メロディの声は国王のものではなく、別人によるものであるという。なお、翌年[[7月]]のチャベスによるスペイン訪問の際には、国王自らこのTシャツをプレゼントし、チャベスはこれに対して[[印税]]を話題にした冗談で応じるなど、友好ムードで会談が行われた<ref>{{cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080726/erp0807261021001-n1.htm|title=「黙れ」の国王と和解、チャベス氏のスペイン訪問で|date=2008年7月26日 |accessdate=2008年11月18日 |website=産経ニュース}}</ref>。
 
=== 譲位 ===
フアン・カルロス1世は「ぜいたく好き」とも見なされており、2007年[[8月29日]]には[[左翼|左派]]政党から[[公金]]使途詳細の公表を求められていることを受け、監査人を指名した<ref>{{cite web|url=http://jp.reuters.com/article/JPOddlyEnough/idJPJAPAN-27631320070830?rpc=112|title=ぜいたく好きで知られるスペイン国王、監査受けることに|date=2007年8月30日 |accessdate=2008年11月18日 |website=ロイター通信}}</ref>([[#人物]]も参照)。[[2011年]][[10月]]のスペイン政府の調査では、フアン・カルロス1世に対する支持率は50%を割っている。<ref>{{cite news |title=スペイン王女に裁判所出廷命令―夫の公金横領で共謀疑惑 |newspaper=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]] |date=2013-4-4 |url=http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323462004578401450406651188.html |accessdate=2013-4-6|author=DAVID ROMÁN |author2=ILAN BRAT}}</ref>
 
[[2012年]]、非公式で訪れていた[[ボツワナ]]で、[[アフリカゾウ]]の[[スポーツハンティング]]中に腰の骨を折る大怪我を負った。当時、スペインは経済的な苦境にあり([[スペイン経済危機 (2012年)|スペイン経済危機]])、失業率が20%を超える状況にあり、国王といえど贅沢が許されるような状況になかったこと、また国王自身が[[世界自然保護基金]]の名誉総裁の職にあったにもかかわらず[[レッドリスト]]に掲載されている動物を対象に[[スポーツハンティング]]を行ったことについて世界的な批判を受けることとなり<ref>[http://www.wwf.or.jp/news/2012/04/post_17.html ファン・カルロス国王のゾウ狩りに関する報道について]{{リンク切れ|date=2020年8月}}(WWFホームページ2012年4月16日)2012年6月1日閲覧</ref>、名誉総裁を解任されるに至った(ただし、同国での象狩りは違法ではない)<ref>{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120722-OYT1T00593.htm
|title=スペイン国王が象狩り、WWF支部名誉総裁解任
79行目:
|date=2012-07-22
|accessdate=2012-07-22
}}</ref>。この事件以降、国民の支持は落ちており、スペインの新聞「エル・ムンド[[2013年]][[世論調査]]では、約45%が長男の[[フェリペ6世 (スペイン王)[[皇太子|フェリペ]]王太子]][[王位請求者|王位]]を譲るよう求めていた<ref>{{cite news |title=スペイン王女に出廷命令 相次ぐ汚職疑惑に国民の反応は? |newspaper=ニュースフィア |date=2013-4-5 |url=http://newsphere.jp/world-report/20130405-1/ |accessdate=2013-4-6}}</ref>。[[中道左派]]系の新聞[[エル・パイス]]2013[[3月]]に行った世論調査(発表は[[4月]])では、国王の職務遂行ぶりについて回答者の42%が「支持する」、53%が「支持しない」と答えた。2012年[[12月]]時点では「支持する」が「支持しない」を21ポイント上回っており、数ヶ月で国王の支持率が急落している<ref>{{cite news |title=「国王支持しない」、世論調査で過半数 スペイン 国際ニュース」 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-4-8 |url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2937780/10552630 |accessdate=2013-4-8}}</ref>。この頃には高齢なことから健康問題も抱えており、2012年[[11月]]には[[人工関節|人工股関節]]を埋め込む手術を行っている<ref>{{cite news |title=人工股関節で炎症のスペイン国王が退院 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-10-2|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3000630|accessdate=2013-10-5|author=ジミー・バーンズ}}</ref>。
 
2014年[[6月2日]]午前、[[マリアーノ・ラホイ・ブレイ|マリアーノ・ラホイ]]首相がフアン・カルロス1世の譲位決定を発表した<ref>{{cite web|url=http://politica.elpais.com/politica/2014/06/02/actualidad/1401697005_470180.html|title=El Rey abdica|publisher=[[エル・パイス]]|language=スペイン語|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-02}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.elmundo.es/espana/2014/06/02/538c34ccca47410b2b8b456c.html|title=El Rey abdica|publisher=[[エル・ムンド (スペイン)|エル・ムンド]]|language=スペイン語|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-02}}</ref>。ただし、この時点でスペインには国王の譲位に関する法的規定がなく、ラホイ首相は新国王の即位に向けた手続きのため、特別閣議を[[6月3日|3日]]に招集した後、憲法などの改正案を[[国会 (スペイン)|国会]]に提出した<ref>{{citeweb|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014060200685|title=スペイン国王が退位へ=「民主化の象徴」-フェリペ皇太子が継承|publisher=[[時事ドットコム]]|language=日本語|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-05}}</ref>。この発表に対して、一部の左派政党により[[君主制|王制]]についての[[国民投票]]の実施を求める声明が発表された<ref>{{cite web|url=http://politica.elpais.com/politica/2014/06/02/actualidad/1401698982_637616.html|title=Las fuerzas de izquierda piden un referéndum sobre la monarquía|publisher=[[エル・パイス]]|language=スペイン語|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-02}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.rtve.es/noticias/20140602/iu-exige-referendum-vinculante-para-decidir-entre-monarquia-republica-tras-abdicacion-del-rey/946944.shtml|title=Las PP y PSOE agradecen al rey su dedicación e IU pide un referéndum entre monarquía y república|publisher=[[テレビシオン・エスパニョーラ|TVE]]|language=スペイン語|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-02}}</ref>。また[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]にて反王室の[[デモ活動|デモ]]が呼びかけられ、6月2日午後8時(現地時間)に反王室派により君主制維持の是非を問う国民投票の実施を訴える大規模なデモが、首都[[マドリード]]をはじめ各地で起こされた<ref>{{cite web|url=http://www.lavozdegalicia.es/noticia/politica/2014/06/02/iu-exige-referendum-vinculante-decidie-momarquia-republica/00031401701161347715487.htm?idioma=galego|title=Podemos, EU e algunhas correntes socialistas piden un referendo|publisher=[[:es:La Voz de Galicia|ラ・ボス・デ・ガリシア]]|language=ガリシア語|date=2014-06-02|accessdate=2014-06-02}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.elmundo.es/espana/2014/06/02/538c4ad622601daa258b4570.html|title=Decenas de miles de voces republicanas en las plazas|publisher=[[:es:El Mundo (España)|エル・ムンド]]|language=スペイン語|date=2014-06-03|accessdate=2014-06-03}}</ref><ref>{{citeweb|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3016738|title=スペインで共和制求める大規模デモ、国王退位で反王室感情に火|publisher=AFPBB News|language=日本語|date=2014-06-04|accessdate=2014-06-05}}</ref>。そのような情勢の中、[[6月18日]]に[[スペイン上院|上院]]・[[スペイン下院|下院]]とも圧倒的多数で「国王の退位に関する法律」を可決し、国王も退位の文書に署名した。この法律が発効する19日未明に、自動的にファン・カルロスは退位し、新国王[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]が即位した<ref>{{Cite news|url= http://www.afpbb.com/articles/-/3018107 |title= スペイン議会、国王退位を承認 新国王即位へ |newspaper= AFPBB News |date= 2014-06-18 |accessdate= 2020-08-04 }}</ref>。
 
なお、譲位時にスペインで行われた世論調査によれば、王室の存続を問う国民投票が実施されたら、49%がフェリペ王太子の即位を支持、36%が[[共和制]]への移行に投票すると回答している<ref>{{citeweb|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3017491 |title=スペイン下院、国王退位を承認 |publisher=[[フランス通信社|AFPBB News]] |language=日本語|date=2014-6-12 |accessdate=2014-6-21}}</ref>。
 
=== 事実上の亡命 ===
[[サウジアラビア]]の[[高速鉄道]]の建設をめぐり、2012年にスペインの鉄道建設会社との取引仲介に対する見返りとしてサウジ同国国王[[アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ]](当時)の代理人より資金を得ていたとされており、在位時に[[パナマ]]で設立された財団が持つ[[スイス]]の銀行口座に預けられた後に一部が愛人に送金されたり、また財団が自家用ジェットのフライト費用数百万ユーロを支払うなど、資金洗浄に関与していた疑惑が取り沙汰されている<ref>{{Cite news|url=https://jp.sputniknews.com/europe/202008047665372/|title=元スペイン国王フアン・カルロス1世 汚職事件の起訴から国外退去へ|work=Sputnik日本|agency=[[スプートニク (通信社)|スプートニク]]|date=2020-08-04|accessdate=2020-08-04}}</ref>。
 
一連の疑惑を受け、[[2020年]]3月に息子のフェリペ6世は父フアン・カルロス1世に対する年間手当19万4000ユーロ(約2300万円)の廃止と、相続財産を放棄することを発表し、距離を置く姿勢を示したものの、フェリペ6世自身もまたこの財団の受益者であったとされている(本人は否定)<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3273600|title=スペイン国王、不正疑惑の前国王への手当剥奪 相続資産も放棄へ|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2020-03-16|accessdate=2020-08-04}}</ref>。同年[[6月]]、スペイン最高裁は捜査を開始することを発表したが、在位時の免責特権があるため譲位後の疑惑に限定されたものの、疑惑にメスが入れられることとなった。
 
2020年[[8月3日]]、フアン・カルロス1世がスペイン国外に出国する意向であることが発表された<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3297255|title=不正疑惑のスペイン前国王、亡命の意向|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2020-08-04|accessdate=2020-08-04}}</ref>。スペインの報道機関は、フアン・カルロスが[[ドミニカ共和国]]へ出国したと報じた<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020080400355&g=int|title=スペイン前国王が「亡命」 カリブ海滞在か、捜査逃れに批判|work=時事ドットコム|agency=[[時事通信社]]|date=2020-08-05|accessdate=2020-08-05}}</ref>ものの、当のドミニカ共和国入管当局はフアン・カルロスが入国した記録はないと否定した<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020080500314&g=int|title=スペイン前国王の入国否定 ドミニカ共和国の入管当局|work=時事ドットコム|agency=[[時事通信社]]|date=2020-08-05|accessdate=2020-08-05}}</ref>。このほか、逃亡先として[[ポルトガル]]や[[アラブ首長国連邦]]を構成する[[アブダビ]]など諸説が報じられ<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3298126|title=不正疑惑のスペイン前国王、アブダビに亡命か 報道|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2020-08-07|accessdate=2020-08-08}}</ref>、[[8月17日]]にスペイン王室は前国王の出国先がアラブ首長国連邦であると正式に発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/jc/p?id=20200818085550-0035401780|title=前国王、UAEに滞在|work=時事ドットコム|agency=[[時事通信社]]|date=2020-08-18|accessdate=2020-08-18}}</ref>。
 
== 人物 ==
[[ファイル:Sofia, Laura Bush, George W. Bush and Juan Carlos.jpg|thumb|right|240px|フアン・カルロス1世夫妻とジョージ・W・ブッシュ夫妻]]
[[ヨット]]の代表選手として[[夏季オリンピック|オリンピック]]に出場したこともある([[1972年ミュンヘンオリンピック|ミュンヘンオリンピック]]で15位になり<ref>[https://olympics.com/ja/olympic-games/munich-1972/results/sailing/dragon-mixed IOC、ミュンヘン大会・混合ドラゴン級結果]</ref>、{{要出典|範囲=ジョークで「フアン・カルロス・スペイン1世・ミュンヘン15世」と呼ばれた|date=2022年2月}})。また、[[アマチュア無線]]家としても知られる。[[コールサイン]]は'''EA0JC'''(Juan Carlos)。
 
[[フェルナンド・アロンソ]]など[[スペイン人]][[レーシングドライバー]]の参戦も多い[[フォーミュラ1|F1]]や、スペインで人気が高い[[ロードレース世界選手権|MotoGP]]の大ファンであり、F1やMotoGPの[[スペイングランプリ|スペインGP]]には毎年のごとく来場している。[[モナコ]]大公[[アルベール2世 (モナコ公)|アルベール2世]][[モナコ統治者の一覧|大公]]などを例外として、一国の[[元首]]クラスの要人としては異例のことである。MotoGPライダーの[[アンヘル・ニエト]]とは友人であり、[[1982年]]のスペインGP前にはニエトを当時の最高峰クラスであるGP500クラスにスポット参戦させるため、自らスペインのホンダ現地法人を通じて[[ホンダ・レーシング]](HRC)にかけ合い、ニエト用に[[ホンダ・NS500|NS500]]を貸し出させたというエピソードもある<ref>「ホンダ二輪戦士たちの戦い(下)」([[富樫ヨーコ]]、[[講談社]])の記述によれば、HRCではやむなくニエトの友人であり当時HRC所属だった[[マルコ・ルッキネリ]]に相談し、当初ルッキネリのスペアマシン用に持ってきたマシンをニエトに提供したとのこと。結果は転倒リタイヤであった。</ref>。また[[2008年]]のスペインGPでは、当時犬猿の仲だった[[ダニ・ペドロサ]]と[[ホルヘ・ロレンソ]]の間の仲介に入り、表彰式で二人を半ば無理やり握手させた(これが契機となり、後に二人は和解している)<ref>[http://itatwagp.com/2012/04/11/motogp-794/ ペドロサ&ロレンソ初対談『僕ら大人になったなぁ』− 前編 −] - ITATWAGP・2012年4月11日</ref>。
 
2013年[[7月30日]]、[[モロッコ]]国王|モロッコ国王]][[ムハンマド6世 (モロッコ王)|ムハンマド6世]]が、モロッコ国内で犯罪を犯し、服役していたスペイン人48人に[[恩赦]]を与え、[[釈放]]した。この中には、4歳から15歳までの11人の児童を強姦した者も含まれており、モロッコ国内では強い反対があった。モロッコ法務省は、この恩赦がフアン・カルロス1世の要請に基づくものであるとしている。一方、スペイン王室は、釈放を求めたことを否定し、モロッコで服役しているスペイン人受刑者の処遇について関心をよせたに過ぎないとしている<ref>{{cite news |title=モロッコ国王が恩赦撤回した児童性的虐待の元受刑者、スペインで身柄拘束 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-8-6|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2960223?pid=11137713|accessdate=2013-11-22|author=Anna CUENCA }}</ref>。この恩赦は、[[8月4日]]に取り消されている<ref>{{cite news |title=モロッコ国王、児童性的虐待のスペイン人受刑者に与えた恩赦を撤回|newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-8-6|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2959963?pid=11127376|accessdate=2013-11-22}}</ref>。
 
== 家族 ==
即位以前の[[1962年]]に[[ギリシャ王国|ギリシャ]]国王[[パウロス1世 (ギリシャ王)|パウロス1世]]の王女[[ソフィア (スペイン王妃)|ソフィア]]([[1938年]] - )と結婚した。1男2女がいる。
# [[エレナ・デ・ボルボン・イ・デ・グレシア|エレナ]]([[1963年]] - ) ルーゴ女公爵。1995年に[[ナバラ王国|ナバラ]]=[[バスク人|バスク]]系貴族ハイメ・デ・マリチャラルと結婚。2009年離婚。
# [[クリスティナ・デ・ボルボーン・イ・デ・グレシア|クリスティーナ]]([[1965年]] - ) [[1997年]]にプロ・[[ハンドボール]]選手[[イニャキ・ウルダンガリン]]と結婚。
# [[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ]]([[1968年]] - ) 現スペイン国王。2004年に国営放送キャスターの[[レティシア・オルティス]]と結婚。
その他、ソフィア妃と結婚する前に、肉体的関係を持っていた女性との間に[[隠し子]]がいるという話があり、その隠し子とされるスペインに住む男性と、[[ベルギー]]に住む女性は、何度か事実を確認するため裁判所に提訴している。スペイン憲法は国王に全面的な[[免責特権]]があると定めているため、フアン・カルロス1世の在位中は提訴が却下されていた。しかし、退位後は免責特権の及ぶ範囲が狭くなったため、2014年[[7月31日]]、スペイン最高裁は提訴を受理した<ref>{{cite news |title=「前国王が私の父」、スペイン最高裁 認知訴訟の訴状受け取る |newspaper=AFPBB News|publisher=[[フランス通信社]] |date=2014-8-1 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3022092 |accessdate=2014-8-3 }}</ref>。
 
== 系譜 ==