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* シーズン300イニング登板・20敗戦を記録した最後の投手である。これは、来歴の項に記したチーム事情により、若手にも拘らず主戦投手としてシーズンを通して登板せざるを得なかったためである。
* 西鉄時代のチームの低迷が響き、[[1984年]]に200勝を達成した時点では通算成績で負け越していた。しかし、その後勝ち星を積み重ねた結果、引退時には無事勝ち越しを記録することとなった(200勝投手で通算成績が負け越しているのは、[[2006年]]シーズン終了時点で[[梶本隆夫]]のみである)。
* [[1987年]]オフ[[麻雀]][[賭博]]容疑で書類送検され、半年間の出場停止処分を受ける。これが現役引退の直接の要因となったと見る向きも少なくない。またこの前年、[[落合博満]]と共に日本プロ野球史上初の年俸1億円プレーヤーとなりシーズンの成績からは大幅アップが予想されていた(事件発覚前に1億1000万円の提示を保留)が、事件発覚により翌年度は25%減俸され、最終的な年俸は7500万円となっている。
* 『野武士軍団』と呼ばれた西鉄ライオンズの最後の生き残りらしく、豪放かつ実直な性格でチームの兄貴分として慕われた。特に[[工藤公康]]とは師弟関係にあったとも言われ、東尾が監督に就任したのは、工藤のFA移籍を止めるためだとまで言われていた(しかし実際には工藤は[[石毛宏典]]とともにダイエーに移籍している)。 監督時代も選手と一緒にTV番組に出演してゲームに興じるなど、良くも悪くも『上司』だった[[広岡達朗]]、[[森祇晶]]両監督とは正反対の兄貴分・親分的な存在としてチームをまとめていた。
* そのような性格のためか、徹底した管理野球を身上としていた広岡とは現役時代からソリが合わなかったようで、当時から事ある毎に互いを非難し合っていた。現在でも、広岡との対談を持ちかけるのはタブーとされている(なお、東尾と森との間には確執はない)。