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== 人物 ==
[[兵庫県]][[川西市]]出身。[[
ゴルフ関係者の間では「おぎー」と呼ばれる。キャディ以外にも自身のマネージメント会社にて番組制作・イベント企画。2015年からはオンラインのスポーツレッスンアプリ(株)だんきち顧問も務める。[[2002年]]より雑誌「GOLF&GOLF」誌上での「プロキャディの目」は連載20年目を迎え、2007年には自らのキャディ論を語った「裏方の流儀」(角川マガジンズ・小西良之著)も発売された。
== 来歴 ==
祖父、小岸亀次郎(囲碁棋士の[[小岸壮二|小岸壮ニ]]は甥にあたる)戦前は[[中山製鋼所|株式会社中山製鋼所]]取締役難波工場長、戦後も鉄鋼畑を歩み、朝鮮戦争時には北九州市で株式会社日本ドラム缶製作所常務取締役九州工場長、大阪ブリキメッキ株式会社相談役を歴任し財をなす。東邦工業株式会社代表取締役社長も歴任する。
ゴルフというスポーツに初めて関わったのは幼少期。週末によく遊びに行っていた外祖父の[[朝長正男]]が理事長していた[[千刈カンツリー倶楽部]]で▼
父、昇司は[[朝日新聞大阪本社]]入社後、朝日新聞信用組合常務理事、関連会社役員を務めた。
[[ファイル:S 4727159.jpeg|左|サムネイル|〈小岸亀次郎と昇司、中津市自宅にて〉]]
▲いわゆる堅い家風の家に生まれ育った小岸がゴルフというスポーツに初めて関わったのは幼少期。週末によく遊びに行っていた外祖父の[[朝長正男]]が理事長していた[[千刈カンツリー倶楽部]]で
時は流れ1993年大学2回生時に琵琶湖CCで開催された日本オープンを観戦し、尾崎将司キャディの佐野木計至に視線釘付け、プロキャディという仕事に興味を持ち日本ゴルフツアー界に確立されていなかったプロキャディの道を目指すことになる。小岸がプロキャディの道を歩もうと思った時、頼ったのが[[大西久光]]・[[戸張捷]]の上司として日本プロゴルフ界のトーナメント化の礎を築いた[[大橋貞吉]]。[[1995年]]。外祖父の後輩である大橋が社長を務めていたトーナメント運営会社DSE((株)ダンロップスポーツエンタープライズ)から推薦受け初めてツアーキャディを体験する。
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