「西園寺公顕」の版間の差分
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==琵琶秘曲伝授の師として==
西園寺家は実宗以来、しばしば[[琵琶秘曲]][[伝授]]の師を勤めていることが『[[圖書寮叢刊]] [[伏見宮楽書集成一]]』や『[[文机談]]』に見えている。[[弘安]]9年([[1286年]])6月16日には父実兼が当時春宮であった煕仁親王([[伏見天皇]])に楊真操の秘曲伝授をおこない、同月22日には献譜したことが後深草院御記にあり<ref>『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』 pp.41-42.</ref>、伏見院御記にも同様の記録がある<ref name="#1">前掲書同箇所</ref>。
公顕は[[延慶 (日本)|延慶]]2年([[1309年]])10月23日に[[後伏見天皇|後伏見院]]に[[楊真操]]の秘曲伝授を行っている<ref>『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』 pp.43-44.)</ref>。前権大納言兼右大将であった公顕が[[従一位]]に叙せられた理由は、この秘曲伝授にあったと推察できる<ref>『公卿補任』[[正和]]4年([[1315年]])の条にはそのような記述がある。</ref>。正和2年([[1313年]])にも後伏見院は公顕から秘曲を伝授されている<ref>『圖書寮叢刊 伏見宮楽書集成一』 pp.53.</ref>。
[[元亨]]2年([[1322年]])8月12日に後伏見院は実兼から伝授を受けるつもりであったが、実兼が所労危急の状態なので[[藤原孝重]]から[[啄木]]の伝授をうけることになったという記録もある<ref
==系譜==
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