「防空壕」の版間の差分
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第二次世界大戦当時、日本は極端な物資不足に陥っていたので、日本の民間のものはとても簡素なものであり、多くは[[土]]に[[穴]]を掘り、坑道を掘る要領で、土が上から崩れないように廃材を組み合わせて「つっかえ棒」のように使い、かろうじて築いたようなものが多かった。
[[第二次世界大戦]]中の日本の民間の防空壕は、爆風や[[爆弾]]破片、爆風によって飛散し飛来する土砂・石礫などによる危害を避けるためのあくまでも応急的な待避設備であった。「命中弾」を受けた場合、つまり[[爆撃機]]([[B-29]])から投下される[[爆弾]]が防空壕の真上に着弾した場合は安全は保てない可能性があった。つまり(不運にも)爆弾の直撃を受けると防空壕
つまり日本の民間の防空壕は、「絶対に身を守れる」というようなものではなく、あくまで「機銃掃射で殺されることは避けられる」「爆弾投下されても直撃しなければ、助かる可能性が高い」といった程度の位置づけのものであった。
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;軍部のもの
一方、軍部は建築資材に恵まれていたことから[[鉄筋コンクリート]]で頑丈なものを建造した。
軍施設の防空壕について説明すると、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]の防空壕は[[防衛省]]の敷地に、[[連合艦隊]]司令部として[[日吉台地下壕]]が[[横浜市]][[港北区]]に造られた。(それらは現在も残っている)。(当時、日本軍の最高司令官は天皇だったわけだが、その最高司令官が住む)[[皇居]]には「御文庫」並びに「[[御文庫附属庫]]」が建造された。
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