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1985年、中学2年生のとき父の転勤で本州へ引越し<ref name=":0" />、第10回中学生名人戦で優勝([[神奈川県]]代表)<ref>{{Cite web|title=中学生将棋名人戦優勝者一覧|url=https://www.shogi.or.jp/tournament/junior_highschool_meijin/yuusyou/|website=www.shogi.or.jp|accessdate=2020-09-09}}</ref>。同年、13歳で奨励会に入会。
[[1988年]][[10月1日]]、16歳のときに四段昇段してプロ入り(第3回三段リーグを14勝4敗の2位で通過)。'''奨励会6級から四段昇段までは2年10か月'''である。
[[1988年]][[10月1日]]、16歳のときに四段昇段してプロ入り(第3回三段リーグを14勝4敗の2位で通過)。奨励会6級から四段昇段までは2年10か月である。入会時の年齢が違うために単純な比較は難しいものの、それ以前に奨励会を記録的な速さで駆け抜けたことで話題となった[[谷川浩司]](11歳で入会し所要3年8か月)、[[羽生善治]](12歳で入会し所要3年)、[[村山聖]](14歳で入会し所要2年11か月)らよりも短期間でプロ入りしている。しかも、彼ら3名がプロ入りした頃は三段リーグ制度がなくその開幕を待たずに三段として指すことができたために速度の点では屋敷よりも有利な条件であり、かつ、谷川と村山については5級入会だった。『[[将棋世界]]』2009年1月号では、6級入会者の2年10か月での奨励会卒業は最速記録ではないかとしている<ref>[[塚田泰明]]、[[前田祐司]]は4級で奨励会に入会し、それぞれ2年4か月、2年5か月で四段に昇段している</ref><ref>{{Cite web|title=「お化け」屋敷伸之四段(17歳10か月24日)の史上最年少タイトル挑戦記録と1989年当時の将棋界(松本博文) - Yahoo!ニュース|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20200604-00181765/|website=Yahoo!ニュース 個人|accessdate=2020-09-21|language=ja}}</ref>。第3回三段リーグでは1位の[[小倉久史]]と屋敷が三段リーグ1期抜けを果たしたが、第1回を除くと三段リーグ初挑戦者によるワンツーフィニッシュは2018年11月に至るまでこの時が唯一であり、三段リーグ1期抜けも両者のほかには第12回(1992年度後期)で[[川上猛]]、第24回(1998年度後期)で[[松尾歩]]、第53回(2013年度前期)で[[三枚堂達也]]、第59回(2016年度前期)で[[藤井聡太]]が達成しただけである。▼
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第3回三段リーグでは1位の[[小倉久史]]と屋敷が三段リーグ1期抜けを果たしたが、第1回を除くと三段リーグ初挑戦者によるワンツーフィニッシュは2018年11月に至るまでこの時が唯一であり、三段リーグ1期抜けも両者のほかには第12回(1992年度後期)で[[川上猛]]、第24回(1998年度後期)で[[松尾歩]]、第53回(2013年度前期)で[[三枚堂達也]]、第59回(2016年度前期)で[[藤井聡太]]が達成しただけである。
第55期(1989年度後期)[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]の予選・本戦トーナメント(1989年4月11日 - 11月27日)で[[高橋道雄]]や当時[[竜王戦|竜王]]の[[島朗]]を破るなどして一番下から連戦連勝し、[[中原誠]]棋聖への挑戦権を得た。タイトル挑戦時17歳10か月24日の年齢は当時の史上最年少<ref>2020年6月に[[藤井聡太]]が棋聖戦のタイトル挑戦で屋敷の最年少記録を4日だけ更新した。</ref>、'''プロデビュー1年2か月でのタイトル挑戦は史上最速、順位戦C級2組在籍・段位が四段の棋士としても史上初'''であった。中原との[[番勝負|五番勝負]](1989年12月12日 - 1990年2月2日)は、フルセットの2勝3敗で惜敗。なお、このとき高校在学中であった(のちに卒業)<ref name=":0" />。
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前年に羽生善治が作ったばかりの史上最年少タイトル獲得([[竜王戦|竜王]]、19歳)の記録を1年足らずで塗り替えた。また、'''プロデビューから1年10か月での初タイトル獲得も、歴代最速'''である。
第57期(1990年度後期)の棋聖戦五番勝負(1990年12月11日 - 1991年1月25日)は、[[森下卓]]の挑戦を3-1で退けて防衛し、当時の'''タイトル防衛の最年少記録'''を達成。
しかし、続く第58期(1991年度前期)棋聖戦五番勝負(1991年6月18日 - 7月31日)で、[[南芳一]]に2-3で敗れ、これはタイトル失冠の最年少記録となった。
=== C級1組・七段での足踏み ===
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* [[山田史生 (観戦記者)]]は「[[無頼派]]に見せかけているのは“忍者屋敷”の敵をあざむく仮の姿」と表現している<ref>山田史生『将棋名勝負の全秘話全実話』(講談社プラスアルファ文庫、2002年)</ref>。現在では三浦とは熱心な研究仲間であることが将棋連盟ライブでの解説コメントや[[NHK杯テレビ将棋トーナメント]]での解説などで度々紹介されている。
* 義理堅く、心優しい性格の持ち主でもある。先述の三浦が[[2013年]]に第2回[[電王戦]]に出場する際、時期が重なる[[名人戦 (将棋)]]への挑戦の可能性を残していた。三浦は、もし名人挑戦が決まった場合に最強コンピューター「[[GPS将棋]]」と戦う代役を、恐る恐る屋敷に相談したところ「わかりました。大丈夫ですよ」と笑顔で了解してくれたことを今も恩義に感じている<ref name=":1" />。
* 私生活では2000年、28歳のときに結婚<ref name=":6">{{Cite web |title=屋敷師範ご結婚 |url=http://www.shogi.ricoh/event/evt0119.htm |website=www.shogi.ricoh |access-date=2022-07-20}}</ref>。妻の柴崎(旧姓)順子は、[[世界シャンチー選手権]]元日本代表で元[[女流育成会]]員<ref name=":6" />。
* 息子は俳優の[[屋敷陽希]]<ref>[https://decipher.co.jp/haruki.html 屋敷 陽希 Yashiki Haruki ] - ディサイファ</ref>。
* 1991年1月、北海道より「栄誉をたたえて」を受賞<ref>{{Cite web|title=屋敷伸之|棋士データベース|日本将棋連盟|url=https://www.shogi.or.jp/player/pro/189.html|website=www.shogi.or.jp|accessdate=2020-09-09|language=ja}}</ref>。
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* 2018年4月22日[[天童市|、]][[天童桜まつり]]の[[人間将棋]]にて、対戦棋士[[山崎隆之]]八段に「[[将棋年鑑]]の身長の記載が年によって違う」と指摘され(160→165cm)、「昔のことは忘れた」とその場をしのぐ。
* 2018年、都内の将棋イベントで、特に印象に残っている対局に「史上最年少タイトル(当時)を獲得した棋聖戦」を挙げ
* 2020年10月に[[札幌市]]に開設された日本将棋連盟「北海道研修会」の幹事を同郷棋士4名([[中座真]]、[[野月浩貴]]、[[広瀬章人]]、[[石田直裕]])と務めるなど、地元への普及活動にも熱心である<ref>{{Cite web|title=日本将棋連盟「北海道研修会」開設のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟|url=https://www.shogi.or.jp/news/2020/03/post_1896.html|website=www.shogi.or.jp|accessdate=2020-07-15|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=日本将棋連盟北海道研修会 説明会&プレイベントのお知らせ|イベント|日本将棋連盟|url=https://www.shogi.or.jp/event/2020/08/post_1730.html|website=www.shogi.or.jp|accessdate=2020-12-18|language=ja}}</ref>。
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