「オーロラ号の漂流」の版間の差分

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背景: 手直しの続き
マクマード入江: 英語のままの注釈をいったん削除します。この後、周囲の修正とともにアップします。
20行目:
マクマード入江で唯一安全な冬季係留場所として知られていたのは、スコットの[[ディスカバリー遠征]]で使ったハットポイントの基地であり、マクマード入江を2つに分ける氷舌という突出部の南にあった。しかし、スコットの船は2年間氷に閉じ込められており、それを解放するために2回の救援船と何度かの探検行を必要とした。シャクルトンはこれを避けることとしており、マッキントッシュには氷舌より北で越冬するよう明確な指示を与え、それがステンハウスに伝えられていた<ref name="TL114">Tyler-Lewis, pp. 114–16</ref>。それまでこの湾の露出した北部で越冬した船は居らず、そうすることの判断については、経験のある水夫のアーネスト・ジョイスやジェイムズ・ペイトンの個人的な日誌で問題にされていた<ref>Tyler-Lewis, p. 68</ref><ref>Tyler-Lewis, pp. 120–21 and p.126</ref>。遠征が終わった後で、ロス海支隊の救援隊を率いたジョン・キング・デイビスは、シャクルトンの指示が無視されるべきであり、ステンハウスはオーロラ号を凍り付かせる危険性があったとしても、ハットポイントの安全な地点に移しておくべきだったと記していた<ref>Tyler-Lewis, p. 221</ref>。
 
ステンハウスは最初に氷舌そのものの北側に船を停泊させようとした<ref>Haddelsey, p. 43</ref>。風向きが変わり、氷舌と前進してくる叢氷の間にオーロラ号が閉じ込められる危険性があったのを、やっとかわすことができた<ref>Tyler-Lewis, pp. 118–19</ref>。他の選択肢も検討したが却下し、結局はスコット大佐が昔テラノバ遠征で使った基地のエバンス岬沖で停泊することに決めた。氷舌の北約6海里 (11&nbsp;km) の位置だった<ref>Scott's ship ''Terra Nova'' had wintered in New Zealand after landing its shore parties here, as had ''Nimrod'' during Shackleton' 1907–09 expedition. Tyler-Lewis, p. 114</ref>。3月14日、ステンハウスは何度も失敗した後で<ref>Fisher, p. 402</ref><ref>Bickel, pp. 69–70</ref>、オーロラ号を所定の位置に操船し、エバンス岬のある岸に対して船尾を向け、2つの大きな錨を投じて、海底に固定した。錨索と太綱が太い鎖と共に船尾に付けられた。主錨鎖も2つ落とされた。3月14日までに、二等航海士のレスリー・トンプソンに拠れば船は岸の氷に収まり、「戦艦を保持できるほどの太綱と錨が」使われていた<ref>Tyler-Lewis, p. 123</ref>。
 
=== 暴風による漂流開始 ===
エバンス岬の隠れ場所の無い停泊地は、オーロラ号を冬の厳しい気象に完全に曝すことになった。4月半ばまでに船は「難破船」のようになっており、右舷側に大きく傾き、氷がその周りを動くと激しい衝撃や振動が伝わっていた<ref name="Tyler-Lewis_125–27">Tyler-Lewis, pp. 125–27</ref>。気象が許すときは、陸上部隊と、さらに後にはオーストラリアやニュージーランドとの通信を可能にする無線用アンテナを張ろうという試みが行われた<ref name="Hadd49">Haddelsey, pp. 48–49</ref>。補給所におくために橇で運ぶ食料の残りが岸に揚げられたが<ref name="Hadd49"/><ref>The rest of the depot rations had been landed earlier and were stored in the hut. Tyler-Lewis, p. 131</ref>、冬の間は船が同じ場所に留まるという前提だったため、陸上部隊の個人備品や燃料、機材の大半は船上に置かれたままであった<ref>Bickel, p. 71</ref>。
 
5月6日午後9時ごろ、激しい嵐が吹いていた中で、船上にあった隊員が「爆発音」を2回聞き<ref name="Tyler-Lewis_125–27" />、主となる太綱が錨から切れた。風の力に加えて急激に動く氷の力が働いた結果、オーロラ号は停泊地から切り離され、大きな氷盤に取り囲まれる格好で湾の中を漂い始めた。ステンハウスは、強風が弱まった間に蒸気機関の力で岸に戻すことができるかもしれないと考え、蒸気を上げるよう命令したが、エンジンは冬の修繕のために一部分解されており、即座に発動できなかった<ref name="Hadd51"/>。たとえエンジンを始動できたとしても、98馬力 (73 kW) のエンジンと1軸のスクリュー・プロペラでは、推力不足だった<ref>Bickel, p. 218</ref>。嵐の轟音のせいで、エバンス岬の小屋にいる科学者部隊は異変の音に気付いていなかった。船が流されてしまったことを知ったのは朝になってからだった<ref name="Hadd51">Haddelsey, pp. 51–52</ref>。
 
オーロラ号が漂流を始めたときには18人の乗組員が乗船しており、岸には10人が残された。エバンス岬の小屋には4人の科学者がいた。最初の補給所設置隊はマッキントッシュとジョイスを含む6人であり、このときハットポイントでエバンス岬まで海氷を渡るチャンスをうかがって待機していた<ref>The Hut Point party learned of ''Aurora's'' disappearance when they reached Cape Evans on 2 June. In his diary Mackintosh described the news as "a knock-out blow". Tyler-Lewis, p. 129</ref>。
 
== 漂流 ==