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[[1944年]](昭和19年)7月に[[朝鮮総督府|朝鮮総督]]に任じられ、敗戦を迎える。同年10月19日、陸軍中尉<ref name=":1">[[山口宗之]] 『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 清文堂、2005年、pp.247-259、「陸軍士官学校特攻戦死者の分析」</ref>(陸士56期)で空中勤務者であった二男・信弘が、爆装した搭乗機で[[ニコバル諸島]]付近の[[イギリス]]艦隊に突入、22歳<ref name=":1" />で戦死<ref name=":2" />。これは陸軍が[[特別攻撃隊]]を編成する直前であったが<ref name=":2" />、遡って特攻戦死と認定され<ref name=":1" /><ref name=":2">秦郁彦 「阿部編隊帰投せず―ニコバル沖の体当り」『第二次大戦航空史話(中)』 中央公論社〈[[中公文庫]]〉、1996年(平成8年)、273頁以下。</ref>、信弘は二階級特進して陸軍少佐となった<ref name=":1" />。{{main|万朶隊}}
戦後、[[A級戦犯]]容疑で逮捕されるが、[[極東国際軍事裁判]](東京裁判)開廷直前になって突如[[起訴]]予定者のリストから外されたといわれており、同裁判を巡る謎の一つとされている。[[公職追放]]となり<ref>『朝日新聞』1946年10月6日一面</ref>、[[1952年]](昭和27年)追放解除される<ref>『朝日新聞』1952年3月24日夕刊一面</ref>。翌[[1953年]](昭和28年)死去。享年77。死去時点で内閣総理大臣経験者としては最年長かつ最古参であった(自身の死去に伴い最年長は吉田茂、最古参は東久邇宮稔彦王となった)。
==朝鮮半島における誤解==
日本や中国など[[漢字圏]]では誤解しようがないが、日本統治時代の最後の朝鮮総督だった'''阿部'''信行は、反日感情が強く、漢字教育を廃した[[大韓民国|韓国]]を含む朝鮮半島では学者や文化人などにまで、[[平成]]・[[令和]]年間に首相を務めた'''安倍'''晋三の祖父と広く誤解されているが、漢字の通り、血縁はない<ref>{{Cite web|title=【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 「アベ違い」の大誤解|url=https://www.sankei.com/article/20150502-AYPNMJZ4CBKEZN2LRVDN22WSAY/|website=産経ニュース|date=2015-05-02|accessdate=2021-06-21|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC}}</ref>。なお、実際の[[安倍晋三]]の父方の祖父である[[安倍寛]]は、阿部信行が翼賛政治体制協議会会長として戦った翼賛選挙では非推薦で出馬し当選している。
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