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[[File:Type5_75mm_tank_gun_01.jpg|thumb|right|250px|試製七糎半戦車砲(長)'''I型'''。本車の試製七糎半戦車砲(長)'''II型'''との大きな違いとして、半自動装填装弾機が装着されている]]
 
'''試製七糎半戦車砲(長)'''は、[[支那事変]]初期において日本陸軍が[[鹵獲]]した、[[スウェーデン]]の[[ボフォース]]製75mm高射砲が基礎となっている。日本陸軍ではこれをコピーして、[[四式七糎半高射砲]]として生産した。チトの主砲は、この[[砲身]]などを流用しつつ戦車砲用に再設計を施し、後座長の短縮等の改良が行われたものである。原型のボフォース製高射砲は、ドイツ軍において装備され高威力を発揮した[[8.8 cm FlaK 18/36/37]]のベースともなった優秀な火砲であった。設計は1944年4月に完了、試作は[[大阪陸軍造兵廠]]で行われ2門が7月に完成した。本砲は装弾機を装備し、重量のある砲弾を手動で装填せずに機械力で半自動装填しようとするものであった。しかしながら装弾機能に不良が生じ、この欠点の除去は遅延した。
 
この試製七糎半戦車砲(長)の半自動装填装置を取り外し、[[平衡錘]]を付加する等の改修を経て、'''試製七糎半戦車砲(長)II型'''が10月までに完成し、実用試験の後、試製チト2号車に装備されることになった。この戦車砲の開発により従来の装弾機付きの砲は'''試製七糎半戦車砲(長)I型'''として区分された。後に試製七糎半戦車砲(長)II型は仮制式制定され、'''五式七糎半戦車砲'''の制式名称が付与されたと推定される<ref>『日本陸軍の戦車砲と自走砲』80頁</ref>。この試製七糎半戦車砲(長)II型は口径75mm・56口径・砲身重量は1,710kgで<ref>佐山二郎『日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他』 373頁</ref>、閉鎖機は右方へ水平に開放される自動鎖栓式であり、砲全体の重量は2,221kgに達した。高低射界は-6.5度〜+20度である。弾種は一式[[徹甲弾]](弾量6.615kg)および四式[[榴弾]]が予定された。また、[[試製七糎半対戦車自走砲 ナト]](ナト車)と弾薬が共用であり四式徹甲弾も存在する。