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概要: 国家間のイデオロギーと純粋な人種差別行動は別けなくてはならないでしょう。
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概要: ロシアの事情と当時のナチス承認は、時代背景を無視するべきでは無いでしょう。
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== 概要 ==
民族主義は、特定の民族を中心とするイデオロギーである。民族主義者の思想は「共通の言語、共通の宗教、共通の祖先を持つ民族による国家」というものが多く、この思想を元にすると、その他の民族は「二級市民」として冷遇される危険性がある<ref>{{cite book |last1=Rangelov |first1=Iavor |title=Nationalism and the Rule of Law: Lessons from the Balkans and Beyond |date=2013 |publisher=Cambridge University Press |isbn=9780511997938 |pages=19–44|doi=10.1017/CBO9780511997938}}</ref><ref>{{cite journal |last1=Yilmaz |first1=Muzaffer Ercan |title=The Rise of Ethnic Nationalism, Intra-State Conflicts and Conflict Resolution |journal=Journal of TESAM Akademy |date=2018 |volume=5 |issue=1 |pages=11–33 |doi=10.30626/tesamakademi.393051|doi-access=free}}</ref>。また反米思想を持つ民族主義の場合、アメリカと敵対さえすれば、ウクライナへの侵略戦争を強行したロシアや第二次世界大戦のナチスを美化する危険性も持っている。国家主義と結び付くのは、民族主義の理念から共通の利益のために民族を政治的に一つにしようとする運動が起こりやすいからである([[国民国家]])。[[ユーゴスラビア]]のように国家を[[多民族国家|多民族]]によって形成する国の場合、チトーのような統治者がいる間は良いが、チトーが死んでから10年ほどでユーゴ内戦やボスニア紛争など、いくつもの戦争が発生する悲惨な事態となった<ref>{{cite web|url=http://hrw.org/reports/2004/ij/icty/2.htm|title=ICTY: Conflict between Bosnia and Herzegovina and the Federal Republic of Yugoslavia| access-date=27 June 2022}}</ref>。[[ナチス・ドイツ]]は、[[オーストリア]]を併合する際には、民族主義を煽り、オーストリア内のナチスを利用して併合を強行した。「特定の民族優遇策をとる多民族国家([[フランシスコ・フランコ|フランコ]]独裁体制下の[[スペイン]]、[[ブミプトラ政策]]が敷かれた[[マレーシア]]<ref>「世界の右翼」p.179。 グループSKIT著</ref>など)の場合は、優遇された民族の民族主義を支持基盤にするが、当然[[弾圧]]・冷遇される少数派側との対立が発生する。ブミプトラ政策とは、勤勉で経済的に成功した華僑に対して、マレー人を優遇した政策だが、成功していない。
 
愛国主義には patriotism の語があり([[愛国心|愛国主義]])、nationalism は民族の利益や主権の統一性を強調する語である([[ナショナリズム]])。[[ナポレオン戦争]]によるフランスの支配下では、ヨーロッパの各国民は民族主義を高揚させた。[[アジア]]においては、[[日露戦争]]での日本戦勝や1918年の[[ウッドロウ・ウィルソン|ウィルソン]]米大統領の[[十四か条の平和原則]]での[[民族自決]]原則で民族主義の高まりを見た。[[第二次世界大戦]]後には、多くのアジア・[[アフリカ]]の国家が民族主義を高揚させて独立を果たした。1960年代初頭にはアフリカ諸国の独立が相次いだために、アフリカの年とも呼ばれた。また、世界には国内に多民族を内包する国は多く、各地で[[少数民族|少数派民族]]の[[独立]]運動が激化する場合がある。[[冷戦]]終結以降の[[ヨーロッパ|欧州]]では地域主義や民族自決の推進などで、マケドニアやコソボなど小国が独立を志向する傾向が強まった。