「日本の電気機関車史」の版間の差分

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[[1925年]]、[[東海道本線]]の[[東京駅]] - [[国府津駅]]間と[[横須賀線]]が電化された。これに先立ち、1922年から[[国鉄ED10形電気機関車|ED10形]]を始めとして、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イギリス]]・[[スイス]]から多種の電気機関車を輸入した。国産技術がまだ成熟していなかったことから、輸入による技術導入を図ったわけである。
 
これらの中で、イギリスの[[イングリッシュ・エレクトリック]](EE)社製のものが最も大量に輸入されたが<ref>[http{{新聞記事文庫|url|0100124191|title=鉄道電化に着手 ://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID 先ず東京と国府津間既に電気機関車を注文|oldmeta=00101288&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE}} 19231922年8月12日付大阪毎日新聞](神戸大学附属図書館新聞記事文庫)</ref>、当のイギリスの鉄道においてもまだ電化が進んでいる状況ではなく、殊にイギリス製機関車はよく故障し、その評判は芳しいものではなかった。もっとも、EE社製機関車は構造面では自動進段機構を備えた電動カム軸式制御器を搭載するなど、以後の国鉄制式機では[[1962年]]の[[国鉄EF62形電気機関車|EF62形]]でようやく採用が実現した先進的かつ精緻な機構を備えており、それらの設計・工作法の洗練が不十分であったことと、日本側の受け入れ体制の未熟が、そうした故障の主因であった。イギリスの技師は日本が輸入した自国製機関車の故障状況を調べて本国へ送り、その上でイギリスの鉄道電化を進めたという。
 
そのため導入からしばらくは、故障対策のため後ろに[[蒸気機関車]]を[[補助機関車|補機]]として連結し、電蒸運転を行なったが、検修陣の必死の努力により故障は次第に克服され、[[1927年]]にはイギリス製の[[国鉄ED17形電気機関車#ED51形|ED51形]]が[[お召し列車]]を牽引するまでの信頼を得るようになった。