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=== 霊山出発と鎌倉攻略 ===
[[File:Kitabatake Chikafusa.svg|thumb|250px|北畠親房(『[[前賢故実]]』より)]]
[[延元]]2年/建武4年([[1337年]])1月、父の北畠親房から[[伊勢国|伊勢]]へ来援する文書が送られた<ref name="愛しの顕家様のぺえじHP" />。同月8日、顕家は国府を[[霊山 (福島県)|霊山]]([[福島県]][[相馬市]]および[[伊達市 (福島県)|伊達市]]および[[相馬市]])の[[霊山城]]に移した<ref>『大日本史料』6編4冊37頁</ref><ref name="日本の歴史学講座HP" /><ref name="愛しの顕家様のぺえじHP" />。
 
同じ頃、[[後醍醐天皇]]からも前年12月に送られた京都奪還の綸旨が届き<ref>『大日本史料』6編3冊934頁「白河文書」</ref>、勅命を受けた顕家は25日に奉答書を送った<ref>『大日本史料』6編4冊57頁</ref><ref name="愛しの顕家様のぺえじHP" />。その中で顕家は、「霊山城が敵に囲まれており、なおかつ奥州が安定してないので、すぐに上洛はできない。[[脇屋義助]]と連絡を取り合っている」と返答している。