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[[建久七年の政変]]で兼実は失脚するが、政治の主導権を握った[[源通親|土御門通親]]は宗頼の実務能力を高く評価して厚遇し、宗頼は建久9年([[1198年]])に権中納言、[[正治]]元年([[1199年]])に[[検非違使|検非違使別当]]・[[衛門府|左衛門督]]、[[建仁]]2年([[1202年]])には権大納言と急速に昇進する。宗頼と通親は個人的にも提携を強め、宗頼は通親の義妹・[[藤原兼子|卿局]]を室に迎え、通親の嫡子・[[久我通光|通光]]を婿とした。通親の宗頼に対する信頼は厚く、通親死去の折には通光の岳父として宗頼が遺産を管理した。建仁3年([[1203年]])に50歳で死去。その人柄は「才幹優長、心操穏便」であったという(『玉葉』文治2年正月27日条)。
 
== 系譜 ==
*父:[[藤原光頼]](1124-1173)
*母:[[藤原親隆]]の娘
*養父:[[藤原成頼]](1136-1202)
*妻:[[藤原兼子]](1155-1229) - [[藤原範兼]]の娘
*妻:[[藤原光忠]]の娘
*生母不明の子女
**男子:藤原宗方
**女子:[[久我通光]]室
*養子
**男子:[[葉室宗行]](1174-1221) - [[藤原行隆]]の五男
 
== 脚注 ==