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*サザンではギターを担当していた。桑田佳祐が大森を加入させた理由として、候補がほかに2、3人いたが、1人は「チャランポランでダメ」、もう1人は「テクニックはあるけれどどうもボクよりも音楽を知ってる」といい、大森に対しては「彼はそのどっちでもない」「じゃ下手かっていうと、違う、しっかりちゃんとやってる」「本当にこいつならまかせられると思った」と述べている<ref>桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、[[新潮社]]、p43)</ref>。
* アマチュア時代、大森はバンドのメンバーチェンジを何度も繰り返す桑田の状況に懸念を示し、「ちゃんとしたバンドをやろうよ」と声をかけ、青山学院大学の学生ではなかった松田弘、野沢秀行をバンドに勧誘し、各メンバーの親の承諾を得たうえで自ら「EastWest」に申し込んだ。EastWestで桑田がベストボーカル賞を獲得したことがきっかけでデビューしている<ref name="takashisan2">[http://rooftop.cc/interview/170601120000.php?page=2 大森隆志×平野悠 -『Back to Shimokitazawa』開催記念特別対談 2ページ] Rooftop 2017年6月号</ref><ref name="takashisan3"> [http://rooftop.cc/interview/170601120000.php?page=3 大森隆志×平野悠 -『Back to Shimokitazawa』開催記念特別対談 3ページ] Rooftop 2017年6月号</ref>。
* 2000年の年越しライブを肉体的疲労や、リフレッシュなどを理由に欠席し<ref>[
* サザンでも何曲かボーカル曲があり、その際には作詞・作曲も自ら担当している。また、ソロユニット'''TABO'S PROJECT'''を結成しシングルとアルバムを発表しているほか、大森隆志名義でのソロアルバムも1枚発表している。サザンを独立後にもソロミュージシャンとしてライブを中心に活動しており、新ユニット[[PROJECT OA]]としてテレビ出演も果たす。以後、さまざまなアーティストとジョイント・ライブ活動、また障害者の施設にて演奏披露、[[大和ミュージアム]]のオープン記念式典プロデュースと、[[ボランティア]]活動にも意欲を見せている。
* [[高橋ジョージ]]とは「盟友」であり、[[BORO]]とは「兄弟以上の関係」と述べている<ref>{{Cite web | url= https://ameblo.jp/omoritakashi/entry-11828301510.html| title=大和チャリティコンサート2014 KURE 写真館 | work=大森隆志オフィシャルサイト~ブログ | accessdate=2014-11-04}}</ref>。
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