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その起源は[[中唐]]の[[韓愈]]や[[柳宗元]]らに求められる。それまでの[[経典]][[解釈学]]的な儒学([[訓詁学|漢唐訓詁学]])は批判され、人間の道徳性や天と人を貫くことわり(理)を追求することこそ学問であるとされた。このことは文学史上の[[古文復興運動]]と連動しており、文章は修辞などによる華麗さを追求するものではなく、[[道 (哲学)|道]]を表現するための道具であるとされた。
 
宋代にはさまざまな流派が興ったが、やがて'''[[程顥]]'''・'''[[程頤]]'''('''[[二程子]]''')を祖とする[[道学]]が主流となった。[[天理人欲]]、[[理一分殊]]、[[性即理]]などを述べた。
 
道学の流れを汲み、他の流派の言説をも取り入れつつ、後世に大きな影響力のある学問体系を構築したのは[[南宋]]の'''[[朱熹]]'''である。朱熹の学派は道学の主流となり、このため[[程朱学派]]の名がある。朱熹は[[存在論]]として[[理]]と[[気]]を述べ、理気二元論を主張している。彼らの学問は[[性即理]]を主張したので'''性理学'''と呼ばれる。