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自然主義演劇について
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'''自然主義'''(しぜんしゅぎ、英: Naturalism、仏: naturalisme)または'''自然派'''(しぜんは)は、19世紀末に始まった文学運動。
 
[[エミール・ゾラ]]により定義されが提唱し学説理論の下、[[19世紀]]末、[[フランス]]を中心に起こった文学運動。自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する。[[チャールズ・ダーウィン]]の[[進化論]]や[[クロード・ベルナール]]著『実験医学序説』、[[オーギュスト・コント]]の[[実証主義]]、[[イポリット・テーヌ]]の[[決定論]]、ダーウィンの影響を受けた[[プロスペル・リュカ]]の[[遺伝学]]などの影響を受け、理論的根拠とした<ref name="加藤"/>。実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、[[遺伝]]と社会環境の因果律の影響下にある人間を、赤裸々に描き見出そうとするした。貧しい人々がうごめく姿が描かれることが多かった{{sfn|折島|2021|pp=14-15}}。
 
== フランス ==
19世紀末の[[フランス]]を中心にして起こった潮流で、19世紀後半のフランスで、[[エミール・ゾラ]]を中心に起こり、ヨーロッパ各国に広がった。アメリカ文学者の[[渡辺利雄]]は、リアリズムの一面を徹底させたヨーロッパの自然主義の特徴を「現実の醜い一面をあくまでも暴き出すが、自然主義はさらにそれが人間の[[内面]]の遺伝的な要素と外面的な環境によって生じた、人間にはどうしようもない結果であると[[決定論]]的に断定する。そして、それを試験管の中の化学反応を必然の結果として冷静かつ客観的に観察する科学者のように感情や、価値判断を加えずに描き出す。」と説明している{{sfn|渡辺|2007|pp=123-124}}。
 
1850年代に始まったフランスの[[写実主義]](リアリズム)小説は、次第に発達し、1870年代には自然主義小説と呼ばれ、以後20年ほど盛り上がりを見せた{{sfn|常岡|1992|pp=471-472}}。当時すでに時代遅れになっていた[[ロマン主義]]への反動として起こった<ref name="加藤">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/自然主義%28文芸%29-1542234|title=自然主義(文芸)|publisher= 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク|author=加藤尚宏|date= |accessdate=2023-03-07}}</ref>。フランスの文芸における自然主義の特徴は、1850年代から始まるフランス[[写実主義]]小説の極端な誇張に加えて、[[実証主義]]精神に一層自覚的であったことである{{sfn|常岡|1992|pp=471-472}}。18世紀の[[ドゥニ・ディドロ|ディドロ]]に代表される[[百科全書派]]あたりに源を発する実証主義は、文芸の分野では[[スタンダール]]、[[オノレ・ド・バルザック|バルザック]]から[[ギュスターヴ・フローベール|フローベール]]を経て、[[エミール・ゾラ]]へとつながっている{{sfn|常岡|1992|pp=471-472}}。哲学者の[[イポリット・テーヌ|テーヌ]]、医師の[[クロード・ベルナール]]のふたりが、ゾラに実証主義精神を最も強く鼓吹した人物で、この両者の実証主義の核にあたるのは、「宇宙のあらゆる現象が先行諸原因によって厳密に決定されている」と考える[[決定論]](デテルミニスム)的思考である{{sfn|常岡|1992|pp=471-472}}。これは、一切を「因果の必然」によって説明しようとする[[近代科学]]の世界観に基いている{{sfn|常岡|1992|pp=471-472}}。
 
人間の意志や行動は様々な要因によって決定されるという決定論は、十八世紀の主流の考え・価値観であった「人間の[[理性]]への信仰」を否定する{{sfn|平野|1976|pp=471-472}}。理性を否定された人間は、主体性を失った現象にすぎず、生命を持った存在というより、一個の物体であるといえる{{sfn|平野|1976|pp=471-472}}。そうなると、理性よりも感性が台頭し、理性の力で抑えられていた人間生来の本性、性欲・物欲といった欲望が表面化すると考えられ、自然主義文学では、どぎつく生々しい欲望の葛藤が描かれる{{sfn|平野|1976|pp=471-472}}。平野信行は、「自然主義の自然とはまさにそうした「本性」「本能」の意であって、その意味では、自然主義は「本性(能)主義」と称されてしかるべき特質を有しているのである。」と述べており、暗い、悲観的な思想であると言える{{sfn|平野|1976|pp=471-472}}。「因果律」を最重要視するいわば因果決定論、科学的決定論は、ゾラだけでなく、19世紀後半の写実主義作家や自然主義作家達の常識となり、以降の小説作法の強烈な縛りとなっていった{{sfn|常岡|1992|pp=471-472}}。
 
自然主義文学は、1865年前後のゾラや、[[エドモン・ド・ゴンクール]]と[[ジュール・ド・ゴンクール]]のゴンクール兄弟の小説にその最初の表現がみられる<ref name="加藤"/>。ゾラは1868年に『{{仮リンク|テレーズ・ラカン|fr|Thérèse Raquin}}』二版の序文で自然主義宣言を行い、以来ゾラを中心とするグループができ、一つの潮流になっていった<ref name="加藤"/>。ゾラは人間の行動を、遺伝、環境から科学的、客観的に把握しようとし、[[ルーゴン=マッカール叢書]]と呼ばれる作品群、貧しい夫婦の転落を描いた『[[居酒屋 (小説)|居酒屋]]』(1877年)、続編で、美しい女優(『居酒屋』の主人公夫婦の娘)が男たちを次々破滅に追い込み、自らも悲惨な最期を遂げる『[[ナナ (小説)|ナナ]]』(1880年)の中で、自らの論を実践した{{sfn|平野|1976|pp=471-472}}。『居酒屋』が出版されると、この文芸運動は時代を征し、{{仮リンク|ポール・アレクシス|fr|Paul Alexis}}、 {{仮リンク|アンリ・セアール|fr|Henry Céard}}、 {{仮リンク|レオン・エニック|fr|Léon Hennique}}、[[ジョリス=カルル・ユイスマンス]]、[[ギ・ド・モーパッサン]]、[[アルフォンス・ドーデ]]といった作家たちが生まれた<ref name="加藤"/>。ゾラは1880年に『実験小説論』で、人生は実験であり、作家はいわば、実験室の中の科学者として、作品の中の人物たちを客観的に観察するのだという考え方を打ち出し、人間は置かれた環境だけでなく、知・情の発達成長が遺伝に大きく左右されると主張し、自然主義理論を体系的に展開した{{sfn|平野|1976|pp=471-472}}{{sfn|渡辺|2007|pp=123-124}}。同年、{{仮リンク|メダン (フランス)|label=メダン|en|Médan}}にあるゾラの別荘に集まっていた[[ギ・ド・モーパッサン|モーパッサン]][[ジョリス=カルル・ユイスマンス|ユイスマン]]といった若い小説家たちと共に、中編小説集『 {{仮リンク|メダンの夕べ|fr|Les Soirées de Médan}}』(有名なモーパッサンの「[[脂肪の塊]]」を収録)を出版し、自然主義文学を強く印象付けた。
 
フランスの自然主義文学は、ゾラらの作品により注目を集め、海外にも影響を与えるようになった{{sfn|渡辺|2007|pp=123-124}}。社会の病悪を主なテーマに、社会、特に貧しい下層の環境を舞台に、そこに生きる人々を登場人物に、人間の醜さ、異常な面を強調し、克明に、酷薄に描いたが、露悪的でペシミスティックな傾向を強め、一般の反感を買うようになり、ゾラが1887年に『{{仮リンク|大地 (エミール・ゾラ)|label=大地|fr|La Terre (Zola)}} 』を出版すると、彼の弟子たちも反旗を翻し、自然主義を離れた<ref name="加藤"/>。ゾラ自身も社会主義的理想主義に転身し、フランスの自然主義文学は1880年代の終わりから急速に衰退した<ref name="加藤"/>。
フランスの自然主義文学は、ゾラらの作品により注目を集め、海外にも影響を与えるようになった{{sfn|渡辺|2007|pp=123-124}}。
 
==アメリカ==
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一方、社会の真実をみつめることは、20世紀の日本の資本主義の発展を認識するという側面もあり、それは[[1930年代]]になって、藤村が幕末社会を描き出した長編『[[夜明け前]]』や、秋声が集大成と言える『[[縮図 (小説)|縮図]]』を書いたように、必ずしも小世界にとどまらない傾向も存在し、同時期の[[プロレタリア文学]]の評論家の[[蔵原惟人]]が、自然主義のリアリズムを発展させる〈プロレタリア・リアリズム〉を主張したような、社会性に目を向けるという方向性も生み出した。
 
==自然主義演劇==
フランスの自然主義文学の影響を受け、演劇でも{{仮リンク|自然主義演劇|en|Naturalism (theatre)}}が盛り上がりを見せた。特に北欧で盛んであった<ref name="加藤"/>。イギリスの[[トーマス・ハーディ]]、ロシアの {{仮リンク|ピョートル・ボボルイキン|en|Pyotr Boborykin}}、[[ウラジーミル・コロレンコ]]、[[アントン・チェーホフ]]、ノルウェーのイプセン、ビョルンソン、スウェーデンのストリンドベリ、デンマークのヤコブセン、ポントピダン、オランダのクベールス、ベルギーのルモニエ、スペインのクラリン等の劇作家がいる<ref name="加藤"/>。
 
== 出典 ==