「自然法」の版間の差分
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なお、[[プラトン]]や[[アリストテレス]]等による、古代ギリシアにおける自然法・倫理・政治思想は、『[[国家 (対話篇)|国家]]』『[[ティマイオス]]』や『[[ニコマコス倫理学]]』等に述べられているように、また[[哲学]](philo-sophia/愛-知)という営みの原義からも分かるように、「知の徳性(知性)」を特別に重視しており、それを高めて「[[善のイデア]]・[[最高善]]」([[デミウルゴス]]・[[不動の動者]])を頂点とする「イデア的・神的な自然秩序」を把握しつつ、人間として可能な限りの[[幸福]]を享受すること(全国民に享受させること)、という明確な究極目的([[目的論]])の下に構築されており、その他の実践的な徳性としての[[中庸]]や、市民間の平等([[高貴な嘘]])等は、その善という究極目的へと共に向かうポリス共同体を成立・維持させるための手段・方便に過ぎない<ref name="kotobank"/>。
それに対して、(古代ローマの[[万民法]]や、知性よりも[[信仰]]を重視する中世の[[キリスト教神学]]を経由した後の)近世・近代における自然法思想・倫理・政治思想では、「(元来、自然権・自由を等しく保有する)個人間の同等性・公平性・平等性の尊重([[黄金律]])」(としての自然権(人権)思想・自由主義・平等主義・個人主義)それ自体が、絶対的な原則かつ目的と化しており、プラトン・アリストテレス的な究極目的(
== 歴史 ==
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