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{{Infobox 民族
|group = <small>'''カザフ'''</small><br/>{{Lang|kk|Қазақтар}}
|population = '''約316,00000万人'''
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カザフ人のほとんどは元来[[遊牧民]]で、20世紀初頭までは人口のほとんどが遊牧生活を行っていたが、ソ連で[[1930年代]]に大規模な定住化が政策として行われた結果、現在は都市民・農耕民となっている。しかし、定住化と近代化を経てもカザフ人のジュズ、部族、氏族に対する帰属意識はよく残っている。
 
==名称==
[[カザフ語]]による自称は'''カザク'''({{lang|kk|Қазақ}}、Qazaq)で、他称のカザフ({{lang|ru|Казах}}、Kazakh)は[[ロシア語]]名に基づく。カザクとは、「独立不羈の者」「放浪者」を指す[[テュルク諸語]]の言葉で、元来はもともとの[[部族]]集団などから離脱して独立した集団を形成した遊牧民のことを指し、ロシアのカザーク([[コサック]])と同一語源である。おそらくは混同を避けるために、[[20世紀]]前半にソビエト連邦によってカザフ民族として識別されるまで、カザフは誤って[[キルギス人|キルギス]]と呼ばれていた。
 
== 歴史 ==
カザフは、[[ジョチ・ウルス]]の祖である[[ジョチ]]の5男シバンの子孫[[シャイバーニー朝]]に率いられ、[[15世紀]]に南[[シベリア]]からカザフ草原あたりに遊牧していた[[ムスリム]](イスラム教徒)の遊牧民集団[[ウズベク人|ウズベク]]から離脱した人々が新たに形成した集団と考えられている。彼らは遊牧ウズベク集団に対抗し、ジョチの13男トカ・テムルの後裔で一時はジョチ・ウルスを再統一しかけた[[オロス]]の子孫、[[ジャニベク]]とケレイを[[君主]]に戴いた。[[1470年]]頃、[[バルハシ湖]]の南のセミレチエ地方(カザフスタンの旧首都[[アルマトゥ]]周辺)で王権を形成したジャニベクおよびケレイとその子孫の政権のことを'''[[カザフ・ハン国]]'''([[1456年]] - [[1822年]])と呼ぶ。
 
カザフ・ハン国はウズベクのシャイバーニー朝が南下して[[シルダリヤ川|シル川]]を渡り[[マー・ワラー・アンナフル]]、[[ホラズム]]に入った後、[[16世紀]]前半に西に大きく広がり、残余の遊牧民を取り込みながら現在のカザフスタンの領域のほとんどを支配するに至った。広大な領域を支配したカザフ・ハン国は分権傾向が強く、ジャニベクとケレイの子孫から分かれた様々な家系が全体に散らばって各地の小部族の君主となっていった。やがてカザフはカザフ草原の西部、中部、東部のそれぞれで地方的なまとまりを形成し、それぞれ[[#小ジュズ|小ジュズ]]([[:kk:Кіші жүз|kk]]、[[:de:Kleine Horde|de]]、[[1718年]] - [[1822年]])、[[#中ジュズ|中ジュズ]]([[:kk:Орта жүз|kk]]、[[:de:Mittlere Horde|de]]、[[1456年]] - [[1822年]])、[[#大ジュズ|大ジュズ]]([[:kk:Ұлы жүз|kk]]、[[:de:Große Horde|de]]、[[1718年]] - [[1822年]])という名で呼ばれる3つのジュズ(部族連合体)へと再編される。
 
[[17世紀]]から[[18世紀]]には東の[[モンゴル系]]遊牧民[[オイラト]]の攻撃をたびたび受け、特に18世紀初頭に受けた[[ジュンガル]]の[[ツェワンラブタン]]<!--[[ツェワン・アラプタン]]-->による侵攻は大きな被害をカザフに与えた。一方、北からは[[ロシア]]の影響力が浸透し、18世紀中頃、ロシアに近い西部と北部の君主たちはロシアへの臣従を誓った。しかしこの時点ではロシアへの影響力は決定的ではなく、東部ではジュンガルを滅ぼして[[東トルキスタン]](新疆)を領有した[[清]]に[[朝貢]]する君主も少なくなかった。この支配関係の緩い時代に清領の新疆に移住した部族が、現在の中国領・モンゴル領のカザフ人となる。
 
[[19世紀]]に入ると西部・中部の小ジュズ、中ジュズは完全にロシアの統治下に入り、南の[[コーカンド・ハン国]]に服従していた大ジュズもコーカンドがロシアに征服されるに及んでロシアの支配を受け入れた。[[ロシア帝国]]はカザフ人の遊牧する地域に州制を引いて5州を置き、草原の間に都市や要塞を築いて[[ロシア人]]の定住民を入植させた。ロシアの支配下でカザフ人は伝統的な遊牧生活を制限されたものの、帝国内の[[ムスリム]](イスラム教徒)の先進民族であった[[タタール人]]の影響を受けて、[[スンナ派]]の[[イスラム教]]が完全に定着し、ロシア人からヨーロッパ文明の影響も取り入れて民族意識を育んでいった。
 
[[20世紀]]前半、[[ロシア革命]]が起こるとカザフの知識人たちは[[アラシュ・オルダ]]を結成して自治運動に乗り出すが、[[1920年]]に赤軍の支配下に入り、[[1936年]]にソビエト連邦を構成する国のひとつ、[[カザフ・ソビエト社会主義共和国]]が形成された。ソ連は遊牧民の定住化を進めたが、定住化が始まった当初、慣れない定住生活と不作によって多くのカザフ人の命が失われたと言われる。
 
ソビエト連邦の解体により[[カザフスタン|カザフスタン共和国]]が独立し、カザフ人は民族国家を持つことになった。カザフ人の間では、ソ連のほかのムスリム民族に比べるとイスラムへの回帰も限定的であると言われ、カザフスタンは中央アジアの中でも特に親ロシア的であることが知られる。
 
== ジュズ(部族連合体) ==
カザフは、[[カザフスタン]]の東部、中部、西部において、各々大ジュズ、中ジュズ、小ジュズという名で呼ばれる3つのジュズ(部族連合体)に分かれている。
 
=== 大ジュズ ===
'''大ジュズ'''は、カザフ語でウル゠ジュス(又はウイスン)と呼ばれ、カザフスタンの南東部、アルマティ州、ジャンブール州及び南カザフスタン州に居住している。[[2000年]]までは、大ジュズが優勢なアルマ・アタ([[アルマトイ]])が首都だった。
 
大ジュズは、他のジュズよりもイスラム色が強く、伝統的なカザフ語、文化が最も良く保持されている。大ジュズは、現大統領の[[ヌルスルタン・ナザルバエフ]]、ソ連時代の第一書記[[ディンムハメッド・クナーエフ]]等、多くの政治家を輩出しており、その結果、大ジュズ優先の政策が取られる傾向にある。
 
==== 大ジュズの歴史 ====
1845年、カパル周辺に居住する大ジュズの部族がロシア国籍を受け入れ、この地方が[[ロシア帝国]]の注意を引く契機となった。[[ジュンガル]]部の陥落後、一部の部族は、[[中国]]の構成下に入った。
 
1840年代から、西のシルダリアと東のセミレーチエの両面からのロシアの侵攻が始った。シルダリアにはロシアの要塞が建設され、1853年、[[コーカンド・ハン国]]のアク・メチェチ(アク・メシット、現クズル・オルダ)要塞が奪取された。1854年にはヴェールヌイ要塞(アルマ・アタ)が築かれ、最初の[[コサック]]部隊が現れた。
 
1864年、ロシア軍により、アウリエ・アタ、チムケント、トルキスタンの要塞が奪取された。1865年までに、大ジュズが居住する全領域は、ロシア帝国に併合された。
 
==== 大ジュズの部族 ====
大ジュズは、11部族から成り、人口は、1989年のデータで約200万人だった。以下の11部族以外の小部族は、1931年から1932年の飢餓により消滅した。
* ジャライル部族
* オシャクトゥ部族
* ドゥラト部族
* スアン部族
* アルバン部族
* カンル部族
* シャヌシュクル部族
* サルウイスン部族
* シャプラシュトゥ部族
* スィルゲリ部族
* ウストゥ部族
 
=== 中ジュズ ===
'''中ジュズ'''は、カザフスタンの中央と北東部、北カザフスタン州、東カザフスタン州、パブロダール州、カラガンダ州、アクモラ州、コスタナイ州に居住する。
 
ロシアに最も近く、住民は都会化されており、文化人を多く輩出している。[[カザフスタン]]は[[1997年]]に首都を[[アルマトイ]]から中ジュズが優勢な[[アスタナ]]に移転した。
 
==== 中ジュズの歴史 ====
[[1738年]]から[[1741年]]、ジュンガル部の部隊が、中ジュズ領域に侵入した。[[1740年]]、中ジュズ部族長、[[アブライ・ハーン]]と[[アブルマムベト・ハーン]]は、ロシア国籍を受け入れた。[[1757年]]、アブライ・ハーンは、[[清]]の権力も認めた。
 
==== 中ジュズの部族 ====
[[1989年]]のデータで、約300万人である。
* アルグン部族 - 約50万人
* ナイマン部族 - 40万人以上
* クプシャク部族 - 14万~15万人
* ケレイ部族 - 10万~11万人
* ウアク部族 - 5万5千~6万人
* タラクト部族 - 1万人
* コヌラト部族 - 4万~4万5千人
 
=== 小ジュズ ===
'''小ジュズ'''は、アルシュンともいう。居住地域は、西カザフスタン州、アクトベ州、アティラウ州、マンギスタウ州等である。
 
[[1920年代]]の革命指導者の多くは、小ジュズ出身者だった。小ジュズの多くの者は、現体制に不満を持っており、独自のパラサト(理性)党を設立し、自治権の獲得を主張している。
 
==== 小ジュズの歴史 ====
[[1730年]]、小ジュズの集会は、[[ジュンガル]]部に対する軍事同盟をロシアと締結することを[[アブドゥル・ビー]]に要請した。[[ロシア帝国]]は、この要請を喜んで受け入れた。1731年、ロシアの使節団が到着し、アブドゥルは忠誠の宣誓を行った。
 
==== 小ジュズの部族 ====
以下の3大部族が有力で、150万人以下。[[1930年代]]の飢餓により大損害を被った。
* アリムル部族
* バイウル部族
* ジェティルゥ部族
 
== 中国の自治地方 ==
 
=== 自治州 ===
 
* [[新疆ウイグル自治区]]
** [[イリ・カザフ自治州]]
 
=== 自治県 ===
 
* [[甘粛省]]
** [[アクサイ・カザフ族自治県]]
* [[新疆ウイグル自治区]]
** [[バルクル・カザフ自治県]]
** [[モリ・カザフ自治県]]
 
=== 民族郷 ===
 
* [[クムル市]][[伊州区]]
** 烏拉台カザフ民族郷
** 徳外里都如克カザフ族郷
* [[アラトゥルク県]]
** 前山カザフ民族郷
* [[昌吉市]]
** 阿什里カザフ民族郷
* [[阜康市]]
** 三工河カザフ民族郷
** 上戸溝カザフ民族郷
* [[フトビ県]]
** 石梯子カザフ民族郷
* [[マナス県]]
** 清水河子カザフ民族郷
 
==遺伝的系譜==
[[ファイル:Genetic Landscape of Eurasia.jpg|サムネイル|現代のユーラシアの人口の間の推定された東西の混合。]]
カザフは[[モンゴロイド]]を基本として、[[コーカソイド]]の血が混ざる混合体である。遺伝子調査から、[[Y染色体ハプログループ]]が部族ごとに多様であることが判明しているが、平均すればモンゴロイド起源の[[ハプログループC-M217 (Y染色体)|C2系統]]が51%、[[ハプログループO (Y染色体)|O系統]]が11%、[[ハプログループN (Y染色体)|N系統]]が5%、[[ハプログループD (Y染色体)|D系統]]が0.5%、あわせて七割ほどを占め、コーカソイド由来の[[ハプログループR (Y染色体)|R系統]]が12%、[[ハプログループJ (Y染色体)|J系統]]が8%、[[ハプログループG (Y染色体)|G系統]]が5%、[[ハプログループE (Y染色体)|E1b-M35]]が2%、[[ハプログループI (Y染色体)|I系統]]が1.5%、あわせて三割ほど占めているという結果が得られた。<ref name = "Ashirbekov2017">E. E. Ashirbekov, D. M. Botbaev, A. M. Belkozhaev, A. O. Abayldaev, A. S. Neupokoeva, J. E. Mukhataev, B. Alzhanuly, D. A. Sharafutdinova, D. D. Mukushkina, M. B. Rakhymgozhin, A. K. Khanseitova, S. A. Limborska, N. A. Aytkhozhina, "Distribution of Y-Chromosome Haplogroups of the Kazakh from the South Kazakhstan, Zhambyl, and Almaty Regions." ''Reports of the National Academy of Sciences of the Republic of Kazakhstan'', ISSN 2224-5227, Volume 6, Number 316 (2017), 85 - 95.</ref><ref>Zerjal T, Wells RS, Yuldasheva N, Ruzibakiev R, Tyler-Smith C (September 2002). "A genetic landscape reshaped by recent events: Y-chromosomal insights into central Asia". Am. J. Hum. Genet. 71 (3): 466–82. doi:10.1086/342096. PMC 419996. PMID 12145751.</ref>
 
[[ミトコンドリアDNAハプログループ]]については、モンゴロイド系タイプが六割~七割ほど、コーカソイド系タイプが三割~四割ほど占めているという結果が発表されており、<ref>"aDNA from the Sargat Culture" by Casey C. Bennett and Frederika A. Kaestle". Retrieved 18 March 2015.</ref><ref name = "Gokcumen2008">Omer Gokcumen, Matthew C. Dulik, Athma A. Pai, Sergey I. Zhadanov, Samara Rubinstein, Ludmila P. Osipova, Oleg V. Andreenkov, Ludmila E. Tabikhanova, Marina A. Gubina, Damian Labuda, and Theodore G. Schurr, "Genetic Variation in the Enigmatic Altaian Kazakhs of South-Central Russia: Insights into Turkic Population History." ''American Journal of Physical Anthropology'' 136:278–293 (2008). DOI 10.1002/ajpa.20802</ref> Y染色体の比率とあまり差異が無い。
 
ゲノム調査によると、カザフ人は主に東アジア起源であり、2つの東アジア関連の要素があります。1つは北東アジアの歴史的なアムール川の農民に関連する主要な要素であり、もう1つは歴史的な黄色の川の農民に関連する小さな要素です(漢民族の間で一般的です)<ref>Kidd et al. 2009, Am J Hum Genet. Dec 11, 2009; 85(6): 934–937. doi: 10.1016/j.ajhg.2009.10.024</ref><ref>{{Cite journal|last=Kairov|first=Ulykbek|last2=Molkenov|first2=Askhat|last3=Rakhimova|first3=Saule|last4=Kozhamkulov|first4=Ulan|last5=Sharip|first5=Aigul|last6=Karabayev|first6=Daniyar|last7=Daniyarov|first7=Asset|last8=H.Lee|first8=Joseph|last9=D.Terwilliger|first9=Joseph|date=2021-02-04|title=Whole-genome sequencing data of Kazakh individuals|url=https://doi.org/10.1186/s13104-021-05464-4|journal=BMC Research Notes|volume=14|issue=1|pages=45|doi=10.1186/s13104-021-05464-4|issn=1756-0500|pmid=33541395|pmc=7863413}}</ref>。
 
== 著名人 ==
* [[ヌルスルタン・ナザルバエフ]] - [[カザフスタン]]の政治家で初代大統領。
* [[アシハテ・クリムバ]] - [[新疆ウイグル自治区]]政協主席。
* [[サビーナ・アルシンベコバ]] - [[バレーボール]]選手で、[[バレーボールカザフスタン女子代表|カザフスタン女子代表]]。
 
== 関連項目 ==
* [[中国の少数民族]]
* [[カザフの新疆脱出]]
 
== 外部リンク ==
{{commonscat|Kazakh people}}
* [http://www.recordchina.co.jp/group/g419.html カザフ族(写真と概要)] - [http://www.recordchina.co.jp Record China]
* [http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/minzu/22/22.htm カザフ(哈薩克)族]
 
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{notelist}}
===出典===
{{Reflist}}
 
{{カザフスタン関連の項目}}
{{テュルク系民族}}
{{中華民族}}
{{Authority control}}
 
{{DEFAULTSORT:かさふ}}
[[Category:トルキスタン]]
[[Category:中国の民族]]
[[Category:キルギスの民族]]
[[Category:カザフスタンの民族]]
[[Category:中央ユーラシア史]]
[[Category:チュルク系民族]]
[[Category:遊牧民]]
 
==名称==