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'''新幹線100系電車'''(しんかんせん100けいでんしゃ)は、[[日本国有鉄道]](国鉄)が開発した[[東海道・山陽新幹線]]の第2世代[[新幹線車両|新幹線]][[電車]]である。[[国鉄分割民営化]]後は[[東海旅客鉄道]](JR東海)に継承されその後増備したほか、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では'''100N系'''として新製投入した。
 
== 概要 ==
東海道・山陽新幹線の本格的モデルチェンジ車として、[[1985年]]から[[1992年]]までに16両編成66本の計1,056両が製造・投入された。[[近畿日本鉄道]]の[[ビスタカー]]や欧米各地の鉄道で導入されていた[[2階建車両]]を国鉄車両および新幹線電車で初めて組み込み、座席数の増加やサービスの向上など新幹線の宣伝やイメージアップにつながった<ref name="RFN707_3" /><ref name="RFN707_4">[[新幹線100系電車#レイルファン707_1|『RAIL FAN』通巻707号、p.4]]</ref>。内装や技術面で、これ以降生産される新幹線車両に搭載されることとなった設備・技術も数多い。
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==== JR西日本への譲渡 ====
[[File:G1 Kodama 464 Nagoya 20030509.JPG|220px|thumb|JR西日本に譲渡されたG1編成]]
[[1996年]]にG1 - G3・G6の4本、[[1997年]]にG4・G5・G7の3本、7編成の計112両がJR西日本へ譲渡された<ref name="JRR 2011 56" />。当時JR西日本保有の16両編成のほとんどは0系で、走行距離精算のために東京直通「ひかり」にもJR西日本保有の0系を充てる状況であった。しかし、それでは0系の[[運転曲線]]を基準にしたダイヤを組まなくてはならないため、これを問題視したJR東海がJR西日本に譲渡したものである。また、JR西日本も[[阪神・淡路大震災]]で山陽区間に閉じ込めとなったG編成の検査経験があることから譲渡が実現した。JR西日本に譲渡されたG1 - G7編成は、0系のN<small>H</small>編成の運用をそのまま置き換えたため、運輸上の区別では「N編成」と称されていた<ref name="RM238_30">[[#レイルマガジン238|『レイルマガジン』通巻238号、p.30]]</ref>。譲渡後は東海道直通だけでなく、車両の東海道新幹線内への送り込みと博多総合車両所への返しを兼ねて山陽区間のみの「ひかり」にも使用された<ref group="注">100系消滅後の300系・700系・N700系でも、JR西日本所属車で同様の運用が組まれており、現在のひかり591・592号に相当する。</ref>。そのG編成のうち、[[1999年]][[11月9日]]付けでG6編成の9両<ref group="注">4 - 9, 12, 13, 15号車/125-46 - 48, 512, 126-56 - 59, 148-6, 149-106</ref><ref name="Hikari 100 G">{{Cite book|和書|title=名列車列伝シリーズ13 新幹線ひかり&新幹線100系電車 |year=2000|publisher=[[イカロス出版]]|page=113|id= ISBN 4-87149-296-6}}</ref>、[[2000年]][[2月7日]]付けでG2編成の3両<ref group="注">5, 10, 14号車/125-30, 116-8, 126-40</ref><ref name="Hikari 100 G" />、同年[[3月27日]]付けでG6編成の1両<ref group="注">2号車/126-56</ref><ref name="Hikari 100 G" /> が廃車となり、残った車両で新G2編成を組成した<ref group="注">G2編成の5, 10, 14号車の位置にG6編成の3, 10, 14号車を連結した。</ref>。なお、このとき組成から外れたG6編成の3両<ref group="注">1, 11, 16号車/123-12, 125-706, 124-12</ref> は保留車となり、K・P編成組成時に使用された。なおこの後もJR西日本は700系でJR東海から16両編成の譲渡を受けている<ref group="注">2011年~2012年にかけて300系F編成を置き換える為に譲渡された。</ref>
 
[[2000年]]以降、JR西日本が所有することとなった「こだま」用のK・P編成を製作する際に必要な先頭車(121形・122形)と[[車椅子スペース]]設置車(125形3700番台)が不足するため、JR東海所有のG編成のうちG9・G10・G15・G19・G30・G43編成<ref group="注">回送・譲渡日時は、G9:2001年3月14日、G10:2002年2月4日、G15:2001年12月5日、G19:2001年7月5日、G30:2002年7月4日、G43:2002年11月5日。</ref> が、8両に減車(1/2/11/12/13/14/15/16号車)されて浜松工場から博多総合車両所まで自力回送された<ref name="Umehara Toura">{{Cite book|和書|title=新幹線、国道1号を走る|year=2009|publisher=交通新聞社|editor=梅原淳・東良美季|pages=192-193|id=ISBN 9784330101095}}</ref>。回送された車両のうち、両先頭車(123形・124形)と車椅子スペース設置車(125形700番台)がJR西日本に譲渡され<ref>『鉄道ファン』2003年7月号、交友社、2003年、p.91</ref>、譲渡されなかった車両は博多総合車両所で廃車・解体された<ref name="Umehara Toura" />。