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=== ザーブ河畔の戦い ===
こうした不満を受けてイラン東部の[[ホラーサーン]]地方において747年に反ウマイヤ朝軍が蜂起した。反体制派の[[アラブ人]]とシーア派の非アラブムスリム(マワーリー)である改宗[[ペルシア人]]からなる反ウマイヤ朝軍は、749年9月に[[イラク]]中部都市[[クーファ]]に入城し、[[サッファーフ|アブー=アル=アッバース]](サッファーフ)を初代[[カリフ]]とする新王朝の成立を宣言した。翌750年1月、アッバース軍が{{仮リンク|ザーブ河畔の戦い|en|Battle of the Zab}}でウマイヤ朝軍を倒し、アッバース朝が建国された。ウマイヤ朝の王族のほとんど徹底的残党狩りによって根絶やし弾圧されたが、第10代カリフ・[[ヒシャーム]]の孫の一人が逃げ延び、モロッコまで逃れた。彼は後に[[イベリア半島]]に移り、756年には[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]で[[後ウマイヤ朝]]を建国して[[アブド・アッラフマーン1世]]と名乗ることとなった。
 
=== アッバース革命 ===