「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」の版間の差分
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本作は珠玉の[[反戦]]映画と評価を得て、当時の金額で配収2000万円の東横映画史上最大のヒット{{R|nikkei941127|avj199501|mainichi19930707|jsc199508|風雲}}。瀬死の状態にあった東横映画を救ったが{{R|avj199501}}、当時まだ配給網を持っていなかった東横映画には、あまりお金が入ってこなかったといわれる{{R|岡田|悔いなき|風雲}}。しかしこの映画こそ、東映が翌1951年に発足される切っ掛け{{R|時報9503}}、原点となり{{R|avj199501}}、東映の魂ともなる記念碑的作品となったと評される{{R|avj199501}}<ref>[[#論叢36]]、58頁</ref>。[[松島利行]]は「もしもこの映画が製作されなかったら、今日の東映はなかっただろう。少なくとも東映の歴史は全く違ったものになっただろう」と述べている{{R|mainichi19911225}}。[[中島貞夫]]は「東横映画時代に岡田さんが実質的な初プロデュース作として現場を指揮して、それがそのまま会社組織になって翌年『東映』になった。僕はそう認識しています」と述べている{{R|東映キネ旬70}}。[[春日太一]]は「『きけ、わだつみの声』は『[[暁の脱走]]』『[[また逢う日まで (1950年の映画)|また逢う日まで]]』と同じく、[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]の日本映画を語る上で重要な作品」と評価している{{R|春日}}。
[[戦前#日本|戦前]]の日本社会では大学の学生はそれ自体[[エリート#日本|エリート]]で[[徴兵]]を猶予されていたが、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]との戦争が始まった後はその特権がなくなった{{R|大島渚著作集}}。本作は[[ジャングル (森林の型)|ジャングル]]と雨と泥濘の[[ビルマの戦い|ビルマ戦線]]を敗走する[[大日本帝国陸軍|日本軍]]の中で、大学からそのまま戦場に送られた[[学徒出陣|学徒兵]]たちが闇の中を姿なく飛来する敵の弾丸に倒れ、病と飢えで死んでゆく。その中で大声では語られぬ戦争への呪詛が囁かれ、果たすことのできなかった学業への悔恨が語られる{{R|大島渚著作集}}。それらの声はあまりにもかぼそく弱々しく、爆撃と銃声と怒号と絶叫の中でかき消される。善玉悪玉的な描き方に問題はあるものの、日本映画として戦後初めて戦争特に戦場の恐怖と悲惨が本格的に描かれたこと、はっきり反戦という立場に立ってなされたことで興行的に大成功し、以降、多くの反戦映画が作られる切っ掛けとなった{{R|大島渚著作集}}。
== 出典 ==
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