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::那須郡【現在の[[大田原市]]、[[那須町]]、[[那須塩原市]]、[[那珂川町 (栃木県)|那珂川町]]等】:小社3
::寒川郡【現在の[[小山市]]の一部】:小社2
*一方、下毛野国と那須国は[[7世紀]]後半に統一されて[[下野国]]、すなわち栃木県の現在の形が作られた。下野国は9郡([[足利郡]]、[[安蘇郡]]、[[梁田郡]]、[[下都賀郡|都賀郡]]、[[河内郡]]、[[芳賀郡]]、[[那須郡]]、[[寒川郡 (下野国)|寒川郡]]、[[塩谷郡]])に分かれ、政治の中心として[[国府]]が置かれた。国府付近には、国分寺・国分尼寺・[[下野薬師寺]]がつくられ、都から伝えられた華やかな文化が栄えた。
*[[日光東照宮|日光]]開山の祖と知られる勝道上人は、下野薬師寺で5年間修行した後、二荒(男体)山頂を目指して日光に入り、[[766年]]対岸に輪王寺の起こりとされる四本龍寺を建立、日光山を開いた。[[782年]]には、3度目の試みで山頂に達し、その後、神宮寺(現在の中善寺)や二荒山神社を建立、日光1200年の原点を築いた。「日光」という地名は二荒(ふたら)を音読した「にこう」に佳字をあてたものである。