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'''黄 忠'''(こう ちゅう、{{拼音|Huáng Zhōng}}、? - [[220年]]8月)は、[[中国]][[後漢]]末期から[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[蜀漢]]にかけての将軍。[[字 (人名)|字]]は'''漢升'''(かんしょう)。[[荊州]][[南陽郡]]の人。子は[[黄叙]]。同族に[[黄祖]]。[[劉備]]に仕え、[[益州]]や[[漢中郡|漢中]]の攻略等で活躍した。
 
== 生涯 ==
=== 出自 ===
[[荊州]]北端の[[南陽郡]]は州都で、其処の大家が[[南陽黄氏]]である。[[劉表]]は荊州赴任時に南陽を通り黄氏から人材をスカウトした。黄祖に従う形で黄忠も荊州に赴く事となったが、それ迄の前歴は不明である。
 
=== 劉備軍の勇将 ===
[[劉表]]に仕え、[[中郎将]]に任じられた。また、劉表の[[従子]]である[[劉磐]]と共に、[[長沙郡]]の[[攸県]]の守備の任についていた。しかし劉表が亡くなり、[[曹操]]が荊州を降伏させた後は、曹操より仮の裨将軍に任じられ、職務はそのままで長沙[[太守]]であった[[韓玄]]の配下についた。