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中学時に V55 ([[Technics]]) という50万円の[[コンポーネントステレオ]]が欲しくて、当時50万円だった賞金目当てに[[手塚賞]]への応募を始める。最初の道具は[[手塚治虫]]の入門書を読んで小遣いで揃えた物だった<ref>{{Cite web|author = 桂正和|date = 不明|url = http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/katsura/|title = ファンタジーコミック大賞特別企画第2弾 桂正和先生インタビュー|work = [http://www.shueisha.co.jp/fantasy-taishou/index.html ファンタジーコミック大賞]|publisher = [[集英社]]|accessdate = 2009-10-17}}</ref>。それまでは漫画家を目指していたわけでもない上に漫画もほとんど読んでおらず<ref name="asabi">{{Cite web|author = 桂正和・松岡和彦|date = 2007-1-20|url=http://www.asabi.ac.jp/topics/katsura_matsuoka_taidan2006.php|title = 桂正和×本校教員松岡和彦対談|work = [http://www.asabi.ac.jp/ 阿佐ヶ谷美術専門学校]|publisher = [[阿佐ヶ谷美術専門学校]]|accessdate = 2013-01-01}}</ref>、当初は賞金だけが目的であった。目的のコンポは賞金を手に入れる前に買ってもらったが、漫画を描き続ける中で描く面白さを覚える<ref name="asabi" />。
 
=== マンガ家デビュー前後 ===
[[高等学校|高校]]時には授業中に[[ペン入れ]]をするなどして漫画に没頭する。そして[[1980年]](昭和55年)の高校卒業間際に[[週刊少年ジャンプ#新人漫画家の募集企画|フレッシュジャンプ賞]]に投稿した作品が選外ながらも[[編集者]]・[[鳥嶋和彦]]の目に止まり、また同時期に手塚賞に応募していた「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」が佳作に入選する<ref name="4crp71p">この段落は『4C R-side』71頁 を参照。</ref>{{R|完全超悪335}}。
 
高校時代には『[[電子戦隊デンジマン]]』をきっかけとし[[東映]]の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]にのめり込む<ref name="cm14p14"> 『コミッカーズ』1995年夏号、14頁。</ref>(詳細は[[#趣味|趣味の節]]で[[#特撮ヒーロー|後述]])。こうした特撮ヒーロー物のファンゆえ、そのトレースしただけのような[[サイエンス・フィクション|SF]]作品ばかりを描いていたが、担当となった鳥嶋に[[ラブコメディ]]作品を描くように薦められ「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」を執筆する。同作は初めてのラブコメであったにもかかわらず手塚賞準入選に入賞して『[[週刊少年ジャンプ]]』 (以下『WJ』)に掲載され、[[専修学校|専門学校]]在籍中に漫画家としてのデビューを果たす
 
その後『WJ』において、1983年から『[[ウイングマン]]』の連載を開始するし多忙となったこと、そして3年への進級に失敗したこと<ref name="asabi" />から専門学校を中退<ref name="istyle1" />。同作は自身の好きなヒーロー物にラブコメディ要素を取り入れたことによりヒットし、アニメ化もされた<ref name="4crp71p" />。
しかし、担当となった鳥嶋に[[ラブコメディ]]作品を描くように薦められ「[[桂正和コレクション#転校生はヘンソウセイ!?|転校生はヘンソウセイ!?]]」を執筆する。同作は初めてのラブコメであったにもかかわらず、手塚賞準入選に入賞して『[[週刊少年ジャンプ]]』 (以下『WJ』)に掲載され、[[専修学校|専門学校]]在籍中に漫画家としてのデビューを果たす。
 
=== 電影少女恋愛作品ヒット ===
===ウイングマンで連載デビュー===
『ウイングマン』終了後は『[[超機動員ヴァンダー]]』『[[プレゼント・フロム LEMON]]』と短期終了の連載が2作続き、不遇の時代を迎える。再び担当となった鳥嶋のサポートから「恋愛モノ」に取りかかり、『ウイングマン』とは逆に恋愛にSF要素を取り入れた読切「[[電影少女#ビデオガール|ビデオガール]]」を[[1989年]]([[平成]]元年)に発表同年さら、読切作品これを基にした『[[電影少女]]』の連載を開始する。
『WJ』において、1983年から『[[ウイングマン]]』の連載を開始する。同作は自身の好きなヒーロー物にラブコメディ要素を取り入れたことによりヒットし、アニメ化もされた<ref name="4crp71p" />。
 
この頃、連載作家となり多忙となったことと、3年への進級に失敗したこと<ref name="asabi" />から専門学校を中退している<ref name="istyle1" />。
 
=== 不遇の時代 ===
『ウイングマン』終了後は『[[超機動員ヴァンダー]]』『[[プレゼント・フロム LEMON]]』と短期終了の連載が2作続き、不遇の時代を迎える。
 
その後、入院によって漫画の描けない生活を送っており、手が自分の絵を忘れてしまったことも転機となり、自分のキャラクターの容姿に飽きたこと、アイドル好きが加熱していたこと、自分の絵よりも現実の女の子の方がかわいいと思っていること…などの理由から、今のリアルなキャラクターを生み出すに至った。
 
=== 電影少女の大ヒット ===
再び担当となった鳥嶋のサポートから「恋愛モノ」に取りかかり、『ウイングマン』とは逆に恋愛にSF要素を取り入れた読切「[[電影少女#ビデオガール|ビデオガール]]」を[[1989年]]([[平成]]元年)に発表。同年に、読切作品を基にした『[[電影少女]]』の連載を開始する。
 
『電影少女』は単行本巻数としては『WJ』時代最長となる15巻まで続き、[[OVA]]化・[[実写]]映画化など様々な[[メディアミックス]]展開が行われるヒット作となった。両作は桂にとって漫画家としてのターニングポイントとなっており、作風に様々な変化をもたらした(詳細は[[#作風|作風の節で後述]])。
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また、[[1989年]](平成元年)に公開された[[映画]]『[[バットマン (映画)|バットマン]]』をきっかけに桂は『[[バットマン]]』のファンとなり<ref name="#1">『フィギュア王』NO.27、10頁。</ref>、以降の作品に影響を与えた<ref name ="cdb4p2">『キャラクター・デザイン・バイブル vol.4』2頁。</ref>(詳細は[[#趣味|趣味の節]]で[[#バットマン|後述]])<ref name="4crp71p" />。
 
=== SFアクション作品の連載~恋愛作品 ===
『電影少女』終了後、[[1992年]](平成4年)からは鳥嶋が創刊編集長を務めた『[[Vジャンプ|週刊少年ジャンプ特別編集増刊 V JUMP]]』<ref group="注" name="wvj">『[[週刊少年ジャンプ|WJ]]』の増刊号として発行された『[[Vジャンプ]]』の前身。</ref>において『[[SHADOW LADY]]』【VJ版】を連載<ref group="注" name="vj">正確には第4話までが『WJ増刊 V JUMP』に掲載され、最終話(第5話)は『WJ』から独立し月刊誌となった『Vジャンプ』創刊号に掲載された。</ref>、その後『WJ』に戻り[[1994年]](平成6年)から『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]』、[[1995年]](平成7年)からは『SHADOW LADY』【WJ版】とアクション色の強い作品を続けて発表する。『D・N・A² 』の連載は単行本5巻分と比較的短期間だったが、テレビアニメ化されている<ref>この段落は『4C R-side』72頁 を参照。</ref>。
 
その後『WJ』に戻り[[1994年]](平成6年)から『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]』、[[1995年]](平成7年)からは『SHADOW LADY』【WJ版】とアクション色の強い作品を続けて発表する。『D・N・A² 』の連載は単行本5巻分と比較的短期間だったが、テレビアニメ化されている<ref>この段落は『4C R-side』72頁 を参照。</ref>。
 
=== I"sの大ヒット ===
[[1996年]](平成8年)には初の青年誌向け作品<ref group="注" name="young">青年誌初掲載作品はWJ増刊時代の『[[スーパージャンプ]]』に掲載された「[[桂正和コレクション#小さな灯り|小さな灯り]]」(1988年)。</ref>として『[[M エム|エム]]』を『[[MANGAオールマン]]』にて発表する。
 
そして翌[[1997年]](平成9年)にはWJ編集部の意向に沿う形で、SF要素を一切排した恋愛漫画『[[I"s]]』の連載を開始する<ref name="4crp72">『4C R-side』72頁。</ref>。電影少女をさらに超えるハイクオリティーな作画は話題となり、当時のマンガ業界に大きな影響を与えた。同作は『WJ』時代最長の作品<ref group="注">単行本巻数は『電影少女』と同じ15巻だが、話数では本作の方が13話長い。</ref>となり、連載終了後にもメディアミックスが行われるヒット作となった。
 
=== ヤングジャンプへの移籍 ===
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特撮変身ヒーローのファンであり、好きな作品としては[[スーパー戦隊シリーズ]]の『[[電子戦隊デンジマン]]』、[[宇宙刑事シリーズ]]の『[[宇宙刑事シャイダー]]』、[[ウルトラシリーズ]]の『[[ウルトラマン]]』を挙げている<ref name="HH" />。中でも[[高等学校|高校]]時代<ref name="cm14p14" />に出会った『デンジマン』は特撮ヒーローに夢中となるきっかけとなった作品であり、「[[紀元|エポック]]」であり「僕の中で[[スーパー戦隊シリーズ|戦隊物]]であれを越えられる物はない」と語っている<ref name="cdb4p2" />。特撮に対する熱意は作品鑑賞には留まらず、[[専修学校|専門学校]]時代には自主制作映画の中で『[[太陽戦隊サンバルカン]]』の[[コスプレ]]を行い<ref name="asabi" />、学園祭には『[[大戦隊ゴーグルファイブ]]』のレッドのコスプレで参加していた<ref name="4crp93">『4C R-side』93頁。</ref>。
 
そして特撮は単なる趣味に留まらずに作品にも多大な影響を与えており、中でも[[東映]]作品は桂がヒーロー物を描くようになった原点となっている<ref name="4crp71" />。デビュー時期に執筆された短編「[[桂正和コレクション#学園部隊3パロかん|学園部隊3パロかん]]」とその続編「学園部隊3パロかんII」は、戦隊物の自己紹介アクションを漫画で表現することを目的として執筆されたものであり<ref name="3paro">桂正和『[[桂正和コレクション]] VOL.1』発行:創美社、販売:集英社〈ジャンプスーパーエース〉1989年4月15日、 {{ISBN2|4-420-13717-7}}、140頁。</ref>、『サンバルカン』や『[[バトルフィーバーJ]]』といった戦隊物の[[パロディ]]作品となっている。そして同シリーズに先立ち執筆され、デビューのきっかけとなった短編「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」は『デンジマン』に熱中していた時に描かれた作品であり<ref name="3paro" />、本作を基として描かれた連載デビュー作『ウイングマン』も様々な面で特撮の影響下にある作品となっている。そもそもとして同作は「東映の特撮物を、自分で動かしてやってみたい」という動機で描かれた作品であり、作中ヒーローであるウイングマンのデザインは[[鳥類|鳥]]を基本とした上で、「デンジマンの目がないところ」と「胸から腕までの白いライン」を基とし、デンジマンのシンプルさを目指してデザインされた物である<ref name="HH" />。また『ウイングマン』という名称もウルトラマンに字数と「ウ」から始まり「マン」で終わるところを合わせて命名されたものである<ref name="HH" />。連載開始後にはウイングマンの衣装を[[オーダーメイド]]で製作。自らの体型に合わせた特注品であり制作費用は100万円以上であった。その衣装を纏い、単行本各巻の目次背景に写真を掲載<ref>桂正和「おにいさんは怒ってるんだぞ! のコーナー」『ウイングマン』4巻〈JC〉、24頁。</ref>、さらに単行本ではおまけページにおいて変身アクションの解説も作成している<ref>桂正和「アクションをおぼえて、キミもウイングマンになろう! 」『ウイングマン』2巻〈JC〉87・148頁。</ref>。[[ファンロード]]1984年4月号においてもウイングマンの衣装を携え「桂正和先生コスプレ対談」(P.12・13、29 - 34)を行い、ファンロード側が手配した当時の女性コスプレイヤー<!--筒井雪世-->の"小川美紅"と誌面を飾った。また、週刊少年ジャンプ1985年6月17日号(No.27)で連載100回を迎えた記念として、新コスチュームを制作([[レインボー造型企画]]製)、桂自らが着用して巻頭グラビアで披露した
 
そして同シリーズに先立ち執筆され、デビューのきっかけとなった短編「[[桂正和コレクション#ツバサ|ツバサ]]」は『デンジマン』に熱中していた時に描かれた作品であり<ref name="3paro" />、本作を基として描かれた連載デビュー作『ウイングマン』も様々な面で特撮の影響下にある作品となっている。そもそもとして同作は「東映の特撮物を、自分で動かしてやってみたい」という動機で描かれた作品であり、作中ヒーローであるウイングマンのデザインは[[鳥類|鳥]]を基本とした上で、「デンジマンの目がないところ」と「胸から腕までの白いライン」を基とし、デンジマンのシンプルさを目指してデザインされた物である<ref name="HH" />。
 
また、『ウイングマン』という名称も、ウルトラマンに字数と「ウ」から始まり「マン」で終わるところを合わせて命名されたものである<ref name="HH" />。連載開始後にはウイングマンの衣装を[[オーダーメイド]]で製作。自らの体型に合わせた特注品であり制作費用は100万円以上であった。その衣装を纏い、単行本各巻の目次背景に写真を掲載<ref>桂正和「おにいさんは怒ってるんだぞ! のコーナー」『ウイングマン』4巻〈JC〉、24頁。</ref>、さらに単行本ではおまけページにおいて変身アクションの解説も作成している<ref>桂正和「アクションをおぼえて、キミもウイングマンになろう! 」『ウイングマン』2巻〈JC〉87・148頁。</ref>。[[ファンロード]]1984年4月号においてもウイングマンの衣装を携え「桂正和先生コスプレ対談」(P.12・13、29 - 34)を行い、ファンロード側が手配した当時の女性コスプレイヤー<!--筒井雪世-->の"小川美紅"と誌面を飾った。また、週刊少年ジャンプ1985年6月17日号(No.27)で連載100回を迎えた記念として、新コスチュームを制作([[レインボー造型企画]]製)、桂自らが着用して巻頭グラビアで披露した。
 
=== バットマン ===