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*[[仏教学者]]・[[居士|禅者]]の[[鈴木大拙]]は、柳の学習院高等科時代の英語教師であり、終生師事・交流した{{Efn2|柳宗悦から鈴木大拙へ{{Quotation|先生は、絶えず希望を持ち計画を立て、いつも何か新しい仕事を企てられているが、九十歳の老齢で、この旺盛な意欲を持たれ前進して行かれるのは驚くほかはない。恐らくこれがまた、先生をして長寿を保たせているその秘訣かと思われるが、嘗てブライスが私に言ったように全くirreplacable-man(かけがえのない人)という評が大いに当たっていよう。|柳宗悦|「かけがえのない人」<コレクション1>ちくま学芸文庫、2010年12月 {{ISBN2| 9784480093318}}}}}}。柳への弔辞「柳君を憶ふ」がある<ref>『民藝』第102号(1961年6月)「柳君を憶ふ / 鈴木大拙」 p4</ref>{{Efn2|鈴木大拙から柳宗悦へ(弔辞){{Quotation|君は天才の人であった。独創の見に富んでいた。それはこの民藝館の形の上でのみ見るべきでない。日本は大なる東洋的「美の法門」の開拓者を失った。これは日本だけの損失でない、実に世界的なものがある。まだまだ生きていて、大成されることを期待したのであったが、世の中は、そう思うようには行かぬ。大きな思想家、大きな愛で包まれている人、このような人格は、普通に死んだといっても、実は死んでいないと、自分はいつも今日のような場合に感ずるのである。不生不死ということは、寞寞寂寂ということではない。無限の創造力がそこに潜在し、現成しつつあるとの義である。これを忘れてはならぬ。これは逝けるものを弔うの言葉でなくて、実は参会の方々と共に自分を励ます言葉である。|鈴木大拙|「柳君を憶ふ」『民藝』2013年10月号(再掲)}}}}。
*[[バーナード・リーチ]]との交友は終生続き、各・柳の編著で『バーナード・リーチ日本絵日記』([[毎日新聞社]]、1955年/[[講談社学術文庫]]、2002年、補訂解説[[水尾比呂志]])、リーチ・[[河井寛次郎]]・[[濱田庄司]]述『焼物の本』([[共同通信社]]、1985年、解説水尾比呂志。日本民藝館創立50周年記念で復刻)が刊行。<br />[[2010年代]]に[[日本民藝館]]学芸部編・刊で、リーチ英訳版『美の法門 ''The Dharma Gate of Beauty''』(岡村美穂子監修、2016年)、『バーナード・リーチ作品集』(水尾比呂志、[[鈴木禎宏]]解説、[[筑摩書房]]、2012年)、英文『柳宗悦とバーナード・リーチ往復書簡』(岡村美穂子・鈴木禎宏監修、2014年)が刊行された。
*[[沖縄学|沖縄文化]]を生涯にわたり紹介し、1938年〜1940年にかけ[[沖縄県]]に4度滞在調査した{{Efn2|p367「1938年12月27日~1939年 1月13日」p369「1939(昭和 14)年3月~4月、同年12月~1940(昭和15)年1月、同年7月~8月」並松信久2016『柳宗悦と沖縄文化』京都産業大学論集人文科学系列第49号}}<ref>『季刊 新沖縄文学 80号 特集 沖縄と柳宗悦』([[沖縄タイムス]]社、1989年)に詳しい{{Full citation needed |title=この文献の正確なタイトルは『新沖縄文学 80号 1989・夏』、編者は国吉永啓、出版者が沖縄タイムス、というのが正確ではないかと思われますが、いかがでしょうか。 |date=2019-06-11}}</ref>。『選集 第5巻<br />『沖縄の人文』(旧版は「選集 第5巻」春秋社、新版は[[電子書籍]]・[[グーテンベルク21]])、集大成『全集 第15巻 沖縄の傳統』に詳しい。<br />1995年に榕樹社「沖縄学古典叢書」で、復刻版『琉球の文化』{{efn2|初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。刊行書目は、第1篇「民藝とは何か」(柳の著書)、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶器」、第5篇「満洲の民藝」([[本山桂川]]著)、第6篇「岡山県の民藝」([[外村吉之介]]著)は戦後刊}}([[式場隆三郎]]と共編、平良邦夫 解題 ISBN 4947667281)、柳の編著『琉球の陶器』(松井健 解題 ISBN 494766729X)が。<br />新版オリジナルは、『芭蕉布物語』([[榕樹書林]]<ref>1997年に榕樹社から榕樹書林に社名変更。</ref>、松井健 解題、2016年)、2022年に(復帰50年記念で)『琉球の富』(ちくま学芸文庫、松井健 解説)、共編著『沖縄文化論集』([[角川ソフィア文庫]]、[[石井正己]] 解説、2022年)が刊行。
*江戸時代に全国各地を廻国し造仏活動を行い、独特の「微笑仏」を残した[[木喰]]行道や[[妙好人]]の研究を行った。特に木喰研究は柳宗悦の木食仏発見が契機となったことで知られる。『選集 第9巻 木喰上人』、新版で『木喰上人』(講談社文芸文庫)、『選集 第9巻 木喰上人』がある。[[江戸時代]]前期に諸国を[[行脚]]した[[円空]]仏に関する論考もある。り、『全集 第7巻 木喰五行上人』に詳しい。
*『全集』筑摩書房は、1980年([[昭和]]55年)から開始したが完結に全12年を費やした。著作篇は1982年(昭和57年)に第20巻刊行で結んだが、1989年([[平成]]元年)に第21巻「書簡集」(上・中・下)が、1992年(平成4年)には第22巻「資料 その他」(上・下)を、各・1万5千円前後での分冊刊行だった。<br />大量の[[書簡]]収集に加え、新たに発見された未発表の原稿作品の発掘収録、資料や年譜の編集に10年以上費やしたためである。故に全巻揃いは古書値も高価である。
*機関誌『月刊民藝』は、1939年(昭和14年)4月号から1946年(昭和21年)7月号まで、戦局悪化による休刊を挟み発行された。1955年(昭和30年)より『民藝』が[[日本民芸協会|日本民藝協会]]で再び創刊した。2008年(平成20年)に『[http://www.fujishuppan.co.jp/kindaishi/mingei.htm 復刻版 月刊民藝・民藝]』(不二出版)が出版。
*[[和装本]]による機関誌'''「工藝」'''は、全120号が1931年(昭和6年)から1943年(昭和18年)にかけ(114号目まで)、休刊を挟み1946年(昭和21年)から1951年(昭和26年)まで発行された。<br />「[https://foucault.tumblr.com/post/17755141441/%E9%9B%91%E8%AA%8C%E5%B7%A5%E8%97%9D%E7%9B%AE%E6%AC%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7 工藝 目次一覧]」も参照<ref>昭和後期の出版では、[[熊倉功夫]]『民芸の発見』(角川書店)巻末に「工藝 目次総目録」収録している。</ref>
 
== 著作 ==