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=== 平氏系統 ===
また、平姓石井氏は[[多摩郡]][[大蔵 (世田谷区)|大蔵]](現:[[世田谷区]]南西部)にあるという。[[石井兼実|石井内匠頭兼実]]は[[吉良氏]]に属するといい、他所より移るという。また、[[後北条氏]]に仕える者もあり、北条家臣の名として[[石井善左衛門]]という人物が見える<ref name="ota315"/>。
 
『[[新編武蔵風土記稿]]』によれば、[[橘樹郡]][[宮内 (川崎市)|宮内]]村(川崎市)[[東樹院]]の中興開基という石井源左衛門は、[[下野国]](現・[[栃木県]])から宮内村の隣村である小杉村に移住したという<ref>{{cite book|和書|title=新編武蔵風土記稿|volume=巻ノ64橘樹郡ノ7|chapter=宮内村|id={{NDLJP|763984/25}}|publisher=内務省地理局|date=1884-6}}</ref>。[[天正]]4年([[1576年]])から子孫は宮内村に住み、[[江戸時代]]宮内村の[[名主]]は石井家が[[世襲]]した。出自について、[[太田亮]]は生国から[[宇都宮氏|宇都宮流]]かとの見方も示しているが<ref name="ota315"/>、東樹院[[多聞寺]]の由来に、「[[室町時代]]の[[長禄]]2年([[1458年]])[[武蔵国]]の[[豪族]]、平氏の流れである石井源左衛門が[[毘沙門]]の社があるのを見て、ここを霊地と定め御堂を再建し、石井一族の墳地としたのが始まり」とあり、平氏とされているようである。