「黒羽・ウドヴィン事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
文章を推敲; 警察が1966年から黒羽の動向をずっと把握していたようにも読めるが、出典ではそのように書かれていないため
推敲
5行目:
 
=== 背乗り・結婚 ===
黒羽一郎の失踪は事件性の無いものとして処理されたが、翌[[1966年]]冬、東京・赤坂の宝石会社に勤め、得意先を各国の大使館とし、[[英語]]・[[ロシア語]]・[[スペイン語]]を話せる[[多言語|マルチリンガル]]の[[真珠]]のセールスマンという肩書の「黒羽一郎」なる人物が現れていたことがスパイ事件発覚後の調査で判明した。「黒羽一郎」は1969年に[[新宿区]]高田馬場に戸籍を[[分籍]]、新宿区戸塚町に移住した<ref name=":0" /><ref name=":1" />。黒羽はそこで海外に長期滞在していた危機管理会社の社長の留守宅の管理人となり、社長宅の敷地内に無断でプレハブ小屋を建て、「黒羽製作所」という看板を掲げ[[パチンコ]]機械の製造屋稼業を開始している。危機管理会社の社長は帰国後に家賃を滞納する「黒羽」に対して立ち退き訴訟を起こしたが、この社長はかつて[[関東軍]]情報部で対ソ連電波傍受を担当していた人物であった<ref name=":1" />。[[1975年]]に「黒羽一郎」は東京新宿出身で6歳年下の日本人女性と結婚し、[[中野区]]の分譲マンションを購入・転居した。[[1985年]]に再び[[練馬区]]のマンションに転居していることが確認されている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。この黒羽になりすました男のスパイ活動をサポートしていたのが、本物の黒羽が失踪した2カ月後の1965年8月から1970年12月まで駐日ソ連大使館に三等書記官の形で赴任していたKGB(ソ連国家保安委員会)諜報員P・V・ウドヴィンである。彼は日本にいる自国スパイの監視役でもあり、深夜に郊外の住宅街を徘徊する謎の行動を取っていたことが記録されている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。ウドヴィンは2回目の日本配属でも二等書記官として[[1977年]]4月から[[1981年]]10月まで活動したが、この時にも人が少ない神社仏閣を徘徊する行動が確認されている。ソ連崩壊でKGB第一総局が分離独立し、SVRに名前を変更した後の[[1993年]]10月に、一等書記官として3度目の来日を果たした<ref name=":0" /><ref name=":1" />。
 
=== 事件発覚 ===
[[1992年]]6月29日に海外で諜報活動をしていた「黒羽」が在[[オーストリア]]日本大使館で旅券更新の手続きを行った。この時提出した顔写真が、線が細く弱々しい本物の黒羽とは全くの別人の、体格の良さそうな男だったことが後の調査で判明した。[[1995年]]に[[CIA]]から[[警察庁]]に『黒羽一郎を名乗るロシアのスパイが、日本国内でアメリカの軍事情報、日本の産業情報を収集しているという極秘情報が伝えられたが、その時すでに「黒羽」は中国へ出国した後だった<ref name=":0" />。日本人への「[[背乗り]]」は、同じ東アジア人の[[北朝鮮工作員]]が日本国内で使う手法だと考えられていたため、ロシア(ソ連)のスパイが日本で使っていたことは日本側に衝撃を与えた<ref name=":1" />。[[警視庁公安部]]外事第一課は1995年以後、練馬区のマンションに住む黒羽の日本人妻の監視を24時間体制で監視するようになっ開始した。この監視中にウドヴィンがそのマンション周辺で何度も目撃されている<ref name=":0" />。一方[[1997年]]6月に、ロシアの在[[サンクトペテルブルク]]日本総領事館に「黒羽一郎」を名乗る人物が姿を現し、旅券を再更新した。これを受けて、他人の旅券を勝手に更新した[[旅券法|旅券法違反]]で立件することになった<ref name=":0" />。1975年に「黒羽」と結婚していた日本人妻もソ連側と通信している姿を含む不審な姿が確認され、スパイの教育を受けていたエージェントだと確定した<ref name=":0" /><ref name=":1" />。
 
=== 家宅捜索とその後の調査 ===
1997年7月、[[旅券法]]違反で[[逮捕状]]が発行され、警察は同7月4日に練馬のマンションの[[家宅捜索]]に踏み切った。捜査員は「黒羽」の日本人妻の激しい抵抗にあい、いったんは押し出されそうになったが、制止を振りきって室内に入り箪笥や机の引き出しを捜索したところ、それらの中から[[乱数表]]、[[短波放送|短波ラジオ]]、換字表など、いわゆる「スパイ七つ道具」発見された。「黒羽」の日本人妻は当初は何も知らないと主張したが、調査が進むと捜査員の顔を隠しカメラで大量に撮影していたことが発覚した<ref name=":0" /><ref name=":1" />。収集していたことが確認されたのは、在留米軍情報や日本の最先端の半導体情報、カメラのレンズの技術であった<ref name=":0" />。
 
工作員「黒羽」は短波ラジオを用い、[[モールス信号]]で流れる5けたの数字を受信し、乱数表で文章に置き換えて指示を受けていたことが判明した<ref name="sankei" />。警察の調べによれば、工作員は入手した情報を[[マイクロフィルム]]化して[[清涼飲料水]]の空き缶に入れて神社・公園などに置き、ロシア側の別の人間が回収する「[[デッド・ドロップ|デッド・ドロップ・コンタクト]]」と称される手口で受け渡しをしていた<ref name="sankei" />。
 
=== ウドヴィン逃亡、迷宮入りに ===
家宅捜索から約2週間後である1997年7月17日に、警視庁公安部外事第一課がウドヴィンに事情聴取のための出頭を命じたが、ウドヴィンは外交特権を利用し、出頭要請を無視して直ちに帰国した<ref name=":0" />。2008年8月に警視庁公安部はこの朝鮮系ロシア人の男を国籍、氏名、年齢とも不詳のまま旅券法違反などの容疑で書類送検している<ref name=":0" />。「[[週刊新潮]]」の取材に対して、元警視庁公安部の[[勝丸円覚]]は、黒羽に背乗りしたスパイの正体や、本物の黒羽の行方などが判明しなかったため、「本当に後味の悪い事件」であったと語っている<ref name=":0" />。
 
== ロシアによる他の対日工作 ==