「ブレーメン (客船・5代)」の版間の差分
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==概要==
その後「[[ふじ丸]]」就航に向けて1988年から1989年にかけて行われた年末年始南極クルーズでの乗船調査にて氷山の危険性などから氷海仕様の客船の必要性が検討され、上記のインテリジェントクルーズの計画を探検型のクルーズ船に転換し三菱重工が[[三菱商事]]に探検船事業を持ちかけ、次に[[日本郵船]]を巻き込み日米欧のジョイントベンチャーに発展し本船が建造された<ref name="koseki"/>。[[日本郵船]]、[[三菱商事]]、[[三菱重工業]]、[[ハパックロイド]](発足当時[[西ドイツ]])、サレン・リンドブラッド・クルーズ(アメリカ)の共同出資による合弁会社「フロンティア・クルーズ」が運航を担当し<ref>我が国における外航クルーズ船 - 船の科学1990年9月号</ref>、世界初の極地探検型の客船として1990年6月20日に進水し[[兼高かおる]]が支綱切断を担当<ref name="kobekko"/>。また、日本郵船社内では客船事業の検討時に船体のサイズ毎に愛称を「[[松竹梅]]」に分けており、本船のクラスは「梅」としていた<ref name="koseki">{{Cite journal|和書|author = 小林幹弘 |date = 2002 |title = 日本初の新造客船誕生に寄せて |journal = 関西造船協会創立九十周年記念誌 航跡 船匠(たくみ)たちから時代への伝言|pages = 198-208 |publisher = 関西造船協会|url = http://zousen-shiryoukan.jasnaoe.or.jp/wp/wp-content/uploads/item/kouseki-42.pdf}}</ref>。
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