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== 来歴・人物 ==
[[1949年]](昭和24年)、[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]生まれ。5人兄弟姉妹の末っ子で、12歳上の兄と3人の姉がいる。母・[[武田イク]]と父・嘉元は[[熊本県]][[阿蘇郡]][[南小国町]]中原{{efn|(なかばる、旧中原村)}}<small>字</small>樋ノ口の出身。両親は博多で結婚し、父親が天涯孤独となっていた母親の家に婿養子に入った<ref>{{Cite web|和書|url=http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/806654 |title=ファミリーヒストリー|2014/11/21(金)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2014-11-22}}</ref>。母方は[[武田氏#若狭武田氏|若狭武田氏]]の末裔と伝わる<ref>{{Cite web|和書 |url=http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/806654 |title=ファミリーヒストリー|2014/11/21(金)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2014-11-22}}<br />(九州には[[肥後武田氏]]、[[薩摩武田氏]]、ほかに[[岡藩]]をはじめ豊後、筑前など)</ref>。家紋は丸に割[[菱紋|菱]]<ref>[http://www.ippongi.com/2011/12/23/hishi-2/ ippongi.com]</ref>。福岡市中央区大濠に在する[[福岡大学附属大濠中学校・高等学校|福岡大学附属大濠高等学校]]を受験するも不合格であったものの、[[福岡県立筑紫中央高等学校]]に合格、高校時代は生徒会長にも選出された。卒業後は[[坂本龍馬]]の研究を志し、当時[[国立旧一期校・二期校|一期校]]だった[[高知大学]]文理学部(現:人文社会科学部)を現役、浪人時と2年に渡り挑戦した。また坂本の墓所の近隣に位置していた[[立命館大学]]も受験したが不合格。最終的に、[[国立旧一期校・二期校|二期校]]で合格した[[福岡教育大学]][[教育学部]][[特別支援教育|障害児教育]]教員養成課程に入学。しかし、7年在籍するも中退。芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母・イクが休学手続きをして学費を払い続けていたという<ref>{{Cite web|和書|url=http://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/806654 |title=ファミリーヒストリー|2014/11/21(金)放送 |work=TVでた蔵 |publisher=ワイヤーアクション |accessdate=2014-11-22}}</ref>。また、母は『金八先生』シリーズが始まったことを誰よりも喜んでくれたという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/flash/20130914327.shtml|title=金八先生の武田「時々、沖田浩之のことを思い出します。バカだよね…切ないね」|publisher=デイリースポーツ online|date=2011-01-21|accessdate=2022-04-13}}</ref>。
 
 
[[1972年]](昭和47年)[[10月25日]]に、[[千葉和臣]]・[[中牟田俊男]]らと[[海援隊 (フォークグループ)|海援隊]]でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イクに向けた詫び状を歌にした「[[母に捧げるバラード]]」([[1973年]](昭和48年))がヒットし、翌年の[[第25回NHK紅白歌合戦]]に出場。しかしその翌年には、夫婦揃って[[大晦日]]の夜に皿洗いのバイトをしなければならないほど人気が低迷したと言い、テレビから流れる[[第26回NHK紅白歌合戦]]を横目で見て「俺はこんな所で何をやっているんだろう」と落ち込んでいたと後年語っている。
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2017年に『[[水戸黄門 (BS-TBS版)|水戸黄門]]』で水戸黄門シリーズにおける6代目の水戸黄門を演じるが、その役どころを「いたわりを強要したり、老いのずるさもあって完璧なご老公じゃない。助さんも『この、くそじじい』と言うしね」と明かしている<ref>日刊スポーツ 2017年8月3日</ref>。そしてこの役を引き受けたのは「これは老いの(老人の役をやっていくための)練習」であることを理由としている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/02/02/kiji/20200202s00041000176000c.html|title=武田鉄矢 水戸黄門役を引き受けた理由を明かす|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2020-02-02|accessdate=2020-02-02}}</ref>。また武田は6代目に抜擢される20年前に[[東洋水産]]の『[[マルちゃん赤いきつねと緑のたぬき]]』のCMで既に水戸黄門を演じており、役柄も散々な目にあうという本編と変わらないキャラクターとなっている。
 
映画『[[ゴジラ (1984年の映画)|ゴジラ]]』(1984年)でのセリフはほとんどが武田のアドリブである{{R|東宝SF1|平成ゴジラ大全}}。監督の[[橋本幸治]]は最初から台本より面白くしてくれるだろうと期待していたが、セリフが長くなってしまい編集に苦労したという{{R|東宝SF1}}。武田自身について橋本は、映画の面白さを知っている映画青年であり、熱心で面白かったと述懐している{{R|東宝SF1}}。しかし、ゴジラを侮辱するようなセリフに製作の[[田中友幸]]が憤り、そのほとんどがカットされた{{R|平成ゴジラ大全}}。
 
=== 脚本家 ===
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<ref name="東宝SF1">{{Cite book|和書|date=1985-01-15|title=ゴジラ|series=東宝SF特撮映画シリーズVOL.1|publisher=[[東宝]]出版事業室|page=78|chapter=橋本幸治監督ロング・インタビュー|isbn=4-924609-03-X}}</ref>
<ref name="対談の七人">[[爆笑問題]]『対談の七人』 [[新潮社]] 2000年 30、31頁</ref>
<ref name="平成ゴジラ大全">{{Cite book|和書|others=編著 [[白石雅彦]]、スーパーバイザー [[富山省吾]]|date=2003-01-20<!--奥付表記-->|title=平成ゴジラ大全 1984-1995|publisher=[[双葉社]]|series=双葉社の大全シリーズ<!--表紙そでより-->|pages=68 - 70|chapter=序之弐 復活『ゴジラ』|isbn=4-575-29505-1}}</ref>
}}