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| 退任日8 = [[1960年]][[7月]]
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'''大野 伴睦'''(おおの ばんぼく<ref name="daigishi1946">[{{NDLDC|2989774/35}} 『代議士録』]44頁(国立国会図書館デジタルコレクション])。2024年1月1日閲覧。</ref>、本名:大野 伴睦〈おおの ともちか<ref name="ono1970"/>〉、[[1890年]]〈[[明治]]23年〉[[9月20日]] - [[1964年]]〈[[昭和]]39年〉[[5月29日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。
 
[[東京市会]]議員を経て[[衆議院]]議員となり当選13回、[[衆議院議長]]、[[北海道開発局|北海道開発庁長官]]、[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]幹事長、[[自民党副総裁]]を務めた。
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== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[岐阜県]][[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[谷合村]](現在の[[山県市]])で、大野直太郎の四男として生まれた<ref name="ono1970"/><ref name="tokyo1938">[{{NDLDC|1090251/76}} 『東京岐阜県人綜覧』]132頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月1日閲覧。</ref>。兄2人(直太郎の次男、三男)は早世した<ref name="ono1970"/>。母・国枝は臼井半四郎の二女<ref name="ono1970"/>。父・直太郎は谷合村[[市町村長|村長]]、[[副市町村長|助役]]などを務め<ref name="tokyo1938"/>、その半生を村政のために尽くしたので私産をほとんど蕩尽した<ref name="ono1970"/>。[[呉服]]類も扱っていたが、親戚知友からの借銭でことを足すようになり、その負債の返還に迫られて苦しんだという<ref name="ono1970"/>。
 
高等小学校を卒業後[[名古屋陸軍幼年学校]]を受験するも不合格となる<ref name="ono1970"/>。
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[[1915年]](大正4年)5月14日に[[緑 (墨田区)|本所緑町]]で[[加藤高明|加藤外相]]攻撃の演説を行ったことで再び逮捕され、[[治安警察法]]第9条違反の罪で禁錮3月の判決を受け、[[市ヶ谷刑務所|市ヶ谷監獄]]に収監された(11月に大赦で出獄)<ref name="ono1970"/>。
 
[[19231922年]](大正1211年)、[[芝区]]から[[東京市会]]議員となった<ref name="tokyo1938"/>
 
=== 代議士として ===
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== 人物 ==
=== 人物像 ===
趣味は読書、[[囲碁]]、[[骨董品|骨董]]、俳句など<ref name="daigishi1946"/>、[[麻雀]]<ref name="tokyo1938"/>など。[[日蓮宗]]を信仰する<ref name="daigishi1946"/><ref name="tokyo1938"/>。
 
義理人情に厚い性格から「伴睦殺すにゃ刃物はいらぬ、大義大義と云えばよい<ref group="注釈">細かな表現には諸説あり</ref>」という戯れ歌でも知られた。保守合同にあたっては、この性格を知る宿敵・三木武吉が「保守合同は救国の偉業」という論理から説得したことで、大野はただちに意気投合したと言われている。
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== 家族 ==
; 大野家
* 父・'''直太郎'''<ref name="ono1970"/> - 谷合村村長、助役などを務めた[[名望家]]である<ref name="tokyo1938"/>。
* 母・'''国枝'''([[1868年]] - ?、臼井半四郎の二女)<ref name="daigishi1946"/>
* 長男<ref name="daigishi1946"/>
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== 参考文献 ==
* 『東京岐阜県人綜覧』濃飛往来社、1938年。
* 人事興信所編『代議士録』人事興信所、1946年。
* 大野伴睦先生追想録刊行会編集委員 『大野伴睦 小伝と追想記』、1970年。