「日産・スカイラインGT-R」の版間の差分

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[[1990年]][[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権]] (JTC) 第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。レースでは、[[星野一義]]/[[鈴木利男]]組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝ではレースの4分の1を消化した時点ですでに全てのマシンを周回遅れとするなど、(2位でゴールした僚友・[[リーボック]] スカイラインGT-R以外の3番手以降は2周以上の周回遅れ)圧倒的な力の差を見せつけた。その後もシリーズ全戦で[[ポールポジション]]獲得・優勝。翌年度からは徐々に参戦車数が増え、最終シーズン[[1993年]]には7台のGT-Rが参戦、グループA(クラス1)は事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。なおJTCと並行してN1耐久シリーズ(現・[[スーパー耐久]])にもGT-Rで参戦した。グループA終了後は[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]と同時に始まった[[全日本GT選手権]](JGTC)に転用される車両もあった。
 
また日本国内だけでなく、国外のレースにも積極的に参戦している。特に[[:en:Australian Touring Car Championship|オーストラリアツーリングカーチャンピオンシップ]]では、[[ジム・リチャーズ (レーサー)|ジム・リチャーズ]]と[[マーク・スカイフ]]のコンビが[[1990年]]・[[1991年]]・[[1992年]]とタイトルを分け合う形で3連覇を果たしており、バサースト1000kmでもこのコンビで連覇を果たしている。あまりにも圧倒的な成績だった事から、1993年のレギュレーションよりクラス2([[スーパーツーリング]])規定の導入でターボとAWD車が禁止となり、最上位のクラスはオーストラリア車(事実上[[フォード・オーストラリア]]と[[ホールデン (自動車)|ホールデン]]の2社)の5.0Lの[[V型8気筒]]エンジン車によるレギュレーションに変更された<ref>{{Cite web |title=オーストラリアを強襲! 伝説のドライバーが語るGT-R「ゴジラ伝説」とは |url=https://www.automesseweb.jp/2021/05/29/672799 |website=AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ) |date=2021-05-29JST11:40:08+9:00 |access-date=2024-01-02 |language=ja |last=交通タイムス社}}</ref><ref name="AUSTRALLIAGT-RREG">{{Cite web|url=https://drivetribe.com/p/godzilla-from-down-under-O0zadl3DRLKnHsNR-Yw9lQ?iid=EUISs-P7QH2vBEmcbmKEVw |website=drivetribute |publisher=drivetribute |title=GODZILLA FROM DOWN UNDER |accessdate=2021-07-14}}</ref>。
 
1993年には元F1ドライバーの[[ルイス・ペレス=サラ]]が[[スペインツーリングカー選手権]]のタイトルを獲得する<ref>{{Cite web |title=Año 1993 circuito Guadalope R32 GTR Luis Perez Salas |url=https://skylinespain.com/wordpress/ano-1993-circuito-guadalope-r32-gtr-luis-perez-salas/ |website=Club Nissan Skyline |date=2019-05-23 |access-date=2023-03-20 |language=es |last=miliocom}}</ref>。またワークスだけでなく、プライベートチームもヨーロッパや北米のレースに数多く参戦していた。