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ノルウェー王国憲法: 「ノルウェー憲法」除去。直前のコメントに詳細を記しています。
引き続き「ノルウェー憲法」除去
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*{{BL|取り下げ}} 依頼を取り下げさせていただきます。今回もコミュニティの皆様方に多大なるご迷惑をかけてしまい申し訳ありません。ノルウェー憲法については、解除依頼での皆様のコメントなどを踏まえまして、責任を持って仕上げたいと思います。[[アウディ・A1]]についても同様に進めていく所存です。このようなことになってしまい、申し訳ありませんでした。最後になりますが、議論にご参加くださった皆様には、この場を借りて感謝の意を伝えさせていただきます。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]]([[利用者‐会話:スタリオン箕浦|会話]]) 2024年1月17日 (水) 10:25 (UTC)
*:会話ページにいつまでもこのようなものがあるのも何ですので、<ins>一旦「ノルウェー王国憲法」を除去させていただきます。</ins>内容をご覧になりたい方は、申し訳ございませんが履歴を辿っていただければ幸いです。一応申し上げておきますが、「ノルウェー王国憲法」の内容はご自由にお使いいただいて構いません。--[[利用者:スタリオン箕浦|スタリオン箕浦]]([[利用者‐会話:スタリオン箕浦|会話]]) 2024年1月20日 (土) 23:52 (UTC)
 
== 概要 ==
ノルウェー憲法は、[[三権分立]]、[[国民主権]]、基本的人権の保障などの制度を取り入れており、<ref name= silver>{{Cite web |url=https://www.bizlawjapan.com/wp-content/uploads/norway_houseido_01.pdf |title=ノルウェー法制度の概要 BSJ法律事務所 |accessdate=2023-06-17}}</ref>当時最も民主的な憲法とされていた。ノルウェーの政治体制を[[議院内閣制]]の[[立憲君主制|立憲君主国]]と定めたのもこの憲法である<ref name=law />。
また、これが採択された議会の地名から、ノルウェー憲法は「エイズボル憲法」とも呼ばれる<ref name=:1>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%AB%E6%86%B2%E6%B3%95-1149008 |title=世界大百科事典 第2版「エイズボル憲法」の解説 kotobank.jp |accessdate=2022-10-26}}</ref>。
 
この憲法にある三権分立の原則などは、[[アメリカ]]や[[フランス]]などの近代民主主義に影響を受けたものとされる<ref>{{cite book2|language=en| first=David| last=Armitage| title=The Declaration of Independence: A Global History| date=2007| publisher=Harvard University Press| ___location=Cambridge, Massachusetts| isbn=978-0-674-02282-9| pages=113–126| url=https://archive.org/details/declarationofind00armi}}</ref>。一方で国王は立憲教会([[プロテスタント|ルター派]]とされた)を信仰していなくてはならず、および[[イエズス会]]、修道会、そして[[ユダヤ|ユダヤ人]]のノルウェーへの[[旅行]]を禁止するなど保守的な条文も見られた。 しかし王の権力は大幅に縮小され、教会は国民によって選挙された[[ストーティング]](ノルウェー議会は「ストーティング」と呼ばれる)の支配下に置かれた<ref name= silver />。有権者の割合は拡大したが、投票権を持つのは一定の財産を持っている、もしくは官吏経験のある25歳以上の[[男性]]のみであった<ref name=:1 />。これにより、ノルウェーの全国民の10.3%に投票権が与えられた<ref name=:1 />。なお、同時代のフランスの有権者の割合は全人口の0.3%にすぎない。しかし女性に参政権は与えられなかった。
 
現在、選挙権は満18歳以上のすべてのノルウェー国籍保持者に与えられ、被選挙権は大臣・副大臣・政策顧問、最高裁判所裁判官などを除くすべての選挙権保持者に与えられている<ref name=norway>{{Cite web |url=https://www.no.emb-japan.go.jp/Japanese/Nikokukan/nikokukan_files/kokkaiseido201208.pdf |title=ノルウェーの国会制度 在ノルウェー日本国大使館 www.no.emb-japan.go.jp |accessdate=2023-06-24}}</ref>。
 
また、このノルウェー憲法は、[[硬性憲法]]にも関わらず、200回以上も改正されている<ref name=gold /><ref name=ufo />。
 
== ノルウェー憲法の構成 ==
憲法の条文(2018年5月に改正) は、A章からF章に分割された121の条項で構成されている<ref>{{Cite web |title=The Constitution of the Kingdom of Norway - Lovdata |url=https://lovdata.no/dokument/NLE/lov/1814-05-17 |accessdate=2021-02-21}}</ref>。
=== A章 ===
A章は第1条と第2条で構成され、その中で「ノルウェーは『限定的で世襲的な君主制』を持つ『[[自由]]で、[[独立]]し、分割不可能で譲ることのできない国土』である」と記述している<ref name=law />。そして「[[キリスト教]]と[[人道主義]]」、民主主義、「法の支配と人権の尊重」に重きを置いている。<ref name=law />。第2条は「[[ルーテル教会|福音ルーテル派キリスト教]]」を国教と定めているが、この条項は[[2012年]]の改正で第4条とともに削除された<ref name=gold>{{Cite web |url=
https://www.bizlawjapan.com/wp-content/uploads/norway_houseido_01.pdf |title=ノルウェーの法制度の概要 BLJ法律事務所 bizlawjapan.com |accessdate=2023-02-02}}</ref>。しかし国教会自体の記述は削除されていない<ref name=law />。
=== B章 ===
B章は[[国王]](または女王)、王室、内閣、ノルウェー国教会、そして[[行政権]]について記述している。
 
第3条から第48条までがこの章に含まれる。 王は内閣の許可なしに6か月以上州を離れてはならない<ref name=law />。国王が逝去した際に後継者がいない場合、議会は第48条によって王位継承者を選出できる。ノルウェー憲法の特徴として、胎児にも王位継承権を認めていることが挙げられる(6条2項)<ref name=gold />。またこの6条では王位継承を男系に指定していたが、1990年の改正で「男女かかわらず第一子を王位継承者とする」と改正された<ref name=gold /><ref>{{cite web |url=https://www.fujingaho.jp/culture/interview-celebrity/g36990368/norwegian-royal-members-210720-hns/?slide=4 |title=ノルウェー王室の主要メンバーと王位継承順位を、改めておさらい ドラマ化もされじわじわと注目を集めている、ノルウェーのロイヤルファミリーをご紹介します。婦人画報 fujingaho.jp 2021/07/20掲載 |accessdate=2023-07-13}}</ref> 。
 
議会はいずれかの議員または内閣全体に対する不信任投票を可決することができ、可決されれば対象者は辞任することとなっている<ref name=law />。
 
国王が不在または病気などで職務を遂行できない場合には、王位継承者 (18歳以上) が代わりに職務を遂行する。 その場合、国王代理は国王と議会に対して責任を負う。皇太子が18歳未満の場合には内閣が国王の権限を行使することとなっている<ref name=law />。国王は、商業、慣習、「すべての生活」、および行政に関する暫定的な[[条例]]を可決することができる。 可決された条例は次の会期まで有効となる。
 
国王は弾劾の場合を除き、刑を宣告された犯罪者を赦免することができる。 弾劾の場合は、議会が同意しない限り被告を赦免できない。なお、国王は議会の同意なしに[[死刑|死刑判決]]を減刑することができるが、死刑は現在第93条で禁止されている<ref>{{cite web |url=https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report1_2.pdf |title=ノルウェーの刑事政策 日本弁護士連合会 nichibenren.or.jp |accessdate=2022-10-28}}</ref>。
 
国王は軍隊の最高司令官であり、内閣に諮問した後にすべての[[文民]]および軍の将校を任命することができる。 ただし皇太子と王女は公職に就く資格を与えられていない。また、国王は内閣に諮問すれば首相と内閣の他のメンバーおよびその他の政府高官と軍高官を解任することも可能。そして、国王はその裁量で自身の家政婦を任命することもでき、実際に王室で働いていた家政婦が存在する<ref>{{cite web |url=https://moviewalker.jp/news/article/60009/ |title=キャサリン妃とウィリアム王子、新しい家政婦を雇う! moviewalker.jp 2015年6月15日掲載 |accessdate=2023-07-13}}</ref>。しかし、議会の同意なしに国外に軍隊を配備することはできない。また、王子または王女は国王の同意なしに結婚することはできないとされる<ref name=law />。
 
第16条は、ノルウェー国教会をノルウェーの国教としていた。同時に16条は宗教の自由を保証している。2012年改正により、12条2項の「政府閣僚の半数以上はノルウェー国教会の信者でなければならない」という記述は、16条の国教会の規定と共に削除された<ref name=gold />。
 
第33条では、[[ノルウェー銀行]]がノルウェーの[[中央銀行]]であると述べている<ref name=law />。
=== C章 ===
C章 (第49条から第85条) では、[[立法権]]と基本的人権について記述している。ストーティングは以下の行為が可能<ref name=norway />。
*法律の制定、改正、廃止
*予算案の審議、議決
*国政調査、弾劾裁判、決算審査
*憲法改正の発議、そして議決
*条約の承認
 
立法権は169人の議員からなる一院制の議会「ストーティング」に与えられる。なお、一院制になったのは2009年の改正からであり、それまでは二院制を採用していた。会期は毎年10月第一平日から6月下旬まで。議員は4年ごとに[[選挙|総選挙]]で選出され、拘束名簿式[[比例代表制]]をとる。第50条により、18歳以上のすべてのノルウェー国民に選挙権が保障されている<ref name=norway />。
 
議会の選挙区は19であり、これは18の県にオスロ特別区を加えたものである<ref name= norway />。[[人口密度]]に基づく8年ごとに行われる計算に従って、各選挙区に150議席が割り当てられる。 どの政党も、全国得票率の4%以上を獲得しない限り議席を持つことはできない。残りの19人の議員は、各選挙区ごとに1人ずつ選出される。 被選挙権は前述の通り。国家内閣のメンバーは、議会議員ではないが議会に出席し審議に参加する権利を有する(ただし、投票は不可)。なお、ノルウェー議会はノーベル平和賞受賞者を決定する5人のノーベル委員会のメンバーを選出する<ref name= silver /><ref>{{Cite web |url=https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000296088 |title=ノーベル賞は、だれがどのように決定するのかがわかりやすく載っている児童書が見たい。レファレンス協同データベース crd.ndl.go.jp |accessdate=2023-08-28}}</ref>。
 
議会のメンバーは、犯罪を犯して逮捕されない限り、[[不逮捕特権]]を与えられている。また、全議員は議会で表明した意見に対し責任を負わない([[免責特権]])。 議会は、国王が緊急事態のために別の都市を指定しない限り、毎年10月の最初の平日に首都[[オスロ]]で開会する。 国王は、必要に応じて議会を召喚することもできる。新しい議院は、それぞれ国王または王から委任された人物によって開かれ国家の状態について審議を行う。国会での議論は公開され、別段の決定がない限りその決定も公表される。また、議会は首相の任命を実施することができる(本来は国王の権利だが、現在では議会が国王の名の下で実施しており、現在では任命は形式的なものとなっている<ref name=gold />)。
また、議会の議員または国家内閣のメンバーは法律案の提出が可能である。 法案が可決されるには、少なくとも3日間の間隔をあけて2回の審議が行われ、国王に提出されなければならない。王が署名すると法律としての効力を発揮し、王はその名において法律を公布する。国王は法案に対する拒否権を有するが、その法案が再度議会によって可決された場合その拒否権は覆される<ref name=law />。
 
第85条では、「議会の自由と安全を妨害することを目的とする命令に従う者は、国家反逆罪となる」と述べている
<ref name=law>{{Cite web |title=Kongeriket Noregs grunnlov - C. Om borgarretten og den lovgjevande makta - Lovdata |url=https://lovdata.no/dokument/NL/lov/1814-05-17-nn/KAPITTEL_3#%C2%A785 |access-date=2021-02-21 |website=lovdata.no}}</ref>。
=== D章 ===
D章(第86条から第91条)は、[[司法権]]について記述している。
 
最高裁判所は、首相と、30歳以上の4人の他の裁判官で構成される<ref name=law />。最高裁判所の判決は最終的な司法判断であるため、これ以上の上告は不可能。
 
弾劾裁判所は、議会の議員、国家内閣のメンバー、および最高裁判所の裁判官に対して「犯罪またはその他の違法行為」の訴訟を審理する。この提案は議会によって行われる。 弾劾裁判所は、最高裁判所長官 (この裁判所の議長も務める) を含む 5 人の最長在職常任議員と、議会によって選出された他の6人の議員で構成される。 議会または国家内閣のメンバーは弾劾裁判所の裁判官には選出されない<ref name=law />。
=== E章 ===
E章(第92条から第113条)は、その他の人権について記述する。
 
第95条は、州当局が裁判所と裁判官の独立性を確保することを要求している。第 108条は、国家当局に対し[[サーミ人]]が言語、文化、生活様式を維持できるよう支援することを義務付けている<ref name=law />。
=== F章===
F章(第114条から第121条まで)は、憲法の改正過程を含むその他の規定を定めている。
 
政府高官の資格を得るには、ノルウェー市民であるだけでなくノルウェー語を話すなどのその他の要件を満たしている必要がある。徴兵制が敷かれており、18才から44才の男女が対象となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/norway/data.html |title=ノルウェー基礎データ 外務省 |accessdate=2023-10-03}}</ref>。国旗は法律によって定められている<ref name=law />。
 
第121条の下で、憲法の改正は総選挙に続く第1回、第2回、第3回の議会に提案することができる。 総議員の3分の2の賛成で可決された場合、修正案は国王と副官によって署名され国王の名の下で公布される。 しかし、改正内容は憲法の基本的理念に反するものであってはならないという<ref name=law />。
 
== 制定史 ==
=== 憲法の成立まで ===
[[1814年]]までノルウェーはデンマーク・ノルウェー王国の一部であった。[[1813年]]10月に[[ライプツィヒの戦い]]で[[ナポレオン]]軍が敗北、1814年1月の[[キール条約]]によりノルウェーは[[スウェーデン]]に割譲された<ref>{{cite web |url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/22300/KJ00000150492.pdf |title=解説-デンマーク王国憲法 駒澤大学 |accessdate=2023-07-10}}</ref>。それに応じて、デンマーク・ノルウェー王国の皇太子でありノルウェーの総督であるクリスチャン・フレデリックはスウェーデンからのノルウェーの独立運動を開始した。 皇太子の目標は、ノルウェーをスウェーデンの支配下から外し、[[デンマーク]]とノルウェーを再統一することであった。 独立運動は成功し、エイズボルでノルウェー憲法制定議会が召集されるに至った。集められた代表者は、国教会の会衆とノルウェー全土の軍事部隊によって選出された者であった。 憲法は1814年に完成し、5月16日に議会で批准され<ref name="Constitution">{{cite web |url=https://www.stortinget.no/en/Grunnlovsjubileet/In-English/The-Constitution---Complete-text |title=The Constitution - Complete text |last=The Storting’s Information Corner |work=stortinget.no |year=2011 |2016-11-30 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20110829055430/http://www.stortinget.no/en/In-English/About-the-Storting/The-Constitution/The-Constitution/ |archive-date=29 August 2011 |access-date=2023-02-02}}</ref>、翌日成立した。
ノルウェー憲法は、[[1776年]]の[[アメリカ独立宣言]]や[[1789年]]の[[人権宣言]]、およびその後の米国とフランスの憲法を参考に書かれたと考えられている。 著者のクリスチャン・マグナス・ファルセンとヨハン・ ガンダー・アドラーも[[1812年]]の[[スペイン憲法]]に影響を受けていたという見方が強い<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%AB%E6%86%B2%E6%B3%95-1497912 |title=「アイズボル憲法」とは?意味や使い方 kotobank.jp |accessdate=2023-06-24}}</ref>。<del>しかし、一部には[[共和主義]]の理念から逸脱しているような条項も見られる。一般にこれは君主制の遵守のため、若しくはフランスやアメリカの模倣を避けたためと見られる。</del>
君主制の選択は、デンマークとノルウェーの再統一を促進することにもなった。しかし、前述の通り王の権力は大幅に縮小され法律に対するその拒否権は取り除かれた。 憲法委員会の法務書記であったクリスチャン・アドルフ・ディリクスは、同時に議会で外国の憲法に関する専門家という役目に就いており憲法を形作る上で重要な役割を果たした。ディリクスは言論の自由に関する第100条と、不合理な捜索と押収を防ぐための第102条を策定したとされている<ref name=nbl>{{cite encyclopedia |title=Christian Adolph Diriks |encyclopedia=[[Norsk biografisk leksikon]]|first=Terje |last=Bratberg |editor=[[Knut Helle|Helle, Knut]] |publisher=Kunnskapsforlaget|___location=Oslo |url=http://www.snl.no/.nbl_biografi/Christian_Adolph_Diriks/utdypning |language=no |access-date=2010-05-28}}</ref>。
 
=== スウェーデンとの関係 ===
1814年の春から初夏にかけて、国王クリスチャン・フレデリックとノルウェーの公務員はノルウェーを主権国家とするために列強の支持を得ようとしたが、その支持が認められないままスウェーデンとの戦争は決定的なものとなってしまった。ノルウェー軍は善戦し、スウェーデン軍を[[コングスヴィンガー]]に引き留めラングネスの戦いで勝利した。 これにより王はスウェーデンとの交渉を行い、無条件降伏を回避して[[モス条約]]を締結することに成功した。
 
自身の退位を利用し、フレデリックはスウェーデンの皇太子[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]]を説得してノルウェーの憲法を守らせた。 その後、ノルウェーはスウェーデンと[[同君連合]]を結び、同盟の形成のために憲法が修正された。ノルウェーはスウェーデンの元で自治を許されたが、両国は君主と外交政策を共有することになっていた。
 
10月7日、議会の臨時会期が召集され国王クリスチャン・フレデリックは議会に権限を委譲、10月10日をもって退位した。議会は11月4日に憲法改正を採択し、同日、カール13世をノルウェー国王として認めるのではなく、全会一致で選出された、国民の総意に基づく王という概念を強化した<ref>{{Cite web |date=2019-11-07 |title=Det første overordentlige storting |url=https://www.stortinget.no/no/Stortinget-og-demokratiet/Historikk/historisk-dokumentasjon/Det-forste-overordentlige-storting-horsten-1814/ |access-date=2021-02-21 |website=Stortinget |language=no}}</ref>。
 
=== 議会の解散と新しい国王 ===
[[1905年]]に議会が解散した後、それまでの憲法の修正案は取り消された。 国王の譲位問題が再び検討され、モード王女と結婚した33歳の[[ホーコン7世|カール王子]]に譲位するために議会が招集された。 英国王エドワード7世の娘でありウェールズ出身の、英国王室と関係のある国王を迎えることでノルウェーは英国の支持を得ることができると予測した。 さらに、カール王子の父親はノルウェーの中世の王たちと親族関係があった。
 
しかし、カール王子はノルウェーでの共和主義の台頭を理解していたため、彼はノルウェー国民が国民投票によって君主制の維持という意志を表明し、議会が彼を国王に選出した場合にのみ王位を受け入れると主張した。11月13日、ノルウェーの投票は君主制を74%の多数で決定し、カールは議会によって国王に選出されホーコン7世として即位した。
 
=== 第二次世界大戦中のノルウェー憲法 ===
ノルウェーは第二次世界大戦中、[[ナチス・ドイツ]]に占領された。1942年、ナチスの傀儡政権のトップ、[[ヴィドクン・クヴィスリング]]はユダヤ人を差別する条項を憲法に再導入したが<ref>{{Cite web |date=2017-12-14 |title=1942–1945 |url=https://www.stortinget.no/no/Stortinget-og-demokratiet/Historikk/historisk-dokumentasjon/Jodeparagrafen/Kronologi/19421945/ |access-date=2021-02-21 |website=Stortinget |language=no}}</ref>、
戦後その変更は元に戻された。
 
== 改正史 ==
ノルウェー憲法は、制定当時は革新的なものであったが、民主主義が発展していくにつれ、条項の一部はますます時代に逆行していった。例えば、行政権は一貫して国王に帰せられていた。当該条項は改正され、行政権は国家内閣に置かれるようになった。 同様に、国王は当初内閣のメンバーを任命する権利を持っていたが、議会の議員から選ぶことはできなかった。[[1884年]]に議会主義が確立されると、事実上内閣は総選挙によって選ばれ国王は議会で過半数を占める党または連合の議員のみを任命した。 さらに、内閣は不信任投票が大統領の辞任を引き起こすという意味で、議会に対して責任を持つようになった。 不信任投票が最後に行われたのは[[2000年]]3月で、連立政権が環境上の理由から天然ガスに基づく発電所の導入を拒否したときであり、議会の過半数がこれを支持した<ref>{{Cite web |title=Archived copy |url=http://www.stortinget.no/saker/dokumenter/2003-2004/dok12-200304-001.pdf |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20080529121831/http://www.stortinget.no/saker/dokumenter/2003-2004/dok12-200304-001.pdf |archive-date=2008-05-29 |access-date=2005-09-19}}</ref>。
 
硬性憲法にも関わらずこれほど改正されている要因について、一部の法学者は「選挙関連の規定が法律ではなく憲法に記載されており」「議員定数が少ないため議院内での意見統一がしやすく」「ノルウェー国民の政治的意識が高いため」としている<ref name=gold />。
 
また、初期のデンマーク・ノルウェーの保守思想に基づき、憲法第2条は「 [[イエズス会]]と[[修道会]]は許可されておらず、ユダヤ人は王国への入国を依然として禁止されている」と述べていた<ref name=law />。[[1851年]]にノルウェーの詩人ヘンリック・ヴェルゲランドがユダヤ人の権利を訴えた後、ユダヤ人の入国が許可され、[[1897年]]には修道会も許可された。しかし、イエズス会の信仰の禁止が解除されたのは第二次世界大戦後、[[1956年]]のことであった。
 
ノルウェー王国高等裁判所は、その[[弾劾裁判|弾劾裁判権]]が憲法によって正当化されていたため、19世紀の間は政府を支配するための政治的手段として議会により頻繁に使用されていたが、[[1927年]]以来弾劾は行われていなかった。議会の報告と憲法改正の提案は、 王国高等裁判所の法的根拠を変更しその政治的偏見を減らすために[[2004年]]に提示された。 この提案は[[2007年]]2月20日に全会一致で可決され、[[2009年]]に発効した。新しい弾劾裁判所は、[[ノルウェー最高裁判所]]の5人の裁判官と、議会によって任命された6人の裁判官で構成されている<ref>{{Cite web |date=2015-02-27 |title=Riksrett |url=https://www.stortinget.no/no/Stortinget-og-demokratiet/Arbeidet/Riksrett/ |access-date=2021-05-17 |website=Stortinget |language=no}}</ref>。
 
[[2012年]]5月、議会は2度目の憲法改正を可決し[[政教分離]]を実施した。しかし、ノルウェー国教会は依然として憲法に記述されている<ref name="law" />。
また、憲法第12条は「国家内閣の半数以上が国教会のメンバーでなければならない」と規定していたが、これも廃止された<ref>{{cite web |title=Norway makes another step in the long road to separating church and state |url=http://www.secularism.org.uk/news/2012/05/norway-shows-the-way-by-separating-church-and-state |access-date=2022-10-28 |website=secularism.org.uk |date=15 May 2012 }}</ref><ref>{{cite web |title='King Harald's faith' - comment in Aftenposten (in Norwegian) |url=http://www.aftenposten.no/meninger/kronikker/article2391871.ece|url-status=dead |archive-url=https://archive.today/20120717190842/http://www.aftenposten.no/meninger/kronikker/article2391871.ece |archive-date=17 July 2012 |access-date=2018-3-21 |website=aftenposten.no}}</ref><ref>Plesner, I.T. "State church and church autonomy." in ''CHURCH AUTONOMY: A COMPARATIVE SURVEY'' (Gerhard Robbers,
ed., Frankfurt am Main: Peter Lang, 2001). {{cite web |title=Archived copy |url=http://www.iclrs.org/strasbourg/robbers/chapters/ch22.pdf|url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20081219043022/http://www.iclrs.org/strasbourg/robbers/chapters/ch22.pdf |archive-date=2008-12-19 |access-date=2008-11-02}}</ref><ref>{{cite web |title=Lovdata |url=http://www.lovdata.no/all/hl-18140517-000.html#12 |access-date=21 March 2018 |website=lovdata.no}}</ref>。
 
[[2011年]]には、憲法制定200周年に向けて時代に合わせて憲法を改正できないかという議論が行われた。12月には、委員会が報告書を発表し人権についての条項を憲法の別の章に入れることを提案した<ref>{{cite web |title=Lovdata |url=http://www.lovdata.no/all/hl-18140517-000.html#12 |access-date=21 March 2018 |website=lovdata.no}}</ref><ref>[http://stortinget.no/no/Saker-og-publikasjoner/Publikasjoner/Dokumentserien/2011-2012/Dok16-201112/ Dokument 16 (2011-2012), Rapport til Stortingets presidentskap fra Menneskerettighetsutvalget om menneskerettigheter i Grunnloven. Rapport fra Menneskerettighetsutvalget om menneskerettigheter i Grunnloven].</ref>
 
憲法が起草されてから200年後の[[2014年]]に人権に関する章が追加された<ref name=":0" />。
 
== 憲法の言語 ==
ノルウェー憲法は、テキストの一貫性をできる限り維持するため2014年の言語改訂以前は発行時の言語に近い言語で記述されている。1814年のノルウェーのスウェーデン割譲時は、デンマーク語は依然としてノルウェーでは普遍的な書き言葉であった。さらに、1903年には憲法は微小な言語上の改訂を受けた。1814年以降正書法が変更され19世紀のデンマーク語を使用しているいくつかの単語の綴りを変更した<ref name=":0" />。
 
2014年以前の修正は、1903年版の文言を模倣しようとしているため独特の構造を呈している。例えば、環境という単語は現代のノルウェー語やデンマーク語の 「miljø」とは異なり、古い綴りの「 Milieu」 で書かれている。 しかし、その言葉は19世紀には存在しなかった。また、1970 年代までサーミ (サーミスク) という言葉は一般的ではなかったが、「サーミ人」は「den samiske Folkegruppe」と表記されていた。それ以前の1814年と1903年には、Lappish (lappisk) という単語が使用されていた。2006年2月には、16のスペルを1903年のそれに戻すことを目的とした憲法改正が行われた。
 
[[ノルウェー語#ブークモールとニーノシュク|ニーノシュク]]版はハンス・ペッター・グレイバー教授が率いる委員会によって編纂された<ref>{{cite web |url=http://lovdata.no/dokument/NL/lov/1814-05-17 |title=Kongeriket Norges Grunnlov - Lovdata |website=lovdata.no |access-date=2018-03-21}}</ref>。これらは、条項21、22、および25に基づいている<ref>{{cite web |url=https://www.stortinget.no/no/Saker-og-publikasjoner/Publikasjoner/Grunnlovsforslag/2011-2012/dok12-201112-025/ |title=Grunnlovsforslag fra Marit Nybakk, Martin Kolberg, Jette F. Christensen, Hallgeir H. Langeland og Per Olaf Lundteigen om vedtak av Grunnloven på tidsmessig bokmål og nynorsk |date=28 September 2012 |website=Stortinget |access-date=2018-03-21}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.stortinget.no/no/Saker-og-publikasjoner/Publikasjoner/Grunnlovsforslag/2011-2012/dok12-201112-021/ |title=Grunnlovsforslag fra Anders Anundsen, Per-Kristian Foss, Carl I. Hagen, Michael Tetzschner og Finn-Erik Vinje, vedtatt til fremsettelse av Anders Anundsen, Per-Kristian Foss og Michael Tetzschner om språklig fornyelse av Grunnloven |date=27 September 2012 |website=Stortinget |access-date=2018-03-21}}</ref>。これ以前、ノルウェー王国 ([[ノルウェー語#ブークモールとニーノシュク|ブークモール]]: Kongeriket Norge、ニーノシュク: Kongeriket Noreg) の正式名称は改正前の憲法からそのまま引用した場合「Kongeriget Norge」であった。
 
なお、ノルウェー憲法には議会によって提供されている英語版が存在する<ref>{{Cite web |title=The Constitution of the Kingdom of Norway - Lovdata |url=https://lovdata.no/dokument/NLE/lov/1814-05-17 |access-date=2021-02-21 |website=lovdata.no}}</ref>。
 
== 憲法に伴う文化 ==
=== 憲法記念日 ===
''詳細は「[[ノルウェー憲法記念日]]」を参照のこと''
 
憲法の署名日である5月17日は、ノルウェーの憲法記念日として学校の子供たちの国旗パレードで祝われている。また、この日は建国記念日でもある<ref>{{Cite web |url=https://www.risvel.com/news/1341#:~:text=5%E6%9C%8817%E6%97%A5%E3%81%AF,%EF%BC%88%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%EF%BC%89%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%A5%9D%E3%81%86%E3%80%82 |title=ノルウェーのナショナルデー「建国記念日」 Risvel |accessdate=2023-06-17}}</ref>。首都オスロでは、パレードが王宮を通過し何千人もの学童が国王と王妃に手を振る。
 
=== 国会議事堂の開会 ===
議会は毎年秋に国王によって開かれる。 選挙の年には各郡の代表者が合法的な代表者として正式に認められるところから始まる。憲法は議会の解散を認めていないため<ref name=norway />、選挙は確実に4年ごとに実施される。
 
会期が開かれ、その期間の秘書と大統領が選出された後に国王は正式な国家元首として「トロンテール」 (玉座からのスピーチ) を行う。 トロンテールは、翌年の政府の計画を要約したものであり、現職の政府が執筆している <ref>{{cite web |last=L.H. |first=Barstad |title=The State Opening of the Storting |date=2013-10-2 |url=http://www.stortinget.no/en/In-English/About-the-Storting/News-archive/Front-page-news/2013-2014/THE-STATE-OPENING-OF-THE-STORTING/ |publisher=Stortinget (official Parliament website) |access-date=2013-11-29}}</ref>トロンテールの後には一般討論が続き、野党は来年の重要な政策やそれに並ぶ物事についてのポイントを述べることとなっている。 討論に続いて、内閣の最年少のメンバーは王国の状態に関する報告書を読み上げることとなっている<ref>{{cite web |last=Måseide |first=T. |title=The Report on the State of the Realm |url=http://www.regjeringen.no/en/dep/smk/documents/The-Report-on-the-State-of-the-Realm.html?id=87168 |work=Office of the Prime Minister |date=4 October 2006 |publisher=Government.no |access-date=2013-11-29}}</ref>。
 
== 関連項目 ==
*[[ノルウェー]]
*[[憲法]]
*[[ノルウェーの歴史]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{reflist|3}}
 
 
{{デフォルトソート:のるうええおうこくけんほう}}
[[:Category:ノルウェー]]
[[:Category:法律]]