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[[武家]]では、床の間に[[具足]]([[甲冑]])を飾り、その前に鏡餅を供えた。鏡餅には、[[ユズリハ|譲葉]]・[[熨斗|熨斗鮑]]・[[エビ|海老]]・[[コンブ|昆布]]・[[ダイダイ|橙]]などを載せるのが通例となり、これは具足餅(武家餅)と呼ばれた。
武家[[家紋]]の由来の一つに、[[竹中重治]]が戦場において敵の矢で胸を射られた際、懐に入れた鏡餅によって命拾いしたため、その後、家紋にしたという逸話があり<!-- 後述p.110. -->、息子を助けてもらった[[黒田孝高]]がその家紋を譲り受けたものが「黒餅紋」であるという<ref>『一個人 戦国武将の知略と生き様』([[KKベストセラーズ]]、2011年)p.110.</ref>。
=== 和漢三才図会に掲載された御鏡 ===
[[江戸時代]]の『[[和漢三才図会]]』巻19([[正徳 (日本)|正徳]]2年([[1712年]])成立)には、[[天武天皇]]4年([[675年]])からの習俗として、「しとき餅」の項に「御鏡是也」と解説された祭餅の図がある<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/wakan/wakan-jin/page.html?style=b&part=10&no=30 御鏡-九州大学デジタルアーカイブ。]</ref>。これは、稗や黍餅のことで、稗(きび)団子の類。古人は黍や稗を多用したが、江戸時代には[[鏡]]に似せて糯米で円形に作るため、俗に御[[鏡]]と呼ばれたとある。
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