「音声多重放送」の版間の差分
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==日本のテレビ放送==
===開発から本放送に至るまでの経緯===
; 開発の着手から室内実験まで
[[日本]]では[[1962年]]から[[NHK放送技術研究所]]が開発に着手し[[日本放送協会|NHK]]と[[民間放送|民放]]6社から実験局開設の申請が行われ、[[1964年]]9月には[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]に向けて「テレビ音声多重実験協議会」を結成したが、技術的実験のみにとどまり実際の放送サービスには進展せず、[[1966年]]8月に協議会を解散し[[郵政省]]電波技術審議会の諮問事項に引き継いだ<ref name="jsnumaguchi">沼口安隆、「[https://doi.org/10.3169/itej.65.903 テレビ音声多重放送の研究開発の歴史]」『映像情報メディア学会誌』 2011年 65巻 7号 p.903 - 906, {{Doi|10.3169/itej.65.903}}, 映像情報メディア学会</ref>。
その後、[[欧州放送連合]]の技術委員会で音声多重放送の本格的研究が開始され、[[1970年]]の[[日本万国博覧会]]に向けて[[2か国語放送]]・[[ステレオ放送]]の実験要望が寄せられたことからNHK技研は[[1968年]]に室内実験を再開した。
; 既存の放送施設を使っての実験放送の開始、方式の決定
[[1969年]]、郵政省は翌年(1970年)の日本万国博覧会に伴い、実験局による放送の実施を認める方針を出し、同年[[6月27日]]、NHK東京教育テレビに野外実験の為の実験局の予備免許を付与、同年[[7月26日]]に運用開始。同年[[8月7日]]からは、放送時間帯外の深夜に技術面の調査・試験の為の実験放送を開始。1962年頃から[[周波数変調|FM-FM方式]]、SSB-FM方式等の諸方式の比較検討が進められていたが、FM-FM方式が優れているとの実験結果に基づいて、その方式に於いて、同年10月末まで2重音声とステレオによる実験放送を実施<ref group="注">各々の放送に於いての音声テストテープを流して、実験を実施。映像は、テストパターンカラーバーを使用。</ref>。この結果、同方式を採用することに基本的な問題はないものの、更に検討を加える為、今度はNHK総合テレビ(東京・大阪)に於いて、実験放送を継続することとなった。(これにより、NHK東京教育テレビでの実験局は、同年[[11月30日]]に廃局となった。)<ref>{{Cite|和書|author=日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部|title=NHK年鑑'70|date=1970|publisher=日本放送出版協会|pages=5,294,305}}</ref>
1969年[[12月21日]]、東京・大阪両地区の[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]で、同放送の番組に於いての実験放送が開始された<ref name=nhk1970-5>{{Cite|和書|author=日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部|title=NHK年鑑'70|date=1970|publisher=日本放送出版協会|pages=5}}</ref>。
先ず2か国語放送は、同日の番組「劇映画 『ぼくはついてる』」を皮切りに<ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A196912211430001300100 NHKアーカイブス NHKクロニクル「劇映画 『ぼくはついてる』」 1969年12月21日放送]</ref>、アメリカの劇映画(『ママは太陽』等)や、前述で要望があった万博の関連番組<ref name=nhk1970-5/>、それが閉幕後は、外国映画や19時のニュース(1971年10月から)等にて行われた<ref name=nhk1972-14>{{Cite|和書|author=日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部|title=NHK年鑑'72|date=1972|publisher=日本放送出版協会|pages=14}}</ref>。 ステレオ放送は、東京の総合テレビのみで行われ、1970年[[8月9日]]の『[[NHKコンサートホール]]』を皮切りに行われた<ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A197008092210001300100 NHKクロニクル「NHKコンサートホール」1970年8月9日]</ref>。「NHKアーカイブス」のホームページ内にある「NHKクロニクル[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/]」(NHKのテレビ・ラジオの過去の番組表を検索できるサイト)内での記録では、同番組にてその後2回(同年[[8月23日]]<ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A197008232210001300100 NHKクロニクル「NHKコンサートホール」1970年8月23日]</ref>と翌年[[9月12日]]<ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A197109122210001300100 NHKクロニクル「NHKコンサートホール」1971年9月12日]</ref>)、更に、NHKイタリア歌劇公演から2回分([[1971年]][[9月11日]]<ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A197109111930001300100 NHKクロニクル「NHKイタリア歌劇公演 歌劇『リゴレット』(ヴェルディ作曲) 1971年9月11日]</ref>と[[1973年]][[9月23日]]<ref>[https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A197309232130001300100 NHKクロニクル「NHKイタリア歌劇公演 歌劇『椿姫』(ヴェルディ作曲) 1973年9月23日]</ref>放送分)同放送が行われたとの記録がある。NHK年鑑では、1971年版の記載では「NHKコンサートホール」に於いて「(1970年)8月から9月にかけて、ステレオの実験放送も行われた」とあり<ref>{{Cite|和書|author=日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部|title=NHK年鑑'71|date=1971|publisher=日本放送出版協会|pages=150}}</ref>、1972年版の記載では、「「NHKイタリア歌劇公演」等の音楽番組が数回放送された」とある<ref name=nhk1972-14/>。 そして1972年3月、電波技術審議会は、今迄の各方式の比較実験、前述のNHKの野外実験放送等を基に調査検討を行った結果、現行放送との両立性を考慮すると、FM-FM方式が最も適しているという結果を発表。技術基準や特性を示した上で郵政大臣に答申を行い、日本に於いての規格方式が正式に決定された。<ref name=nhk1972-14/>
その後もNHKは実験放送を続けたものの、
; 実用化試験放送開始、そして本放送開始まで
その後[[カラーテレビ]]の普及が一段落したことから、[[1978年]]から実用化試験放送として再開され、先ず同年[[9月28日]]に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が開始したのを皮切りに、その3日後の[[10月1日]]にはNHKの東京・大阪の各総合テレビと大阪の[[讀賣テレビ放送]]が、更にその翌日には[[フジテレビジョン|フジテレビ]]が開始。年内には全ての在京民放キー局<ref group="注">当時は東京12チャンネル(現・[[テレビ東京]]・テレ東)は[[独立放送局|独立局]]だった。</ref>が開始し、[[1979年]]3月までには全ての在阪民放の準キー局が開始した。また、名古屋を始めとする大都市や、地方都市でも富山県の[[北日本放送]](1978年[[12月23日]]開始)を皮切りに相次いで開始された。
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