「メタンフェタミン」の版間の差分

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日本軍におけるヒロポンの使用証言については事実誤認もあった。横須賀海軍航空隊所属の[[夜間戦闘機]][[月光 (航空機)|月光]]に搭乗していた[[大日本帝国海軍]]のパイロット[[海軍少尉|少尉]]・[[黒鳥四朗]](偵察員・銃手)と[[准士官|飛行兵曹長]]・[[倉本十三]](操縦士)のペアが、夜間出撃時に軍医から[[ナチス・ドイツ]]からの輸入品で夜間視力が向上するという「暗視ホルモン」を注射され、6機もの[[B-29 (航空機)|B-29]]を撃墜破するなどの活躍をし[[エース・パイロット]]となったが、戦後にしばらく経ってから原因不明の体調不良に悩まされるようになり、その原因を探っていくうちに、戦時中に注射した軍医から「暗視ホルモン」はヒロポンであったと聞いたという証言をしている<ref>渡辺洋二『重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話』(文春文庫、1999年) ISBN 4-16-724908-1 四十五年目の真実 p9—35 〔初出:文林堂『航空ファン』1996年1月号〕</ref>。しかし「暗視ホルモン」については、戦後に[[GHQ]]に[[海軍航空技術廠]]が作成した成分表が接収されており、その資料によれば、「暗視ホルモン」の成分は、牛や豚の[[脳下垂体]]から抽出された[[メラノフォーレンホルモン]]とされ、ナチス・ドイツからの輸入品ではなく日本国内で製造され、[[台湾沖航空戦]]で既に使用されており、メタンフェタミンは含まれていない{{sfn|台湾沖航空戦|2017|p=210}}。黒鳥の証言も一定しておらず、「暗視ホルモン」がヒロポンであったと知ったのは、40年間にも渡って謎の体調不良に悩まされ、ようやく症状が改善した数年後に、戦時中に黒鳥らに注射した元軍医から真相を告げられて謝罪されたという証言と{{sfn|相可文代|2023|p=82}}、謎の体調不良を診察した元陸軍軍医の医師から「そりゃヒロポン」ですよと言われて、「暗視ホルモン」がヒロポンであったと知ったという証言がある{{sfn|日本軍兵士|2017|p=179}}。
 
また既述の通り、日本軍がヒロポンの効果として重要視したものの一つが、パイロットの夜間視力の向上であったにもかかわらず{{sfn|ぺルビチンと独日関係|2021|p=635}}、夜間出撃を任務とした陸海軍航空隊において、海軍横須賀海軍航空隊以外では殆どヒロポン使用の証言は見られない。[[沖縄戦]]において連合軍に占領された飛行場攻撃を主任務としていた[[芙蓉部隊]]で、同部隊の指揮官[[美濃部正]]少佐の自伝や回想においても、ヒロポンに対する記述や言及は全くない{{sfn|大正っ子の太平洋戦記|2017|pp=1-400}}{{sfn|彗星夜襲隊|2003|pp=13-285}}{{sfn|相可文代|2023|p=232}}。美濃部は芙蓉部隊のパイロットの夜間視力向上策として、薬などを使用するのではなく、午前0時に起床、1時に朝食、6時に昼食、11時に夕食、午後4時に夜食といった、「猫日課」と称した昼夜を逆転させた生活を送らせていたり<ref>{{Harvnbsfn|渡辺洋二彗星夜襲隊|2003|p=90}}</ref>、電灯使用を制限してパイロットに暗闇を凝視させて夜間視力を強化するといったような、効果が不明な対策を行っていた<ref>{{Harvnbsfn|ウォーナー|1982a|p=260}}</ref>
 
戦時中のヒロポンの投与方法について日本政府の公式見解は、「大体、戦争中に陸軍・海軍で使っておりましたのは、全て錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ませておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたものはすべて錠剤でございました、今日問題になっておりますような注射薬は殆ど当時なかったと私は記憶しております。」と戦後の国会質問で厚生省薬務課長が答弁している通り、飲用が主で注射は殆どなかったとしている<ref name="名前なし_4-20231105133521">第7回参議院予算委員会議事録10号 1949年11月30日 重松一郎政府委員答弁</ref>。使用実績についても、勤労奉仕していた旧制都立武蔵高等女学校の女学生が、連日に渡って徹夜での工場勤務が続く中で、眠気覚ましにヒロポンを飲用していたように{{sfn|相可文代|2023|p=85}}、戦時中のヒロポンは民間でも使用されており、軍で限定的に使用されているものでもなかったと答弁している<ref name="名前なし_4-20231105133521"/>。
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* {{Cite book |和書 |author=三国雄大 |year=2001 |title=高知海軍航空隊 白菊特別攻撃隊 |publisher=群青社 |isbn=978-4434014383 |ref={{sfnRef|高知海軍航空隊 白菊特別攻撃隊|2001}}}}
* {{Cite book |和書 |author=渡辺洋二 |year=2003 |title=彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団 |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=4769824041 |ref={{SfnRef|彗星夜襲隊|2003}}}}
* {{Cite book |和書 |author=渡辺洋二 |year=2007 |title=特攻の海と空―個人としての航空戦史 |publisher=文藝春秋 |series=文春文庫 |isbn=978-4167249151 |ref={{SfnRef|特攻の海と空|2007}} }}
* {{Cite book |和書 |author=神野正美 |year=2017 |title=台湾沖航空戦―T攻撃部隊 陸海軍雷撃隊の死闘 |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=978-4769830184 |ref={{SfnRef|台湾沖航空戦|2017}}}}
* {{Cite book |和書 |editor=「丸」編集部|editor-link=丸 (雑誌) |year=2011 |title=特攻の記録 「十死零生」非情の作戦 |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=978-4-7698-2675-0 |ref={{SfnRef|特攻の記録|2011}} }}