「1994年から1995年のMLBストライキ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
スト決行の影響: フランク・トーマスが打率.308・40本塁打の成績を残したのはスト明けの1995年
26行目:
[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]は74勝40敗の球団史上最も高い[[勝率]]を記録してナショナルリーグ東地区を2位に6.0ゲーム差の首位で独走していたものの、シーズン公式戦の残り試合とポストシーズンの試合の中止が決定してその夢を絶たれた。その結果、同チームの[[ワールドシリーズ]]初出場は本拠地を[[ワシントンD.C.]]に移転して、チーム名がナショナルズとなってからの[[2019年]]になってからであった。これは、{{by|1969年}}のチーム創立から51年目の事である。[[ニューヨーク・ヤンキース]]も70勝43敗を記録して[[アメリカンリーグ東地区]]を2位に6.5ゲーム差の首位で独走しており、{{by|1981年}}を最後に一度も出場していなかったワールドシリーズへの進出を狙っていた。
 
[[シカゴ・ホワイトソックス]]の[[フランク・トーマス]]はストに突入するまでに113試合出場で[[打率]].3083534038[[本塁打]]の成績を残し、前年に続いて2年連続で[[アメリカンリーグ]]の[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]を受賞した(アリーグでは{{by|1960年}}・{{by|1961年}}の[[ロジャー・マリス]]以来33年ぶり)。[[ヒューストン・アストロズ]]の[[ジェフ・バグウェル]]はストに突入する2日前に左手に[[死球]]を受けて骨折したが、離脱するまでに110試合出場で打率.368・39本塁打・116[[打点]]の好成績を収めており、[[ナショナルリーグ]]のMVPを満票で獲得した(MLB史上4人目の快挙)<ref>[http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Jeff_Bagwell_1968 Jeff Bagwell] baseballlibrary.com</ref>。[[サンディエゴ・パドレス]]の[[トニー・グウィン]]は打率.394を残し、{{by|1941年}}の[[テッド・ウィリアムズ]]以来となる[[4割打者]]を狙える位置にいた。また、ジャイアンツの[[マット・ウィリアムズ]]はストで残り47試合の中止が決定した時点で43本塁打を記録しており、ロジャー・マリスの持つシーズン61本塁打にほぼ一致するペースで本塁打を量産していた。
 
[[シンシナティ・レッズ]]の[[ケビン・ミッチェル]](95試合出場で打率.326・本塁打30・[[OPS (野球)|OPS]]1.110)、[[ミネソタ・ツインズ]]の[[シェーン・マック]](81試合出場で打率.333・本塁打15・OPS.957)、ホワイトソックスの[[フリオ・フランコ]](112試合出場で打率.319・本塁打20・OPS.916)と[[ダリン・ジャクソン]](104試合出場で打率.312・本塁打10・OPS.817)は1994年に3割を超える打率を残したが、翌1995年シーズンにこの4人は[[日本プロ野球]]でプレーすることを決めた。