東国原英夫

日本の政治家、タレント、公選第17代宮崎県知事 (1957-)

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そのまんま東そのまんま ひがし、本名:東国原 英夫ひがしこくばる ひでお)は、日本政治家宮崎県知事(第17代)。

お笑いタレント俳優作家ビートたけし率いる芸人集団たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。

略歴

経歴
政歴

人物像

  • 東国原姓は宮崎県都城地域や鹿児島県曽於地域においては少なくない氏姓である。
  • トレードマークはその特徴的な
  • 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校時代はハンドボール部に所属。国体代表に選出されるなど、中心選手として活躍。
  • ただし、当時の(いまでも)宮崎県のハンドボールの競技人口は高校大学合わせて数十名というもので、あまりスポーツが得意でない者が高校から始めるのが一般的であった。
  • 「そのまんま東」の名前の由来は、たけし軍団メンバーの名前を全員変更する宴席で自分だけ、名前は特に与えられず、東が「師匠。私は名前はどうなるのでしょうか?」と聞くとビートたけしが「お前はそのまんま、“東”だよ」と最初に言ったものの途中でいたずらっ気を起こし、「だから“そのまんま東”だよ」と言い切り、これが芸名となる。
  • お笑いスター誕生」(日本テレビ)では、大森うたえもんと組んだ「ツーツーレロレロ」でデビュー。ちなみに大森は実は3代目相棒で、先代相棒(丸山昭範)は「ビートたけしのオールナイトニッポン」のラジオドラマでのセリフのトチりが原因で引退したと言われているが、実際は東との3か月間だけの契約だった。
    • 東本人が著書「60歳を人生ピークにもっていく法」で書いている内容では、「オスカル・メスカル」というコンビ名でたけしに弟子入りした直後、相棒が芸能界入りする目的であった河合奈保子を生で見たことで満足しコンビ解散、やむをえず京都産業大学の学生だった丸山と「ツーツーレロレロ」を結成、その後彼にはたけしに何もいわず失踪した事にしてもらい、大森と組みなおしたらしい。元相棒についてたけしは不満を漏らしていたが、真相を東がたけしに告白すると、たけしは笑って許したという。
  • フライデー襲撃事件を起こすなど問題行動が多い。
  • 女性に対するまめさは高校時代から有名だったらしい。
  • 日常生活でも、自分より上と見た者には媚びへつらうが、一旦、下とみるや非常に横柄な態度をとるという人物評もある。
  • たけし軍団で名が売れ出すと六本木や歌舞伎町で毎日乱痴気騒ぎをし、激しい風俗遊びをしていた。
  • そのころから、違法な指名(18歳未満)を繰り返すなど低年齢の少女に異常なまでに興味を示していた。
  • また、たびたび飲食店や遊園地で従業員に難癖をつけては責任者を呼び出して目の前で従業員を殴ったり蹴ったりすることを繰り返していた。
  • タクシーの運転手にも毎回暴言を吐いて、途中で降ろされたこともある。
  • 風俗店で年齢を詐称した当時16歳の少女と関係した事などによる謹慎中に、早稲田大学第二文学部(文学部の2部)の社会人入試に挑戦し合格。
  • 芸能界で生きていくことが難しいと考えた彼は、そのころ政界入りを決断したという。
  • 受験勉強期間は、寺で坐禅を組みながら自己反省し、一念発起して勉強に取り組んだという。
  • どの授業でも教授に小さなことまで聞きにいき、教授に対するアピールを積極的に行った。
  • 早大入学後の態度はこれまでとは一変して謙虚で生真面目だったという。
  • その甲斐有って、卒業成績は146単位(卒業要件は124単位)、37科目中「優」が31科目、「良」が5科目、「可」が1科目と優秀な成績を修める。
  • 同学部を卒業した2004年には、社会人AO入試で同大学の政治経済学部に再入学した。
  • そこで参議院志望だったが、知事の絶大な権限を知り、知事になりたいと周囲に言うようになっている。
  • 2006年3月には、政治活動をするために同学部を中退している。
  • 自民党の公募にも応募して刺客になろうとしたが、あらゆるコネを使っても反応が悪く、応募することをあきらめた。
  • 細木数子曰く、「テレビに向いてない」とのこと。
  • 2度の離婚経験がある。
1985年にフリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚するも1989年に離婚。
1990年に著書『ビートたけし殺人事件』がドラマ化された際に共演して知り合った、女優かとうかず子(当時 かとうかずこ)と再婚。2006年に離婚。
2007年、宮崎県知事選挙立候補によりタレント活動から引退。同選挙で当選。

事件等

  • 1986年12月9日ビートたけしに率いられ講談社を襲撃し、暴行罪で現行犯逮捕される(本人は襲撃する気持ちは無かったと後に語っている)。詳細はフライデー襲撃事件を参照。
  • 1998年10月13日、東京都内のイメージクラブ「年中夢中」で当時16歳の少女から客としてわいせつなサービスを受けた事件で、児童福祉法違反容疑による事情聴取を受けた。以後芸能活動を一時自粛。数回に渡り参考人として出頭した際に「18歳未満とは知らなかった」等とコメント。その後復帰したが、直後に元マネージャーが同じ容疑で捕まるという事件があった。
  • 1999年11月22日、警視庁赤坂署が後輩タレントへの傷害容疑で書類送検。同署の調べでは1997年1月12日東京都港区の料理店で開かれた所属事務所の忘年会で、当時「北海ジャンジャン」の芸名で活動していた男性の側頭部を足で蹴り、頭部打撲等の怪我を負わせた疑い。

政治の世界へ

東はかとうとの離婚後に「前々から政治家になりたいと思っていた」と言っていたことが明かされ、本人の発言やブログの記事からも政治への強い関心を見せるなど、タレント時代から「東国原英夫」としての政界へ進出を考えていたようである。

例えば上記の謹慎中に入学した早稲田大学第二文学部では、卒業論文のテーマとして選挙活動を扱った。卒業後も同学政治経済学部に再入学し、中途退学に至ったものの政治を学ぶ姿勢を育んできた。かとうとの離婚の原因も、先の本人の発言などから強い政界進出志向からくる夫婦間の将来設計理念不一致が主な原因であるとの見方が強い。

2006年には東本人を代表とする「そのまんま会」を設立、同12月4日には宮崎県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行った。そして数日後には北野オフィスを退社。故郷宮崎県で官製談合事件で逮捕された安藤忠恕に代わる新知事へ立候補する。

無所属で立候補した東であったが、選挙活動にはタレント候補にありがちな親交の深いタレントによる応援演説等を一切拒み、「脱タレント」を印象付けして不祥事の県政を批判し、無党派層の心をつかんだ。また遊説や立会演説では宮崎弁で県民の心を掴み、選挙活動最終日には趣味のマラソンをしながら活動を行うなど、積極的な選挙活動も県民には好印象を与えた。更に立候補に当たってはパフォーマンスだけではなく80にも及ぶ公約・そのまんまマニフェストを打ち出した。

選挙当初は過去のスキャンダルなどのイメージもあって県民も半信半疑であったが、このような積極的な選挙活動が県民に好印象を与え、混戦が予想されていた他四候補を圧倒して当選した(尚、この選挙においては自民・公明党のみならず民主・共産党の支持層からも相当の浮動票が動いていた事が確認されている)。そして県知事当選と同時に本名の東国原英夫での活動を表明している。

投票率などの詳細は宮崎県知事一覧を参照。

出演した番組など

ドラマ
  • 世にも奇妙な物語 『死後の苦労』(1990年、フジテレビ系)
  • 世にも奇妙な物語 『死神』(1991年、フジテレビ系)
バラエティ
情報
CM

著書

  • 『ビートたけし殺人事件』太田出版、1988年2月、ISBN 4900416371
  • 『明石家さんま殺人事件』太田出版、1989年4月、ISBN 4900416592
  • 『伝言ダイヤル殺人事件』太田出版、1990年12月、ISBN 4872330102
  • 『そのまんま東のそんなバカな!?』海越出版社、1993年5月、ISBN 4876971552
  • 『東国原家の夏休みinダーウィン』碧宙出版、1999年5月、ISBN 4921104026
  • 『どん底』音羽出版、2000年5月、ISBN 4901007106
  • 『ゆっくり歩け、空を見ろ』新潮社、2001年2月、ISBN 4104439010
  • 『芸人学生 : 僕が学びつづける理由』実業之日本社、2004年11月、ISBN 4408106143
  • 『60歳を人生ピークにもっていく法 : 今日からできる、誰にでもできる!』KKロングセラーズ、2005年12月、ISBN 4845420910

関連項目

外部リンク


16代
安藤忠恕
ファイル:Miyazaki Prefecture shadow picture.png 宮崎県知事
17代:2007 -
18代
現職