御勝山古墳
大阪市生野区勝山北にある古墳
墳長約120mの前方後円墳である。
この古墳は一説によると、大小橋命(オオバセノミコト)の墓であるといわれているが定かではない。
江戸時代以前は「岡山」と称していたが、大坂冬の陣において徳川秀忠が陣を敷いて勝利を得たことにより、岡山を改め御勝山と称したのが名前の由来である。
現在は、古墳の中央を勝山通が貫いている。古墳付近は少し盛り上がっている。前方(南)は崩されて史跡公園 「御勝山公園」 になっている。後円部は、原形をとどめている。
後円部の東側は桑津街道、鶴橋街道、俊徳街道の交点となっており、かつては交通の要所であった。
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