木村芥舟
日本の軍人
木村 芥舟(きむら かいしゅう、文政13年2月5日(1830年2月27日) - 明治34年(1901年)12月9日)は、幕末期の幕臣。軍艦奉行、咸臨丸の司令官を務めた。諱は喜毅(よしたけ)。字は天模。別の号に楷堂がある。官位は摂津守(せっつのかみ)。
経歴
1856年(安政3年)、幕臣として目付に登用され、長崎で海軍伝習生の監督を務めた。1859年(安政6年)、軍艦奉行となる。1860年(万延元年)の咸臨丸の渡欧では、勝海舟の上官として咸臨丸の司令官となり、太平洋横断に成功した。その際、アメリカ行きを希望した福沢諭吉と知り合い従者として連れて行くことになった。それ以後も幕府にその実力を認められて要職を歴任する。特に幕府の海軍創設には大きな功績を挙げている。
1868年(明治元年)の戊辰戦争では、江戸城開城の事務処理を務めた。新政府からもその実力を評価されて、仕官の誘いがあったが、木村はそれらを全て謝絶し、親友の福沢諭吉と交遊しながら、詩文を読む生活を送ったといわれている。1901年(明治34年)、72歳で死去。
エピソード
サンフランシスコで新聞社を訪問した時に、印刷した名刺をプレゼントされた。本事例により、日本人として最初に印刷した名刺を使用した人物とされる。 ちなみに 「Admiral KIM-MOO-RAH SET-TO-NO-KAMI, Japanese Steam Corvette CANDINMARRUH.」(日本国蒸気コルベット咸臨丸 提督木村摂津守)と印刷されていた。
家族
参考文献
- 土居良三 『軍艦奉行木村摂津守―近代海軍誕生の陰の立役者』 中央公論社〈中公新書〉、1994年。ISBN 4121011740