ザ・クラッシュ
クラッシュ(The Clash)は、1976年 - 1986年にかけて活動した、イギリス・ロンドン出身のパンク・ロックバンドである。セックス・ピストルズと並び称されるロンドン・パンクの雄でありながら、ステレオタイプのパンク・ロックの枠にとらわれず、レゲエやダブなどの音楽的要素を貪欲に吸収し、独自の個性を確立してシーンに大きな影響を与えた。
ザ・クラッシュ | |
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基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル | パンク・ロック |
活動期間 | 1976年 - 1986年 |
レーベル | CBSレコード |
メンバー |
ジョー・ストラマー (ボーカル、ギター) ミック・ジョーンズ (ギター、ボーカル) ポール・シムノン (ベース) トッパー・ヒードン (ドラムス) |
旧メンバー |
テリー・チャイムズ (ドラムス) キース・レヴィン (ギター) ヴィンス・ホワイト (ギター) ニック・シェパード (ギター) ピート・ハワード (ドラムス) |
概要
最も成功したパンクバンドの一つであり、また、時代を象徴するロックバンドでもある。1stアルバムは音楽的にパンク色の強いものであったが、徐々にレゲエやダブ、ロカビリー、ジャズ、スカといった様々な音楽の要素を取り入れ、3rdロンドン・コーリングを代表とするいわゆる普通のパンクサウンドとはかけ離れた、幅広い音楽性を持った傑作を生み出した。また、ステージ上での激しいパフォーマンスも人々に記憶されている。
彼らはその活動当初から、音楽の才能と歌詞で他のパンク・ロックバンドとは一線を画す存在であった。特にジョー・ストラマーとミック・ジョーンズによって書かれた歌詞は、情熱的かつ左翼的政治主張を強く意識したものであり、アナキズムの色が色濃く主義主張をどちらかと言えば歌い散らかしていただけのセックス・ピストルズや、シンプルなパンク・ロックを指向していたラモーンズとは非常に異なった、非常に主張性、論旨性の強いものであった。
彼らはデビュー当時から早くもその発言、ファッションをセンセーショナルに受け止められたバンドではあったが、セックス・ピストルズには業界人マルコム・マクラーレンを中心とした、いわば「作為的なムーブメントバックアップ」が大きくついていたのに対し、クラッシュにはそれほどの後ろ盾が無く、初期は金銭面でのやりくりに苦労した(ジャケットやシューズなどの衣装が買えず、自分たちで自作していたほどだったとジョー・ストラマーは自伝で語っている)。中心人物のジョー・ストラマーは労働階級出身者の多いパンクバンドのメンバー中では珍しい中産階級出身ではあるが(父親は外交官)、後ろ盾が希薄なバンド発足時は切り詰めた生活を送っていた。(クラッシュにもバーニー・ローズという代表的マネージャーは存在。)
その後、クラッシュは音楽性の幅を広げ、他のパンクバンドとは一線を画した作品をリリースすることになる。3rdロンドン・コーリングは今までパンクをこき下ろしてきた英の音楽批評誌にも絶賛され、4thには三枚組の意欲作サンディニスタ!を発表。本国だけではなく米でも次代を担うバンドの一つとしての評価を確立する。
しかし、徐々にメンバー間に不協和が生まれ、まずドラマーのトッパー・ヒードンが、さらにはリード・ギタリストのミック・ジョーンズがグループをクビになってしまう。 ジョー・ストラマーとポール・シムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、発表したアルバム「カット・ザ・クラップ」はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散する。
ジョー・ストラマーはソロとして活動したが、2002年12月22日にサマセット州ブルームフィールドにある自宅で心臓発作で死去。
クラッシュはパンク、ロックを越えた社会運動を作り出した。ロンドンでは英連邦に所属した地域のマイノリティが貧困の中に生活していた。ジャマイカからの移民もマイノリティの一つとしてロンドン市内にコミュニティを形成していた。
不況、失業、社会の不平等を音楽を通じて表現していたクラッシュは、日曜ごとに集まるカリブ系移民のコミュニティに呼応し、しばしば活動をともにした。この活動がレゲエに傾倒していくきっかけになった。労働組合活動、学生運動とともに民族的マイノリティの活動は警察権力からの弾圧を受けることがあり、クラッシュも弾圧の現場に弱者の立場としてかかわっており、このことがクラッシュの国家との対決姿勢を色濃くさせている。ロックという表現が社会の変革にあるならば、クラッシュの目指したものはそこだったと言えるだろう。
彼らの代表曲のひとつである「アイ・フォート・ザ・ロウ」(オリジナルは、アメリカの伝説的なロックンローラーであるバディ・ホリーのバックバンドをつとめたクリケッツに在籍していた、ソニー・カーティス。同曲はクラッシュ以外にも様々なアーティストがカバーしている。アメリカのロック・バンド、ボビー・フラー・フォーが60年代にヒットさせたヴァージョンは特に有名)は、2003年まで日産・エクストレイルのCM曲として使われており、日本でも知名度が高い。ただし、その歌詞は「俺は法と戦った。そして(俺は負け)法が勝ったのさ」といった内容で、彼らの姿勢が端的にあらわれていると言える。
メンバー
その他のメンバー
- テリー・チャイムズ(ドラムス) - 最初期のメンバー。トッパー脱退後に一時復帰。1987年から1988年にかけてブラック・サバスのツアー・メンバーだったこともある。
- キース・レヴィン(ギター) - 最初期のメンバー。シド・ヴィシャスとフラワーズ・オブ・ロマンスというバンドを組んでいたこともあり、のちにセックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)とパブリック・イメージ・リミテッドを結成する。
- ヴィンス・ホワイト(ギター) - ミックとトッパーの脱退後に短期間加入。
- ニック・シェパード(ギター) - 同上。
- ピート・ハワード(ドラムス) - 同上。
ディスコグラフィ
アルバム
スタジオ盤
タイトル | 発売年月日 | USチャート | UKチャート |
---|---|---|---|
白い暴動(The Clash) | 1977年4月8日 | 126 | 12 |
動乱(獣を野に放て)(Give 'Em Enough Rope) | 1978年11月10日 | 128 | 2 |
ロンドン・コーリング(London Calling) | 1979年12月14日 | 27 | 9 |
サンディニスタ!(Sandinista!) | 1980年12月12日 | 24 | 19 |
コンバット・ロック(Combat Rock) | 1982年5月14日 | 7 | 2 |
カット・ザ・クラップ(Cut the Crap) | 1985年11月4日 | 88 | 16 |
ライブ、コンピレーション盤
タイトル | 発売年月日 | USチャート | UKチャート |
---|---|---|---|
Black Market Clash | 1980年 | - | - |
The Story of the Clash | 1988年 | 142 | 7 |
Clash on Broadway | 1991年11月19日 | - | - |
The Singles | 1991年 | - | - |
Super Black Market Clash | 1994年 | - | 74 |
From Here to Eternity: Live | 1999年10月26日 | 193 | 13 |
The Essential Clash | 2003年3月11日 | 99 | 18 |
ロンドン・コーリング 25周年記念エディション | 2004年9月21日 | - | 26 |
Singles Box | 2006年10月30日 | - | - |
EP
タイトル | 発売年月日 | USチャート | UKチャート |
---|---|---|---|
Capital Radio | 1977年4月1日 | - | - |
The Cost of Living | 1979年5月11日 | - | 22 |
UKシングル
タイトル | 発売年月日 | 収録アルバム | UKチャート |
---|---|---|---|
白い暴動 (White Riot) | 1977年3月18日 | 白い暴動 | 38 |
Capital Radio One | 1977年4月1日 | - | - |
リモート・コントロール (Remote Control) | 1977年5月13日 | 白い暴動 | - |
コンプリート・コントロール (Complete Control) | 1977年9月23日 | 白い暴動(米) | 28 |
クラッシュ・シティ・ロッカーズ (Clash City Rockers) | 1978年2月17日 | 白い暴動(米) | 35 |
ハマースミス宮殿の白人 ((White Man) In Hammersmith Palais) |
1978年6月16日 | 白い暴動(米) | 32 |
トミー・ガン (Tommy Gun) | 1978年11月24日 | 動乱(獣を野に放て) | 19 |
イングリッシュ・シヴィル・ウォー (English Civil War) | 1979年2月23日 | 動乱(獣を野に放て) | 25 |
The Cost of Living | 1979年5月11日 | - | 22 |
ロンドン・コーリング (London Calling) | 1979年12月7日 | ロンドン・コーリング | 11 |
Bankrobber | 1980年8月8日 | - | 12 |
The Call Up | 1980年11月28日 | Sandinista! | 40 |
Hitsville UK | 1981年1月16日 | Sandinista! | 56 |
The Magnificent Seven | 1981年4月10日 | Sandinista! | 34 |
This Is Radio Clash | 1981年11月20日 | - | 47 |
Know Your Rights | 1982年4月23日 | Combat Rock | 43 |
Rock The Casbah | 1982年6月11日 | Combat Rock | 30 |
Should I Stay or Should I Go / Straight to Hell |
1982年9月17日 | Combat Rock | 17 |
This Is England | 1985年9月30日 | Cut the Crap | 24 |
I Fought the Law | 1988年2月29日 | The Cost of Living | 29 |
ロンドン・コーリング(再発) | 1988年4月25日 | ロンドン・コーリング | 46 |
The Guns of Brixton(リミックス) | 1990年7月9日 | ロンドン・コーリング | 57 |
Should I Stay or Should I Go(再発) | 1991年2月18日 | Combat Rock | 1 |
Rock the Casbah(再発) | 1991年4月1日 | Combat Rock | 15 |
ロンドン・コーリング(2度目の再発) | 1991年5月27日 | ロンドン・コーリング | 64 |
Train in Vain (Stand by Me)(再発) | 1991年10月14日 | ロンドン・コーリング | - |
USシングル
タイトル | 発売年月日 | 収録アルバム | USチャート |
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アイ・フォウト・ザ・ロウ / ハマースミス宮殿の白人 |
1979年7月26日 | - | - |
トレイン・イン・ヴェイン / ロンドン・コーリング |
1980年 | ロンドン・コーリング | 23 |
Hitsville UK | 1981年2月17日 | Sandinista! | - |
The Magnificent Seven | 1981年3月27日 | Sandinista! | - |
This Is Radio Clash | 1981年11月25日 | - | - |
Should I Stay or Should I Go | 1982年6月10日 | Combat Rock | 45 |
Rock the Casbah | 1982年9月16日 | Combat Rock | 8 |
フィルモグラフィ
- ルード・ボーイ (1980年)
外部リンク
- VIVA JOE STRUMMER
- Official Epic Records Site
- The Clash discography and news, infos, etc., from Music city
- The German Clash Fan Site
- The Clash Online
- Joe Strummer Site
- Revolution Rock
- クラッシュ歌詞
- The White Riot
- Clash Photo Rockers
- Online Clash Debate
- Clash links page @ ComplicatedFun.com
- 3:AM Magazine interview with Paul Simonon