サルデーニャ
- サルデーニャ特別自治州
(Regione Autonoma della Sardegna
Regione Autonoma de sa Sardigna) - {{{nomeRegione}}}
- [[画像:{{{linkMappa}}}|200px]]
-
国
イタリア
地域 イタリア島嶼部 州都 カリャリ 面積 24,090 km² 人口 {{{abitanti}}} 人 {{{anno}}} 人口密度 66 人/km2 県 オリスターノ、オリャストラ *、 オルビア=テンピオ *、 カリャリ、カルボーニア・イグレーシャス *サッサリ、ヌーオロ、 メディオ・カンピダーノ * コムーネ数 {{{numeroComuni}}} ([[:Category:{{{categoriaComuni}}}|一覧]]) 州知事 Renato Soru {{{elezioni}}} 公式サイト [州公式サイト ] - * 設立予定 (2005年)
これは英語版からの翻訳記事を含みます。(履歴参照)。
サルデーニャ島は、イタリア、フランス、チュニジアの間、コルシカ島の南に位置する地中海の島である。島全体が、イタリア共和国のサルデーニャ州になっている。
サルデーニャ語では、Sardigna,Sardinna,Sardinnia 、イタリア語では、Sardegna 、カタルーニャ語では、Sardenya と綴る。日本語では、イタリア語起源のサルデーニャの他、ラテン語や英語のSardiniaを元にしたサルディニア、サルジニア、サルヂニア、サルデニアなどの表記の揺れがある。
イタリア半島を足だとすると、その足跡のような島の形から、フェニキア人はイチヌサ(Ichnusa)、ギリシャ人はサンダリオン(Sandalyon)と呼んでいた。
地理
東側にティレニア海、その対岸にイタリア半島、北側にはボニファチオ海峡を挟んでコルシカ島を望む。また西側はサルデーニャ海と呼ばれている。南東にはシチリア島がある。
行政
サルデーニャ島は、イタリア共和国の自治州のひとつである。州都はカリャリ。
サルデーニャ州は4つの県からなる:
カリャリ、サッサリ、ヌーオロ、オリスターノ
以下の4つの県を加える計画がすすんでいる:
オルビア=テンピオ、オリアストラ、カルボーニア・イグレーシャス、メディオ・カンピダーノ
観光
この島には、リゾート地コスタ・ズメラルダやジェンナルジェントゥ山地など、多くのすばらしい観光地がある。 またビーチの美しさは有名である。
気候
春と秋は暖かく、夏は暑く、冬は寒くない、地中海性の気候である。 地球温暖化を原因とする干ばつが何年も続き、問題になっている。
言語
サルデーニャ語は、フェニキア語、エトルリア語の影響を受け、ラテン語を大体の起源としロマンス語に属する。 公用語として使われているイタリア語に取って代わられようとしており、 特にカリャリの若者たちにはサルデーニャ語をまったく知らない人もいる。 しかし、サルデーニャ島の人々は自分たちを一つの民族または国だと考えており、依然としてサルデーニャ語を主要言語としているのも事実である。またアルゲーロ近辺ではカタルーニャ語の方言を話す。
経済と商業
現在の通貨は、ユーロ。
いくつかの金と銀の鉱山が操業している。
観光業、工業、商業、サービス業、情報技術産業などが発達している。 ヨーロッパのインターネットプロバイダーとしてトップ企業となっているTISCALI(ティスカリ)は、サルデーニャ島から誕生したものである。
ワインとおいしい料理が有名で、島の収入源となっている。
交通
島をめぐる電車がある。速度がおそいため、その狭軌レールに沿って走る人もいる。 島内の交通手段は、バス、電車、フェリー、タクシーなどがあるが、バスや電車は本数が少ない為、効率よく島を移動するには車やスクーターなどが便利。
自然環境
豊かな自然があり、何千種類もの希少な動植物が保護されている。
歴史
サルデーニャ島の歴史はとても古い。1979年に、15万年前の人間の痕跡が発見された。
前史時代の島の住民は、黒曜石の取引で発展した。それを使って、荒削りな道具を作ることができた。この交易により、地中海の他の人々と多く交流をもった。
新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。現在もこの民族の子孫が7000人以上いる。
この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。少しわかっていることは、エジプトの碑文に「海の民」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。その碑文の研究によると、彼らは、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアにいく者に分かれた、ということである。
しかし、サルデーニャ人の起源に関する理論のほとんどは、遺伝学的な研究と民族の移動状況を重要視している。遺伝学的な研究によると、サルデーニャ人は、周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしている。新石器時代以降の遺跡の散らばりぐあい、点在範囲、その大きさを調べれば、島の大体の人口が分かり、また彼らがこの島のどこに上陸し、定着したかがわかる。
ローマ帝国とビザンティン帝国の支配を経たのち、9世紀から12世紀まで島は4つの国ジュディカーティに分割されていた。その後、1323年から1409年にかけて、アルボレア国は最後まで抵抗したが、すべてアラゴン王に支配されることとなった。アルゲーロ市の原住民は追い払われ、今日カタルーニャ語を話す人の祖先であるカタロニア人が住むようになった。
サルデーニャ王国
1720年、サルデーニャは、ピエモンテの統治者サヴォイア家のもとで独立王国となった。 1860年、サルデーニャ王はイタリア諸州を併合し、イタリア王となった。