手塚理美

日本の女優

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手塚 理美(てづか さとみ、1961年6月7日 - )は、日本女優スターダストプロモーション所属。

てづか さとみ
手塚 理美
本名 手塚 理美(同じ)
別名義 手塚 さとみ
生年月日 (1961-06-07) 1961年6月7日(64歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都大田区
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1974年 - 現在
活動内容 1974年:ユニチカ2代目マスコットガール
1982年:『ハイカラさん
1983年:『ふぞろいの林檎たち
1987年:『男女7人秋物語
1993年:『チャンス』、『もう涙は見せない
配偶者 真田広之1990年 - 1997年
著名な家族 長男、二男
公式サイト 所属事務所による公式プロフィール
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来歴・人物

東京都大田区出身。東京都立赤坂高等学校卒業。小学校時代よりジュニアモデルを始め、中学1年生の時ユニチカの2代目マスコットガールとして本格的に芸能界デビュー(ちなみに初代風吹ジュン、3代目紺野美沙子)。当時は手塚さとみ名義。[1]テレビ、映画への出演やグラビアモデル等、様々な分野で人気を得る。歌手としてのアルバム『十五歳の肖像』も。

1981年ヌード写真集『少女だった』(沢渡朔撮影)を発表。前後して活動を女優業へシフト。1982年NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』では主役を務めた。同年2冊目のヌード写真集『四色の花火』(篠山紀信撮影:同タイトルのLDもあり)を発表。ドラマ出演中だったため、NHKからクレームが付いた。以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマ、『ア・ホーマンス』『茶の味』などの映画で活躍。

1990年、俳優の真田広之と結婚、2児をもうけた。真田と葉月里緒菜との不倫報道などから1997年離婚した。

出演

テレビドラマ

バラエティ番組

映画

出版

写真集

  • 少女だった(1981年、小学館)撮影:沢渡朔
    雑誌『写楽』1980年9月号で発表されたカット群がベース。ヌードは手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主にニューカレドニア
  • 四色の花火(1982年11月10日、小学館)撮影:篠山紀信
    『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は京都福井軽井沢秋田

関連項目

脚注

  1. ^ 当時の媒体では写真集も含め「手さとみ」と「」の字が現在と1画異なる表記が見られるが、これは1981年に常用漢字が制定される前後であり、旧字体が用いられていたためである。1982年から1983年以降は「手」表記に統一されているが、芸名の変更があったわけではない。

外部リンク