陣内智則
概要
兵庫県加古川市生まれ。兵庫県立高砂南高等学校卒。血液型はA型。名前の良く似た俳優の陣内孝則や、元バドミントン選手の陣内貴美子らとの血縁関係はないが、彼自身の実兄が“たかのり”という名前で、漢字では陣内孝則と一文字違いである(日テレのバラエティ番組『カミングダウト』などで明らかに)。また、智則・孝則・貴美子の三人で、関西テレビの『陣内家』という単発番組で共演を果たしている。また、陣内の祖母が死に際に「うちの親戚には役者がいる」と陣内孝則との血縁関係がある主旨の発言をした。
吉本興業大阪本部所属。NSC11期生。同期には中川家、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、ハリガネロック、ルート33堂土などがいる。
クリエイターの原田専門家と共に作った映像や音楽を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立。
天然ボケで、目が悪いため、“バルサンを炊きだしたら部屋を出なければならないことを知らずに息が苦しくなるまで部屋を出なかった”、“道に黒い猫がいると思って、呼びかけたらゴミ袋だった”、“新幹線で移動中、隣の人にコーヒーをこぼしてしまい、タオルに水をつけてシミを取らなければならないのに、コーヒーをタオルにつけてシミを取ろうとした”、“あの鼻クソに気づかなければ気づける鼻クソはないほどの巨大な鼻クソをつけていた”、“ブラックマヨネーズ小杉とたむらけんじの判別できなかった”、“たむらけんじの飼い犬を電子レンジでチンする”、“スーパーファミコンの、本体の白い部分をご飯、赤いスイッチを、福神漬けと勘違いし、カレーをかけてしまうなどの逸話は有名。 この天然のせいで、2丁目時代には同事務所の千原兄弟、サバンナなど先輩・後輩問わずいじられまくっていた。特に親友のケンドーコバヤシは、陣内の家に泊まりに行って、「朝起きたらメガネを台所で炒める」「メガネをマジックで真っ黒に塗る」「真夏に暖房をつけて寝ている陣内が出られないように外から玄関を封鎖する」などいじられっぷりは類を見ない。 尾崎豊の大ファンだが、歌唱力はシャンプーハットのてつじと同様、ひどいものである。
営業などにおいては、一時期コンビでもないのに同期のケンドーコバヤシとのセットが多く、周りもコンビと見紛うほどであった。彼とはプライベートでも息がピッタリ合っている。 また、ネタ番組「すんげ~!Best10」で千原ジュニア、山下しげのりとともに披露した、「メガネ部」は、吉本興業の事務所スタッフ内でも伝説となっている。
『ちちんぷいぷい』の司会者である角淳一とはいつも舌戦を繰り広げていた。プロ野球阪神応援番組『週刊トラトラタイガース』(よみうりテレビ)の司会に抜擢されるも、実は巨人ファンとの噂もあるが、実際は、本当に阪神ファン。
経歴
生誕から学生時代
陣内と同時に、同級生である西口圭と「リミテッド」をコンビ結成(ただ、「限界」という意味に本人は気付かなかったという)、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動をスタートさせる。しかし、本人曰く「ネタで加古川弁を連発していた」ため人気が出ないばかりか、あまりのつまらなさに一時期はファンの間で「リミテッドを見ると不幸になる」とまで言われ、1995年9月解散。それ以降、芸人としての自信を失ってしまったと言う。
リミテッド時代、年末の若手ネタ番組「オールザッツ漫才」出演時、若手芸人のトーナメント戦で相方の西口が遅刻し、陣内が1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち、ネタを1人でただしゃべるだけだったが、なぜかウケにウケまくり、相方が来ないまま3回戦まで進出してしまった。
ピン芸人としての再出発
「リミテッド」解散のショックからなかなか立ち直れないでいたなか、ある日吉本側から「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と、ついに“最後通告”を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならず、開演数分前にようやく完成。そのイベントで今までに無いぐらい評判が良かったため、社会の彼に対する評価も一変。次々と仕事が舞い込むようになる。
1999年10月スタートの情報番組「ちちんぷいぷい」(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日のかつての人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西のおばちゃん層への知名度も徐々にアップ。深夜のバラエティ番組「クヮンガクッ」(同)で、“レシートすごろく”(梅田をスタートした難波の高島屋をゴールに設定し、道行く人にレシートを見せてもらい、そのレシートのお店へ行かなければならない。すぐ終わると思いきや日本のあちこちに飛ばされ、その距離15000km以上)という企画に挑戦したこともあった。
baseよしもと時代
1999年にbaseよしもとがオープン。FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩らをまとめる役を買って出ることに。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されるようになるが、そのなかでも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期があった。そのため、彼は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われ、ケンドーコバヤシには「(当時同局アナウンサーの角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどであった。また、2ちゃんねらーから「陣内志ね!(「死ね」ではない。「志」が他の「氏」など、他の“し”の読みをする漢字に変わることもある)」という"称号"を頂くようになった。これは、過去にオールザッツ漫才やbaseよしもとのイベントなどで、たむらけんじやケンドーコバヤシらが自分に比べて“売れている”陣内のことを「陣内死ね」と揶揄したことにねらーが反応。決して忌み嫌われているわけではない。
base卒業後
現在はbaseよしもとを卒業し、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。また、2003年に「エンタの神様」(日本テレビ)に出演して以来、東京での仕事も増えているが、現在の彼の活動は平日は大阪で仕事をし、木曜日に「なるトモ!」の収録と同番組の金曜日の放送の収録が終わるやいなや、午後から新幹線や飛行機で移動し東京で番組収録(「エンタの神様」、「世界!超マネー研究所」など多数)や、ルミネtheよしもとの公演をこなしている。
2004年からは、声優など他の仕事も舞い込むようになった。 映画「犬夜叉 紅蓮の蓬莱島」(2004年12月23日公開)では声優デビューを果たす。が、本人は原作を「読んだことがない」「犬が戦うマンガ?」とラジオで発言してしまう。また、実写では2005年公開予定の映画「Beat Kids」(HUNGRY DAYS、相武紗季ほか出演)に、半ば無理やり“大学生D”というエキストラで出演。テレビコマーシャルでは、兼ねてから好きだと公言していたゲームソフト「桃太郎電鉄」(ハドソン)の新シリーズ、「桃太郎電鉄USA」のコマーシャルに出演(若槻千夏、Psycho le Cemuと共演)。これが自身初のCMとなった。2005年4月4日、5年2ヵ月レギュラー出演していた関西ローカルの情報番組、「ちちんぷいぷい」を卒業した。 その後すぐ、日本テレビ系列の番組「ミンナのテレビ」・「世界!超マネー研究所」でレギュラー出演が決定。 「世界!超マネー~」では笑福亭鶴瓶とともにゴールデンタイムでは初めて司会をつとめ、「ミンナの~」の終了後の深夜、 ラジオ「陣内智則のひとり番長」の生放送(収録のときも有り)をこなし、早朝に大阪に帰るというスタイルで仕事をすすめている。
受賞歴
- 1999年第19回ABCお笑い新人グランプリ・優秀新人賞
- 2000年第29回YTV上方お笑い大賞・銀賞(最優秀新人賞)
- 2004年第33回YTV上方お笑い大賞・話題賞
- 2005年第14回東京スポーツ映画大賞・日本芸能大賞
レギュラー出演
テレビ
- ミンナのテレビ(日本テレビ)
- 世界!超マネー研究所(上記と同じ)
- ジャイケルマクソン(毎日放送)
- なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!(朝日放送)※関西ローカル
- プラチケ!(関西テレビ)※関西ローカル・毎月最終水曜日
- エンタの神様(日本テレビ)※不定期出演
- なるトモ!(読売テレビ)※関西ローカル・司会
- 2005年10月から、日本テレビが同時間帯での放送を決定。系列局も検討。
ラジオ
CM
- ハドソン「桃太郎電鉄USA」
- ハドソン「桃太郎電鉄G」(2005年春に放映予定)
- なんばウォーク ※CMソング歌唱による出演
- NEC「VALUESTAR SR」※店頭PRビデオ
- ECCコンピュータ専門学校
過去
ラジオ
(いずれも毎日放送ラジオ製作)
- AM808。マジっすよ!
- B月曜日※ケンドーコバヤシと
- Bフライデースペシャル 陣内・ケンコバ45ラジオ※ケンドーコバヤシ、サバンナ、シャンプーハットらと
テレビ
- 大阪発元気ダッシュ!DOYAH(BS2)
- 週刊トラトラタイガース(読売テレビ)
- ちちんぷいぷい(毎日放送)
- きもちぃ!(テレビ東京系)
- メンB(日本テレビ系)
- 開運コメディ 今日も大吉!パンパンパン(2004年 朝日放送)