森安輝正

これはこのページの過去の版です。目蒲東急之介 (会話 | 投稿記録) による 2010年2月18日 (木) 18:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

森安 輝正(もりやす てるまさ、旧名及び現名:菅沼 輝正(すがぬま てるまさ)、1959年3月15日 - )は日本中央競馬会(JRA)の元騎手、現調教助手である。千葉県出身。現役時は美浦稗田敏男厩舎森安弘昭厩舎に所属。騎手引退時の身長170cm、体重53kg。血液型A型。

来歴

1979年騎手免許取得。菅沼輝正として美浦・稗田厩舎所属でデビュー。3月3日中山競馬第3競走スガケヤキで初騎乗(16頭立て4着)、4月22日東京競馬第1競走コクサイイーグルで初勝利を挙げる。稗田厩舎時代には障害競走にも騎乗。1982年東京障害特別(春)で重賞初制覇。1984年にも東京障害特別(秋)で春秋制覇。1981年には自身最多の20勝(うち障害14勝)を挙げる。1986年から森安厩舎に移籍と同時に結婚により改姓(後離婚により元に戻る)。以降1990年カブトヤマ記念ヒダカハヤトで平地重賞を制覇するも成績は低迷。2002年に騎手を引退し調教助手に転進。通算成績は1801戦112勝重賞3勝(障害274戦39勝重賞2勝)。

騎手としての実績よりも後述する、テレビ朝日の人気番組だった「さんまのナンでもダービー」での活躍がよく知られている。現在は旧姓の菅沼にもどっている。

ナリタブラリアンの主戦騎手

1993年から1995年にかけて放送されたさんまのナンでもダービーでは、放送当時に三冠馬となったナリタブライアンにあやかって命名された芦毛のポニーナリタブラリアン」(1990年生まれ)の主戦騎手として活躍。本家同様にシャドーロール(赤い物を使用、本家ブライアンは白い物)を付けた同馬は森安とのコンビで、ポニーのみならず、サラブレッドアラブ種、道産子馬、ロバ、さらには人間、自転車などとの異種混合レースを戦った。また森安の調教によって競走馬としての実力をつけていき、1995年のG1(ポニー競馬、もちろん番組独自のもの)レースでは秋・年末と連覇するなど、最強のポニーと呼ばれるまでに成長した。森安自身にとってもJRAで届かなかったGIのタイトルを獲らせてくれた馬(?)である。森安はこの活躍によりJRAがイベントとして開催するポニー競馬に呼ばれることが多くなった[1]

森安とナリタブラリアンの対戦相手には東京優駿2着馬スダホーク郷原洋司騎乗)のほか、騎手も小島太的場均加藤和宏(以上現調教師)、中館英二田中勝春四位洋文イギリスアラン・ムンロなど、現在から考えても非常に豪華なメンバーが揃っている。使用コースも特番では大井競馬場(しかもナイター)を使った時もあったが、JRA競馬場は使用できなかった。またG1レースの解説には井崎脩五郎、実況は宇野和男(当時ラジオたんぱアナウンサー)、レースリポートは鈴木淑子が努めた。

関連項目