さよならジュピター
さよならジュピター(英題:Bye-bye, Jupiter)は、1984年に公開された東宝と株式会社イオの共同製作による日本のSF映画、特撮映画。
地球に接近したブラックホールを、木星の爆発により、軌道変更させようとするプロジェクトを軸に、さまざまな人間模様を描く。人類生存のために木星破壊も辞さない技術者グループと自然保護を訴える反科学の宗教集団との対立劇に、主役とヒロインの『ロミオとジュリエット』的恋愛要素が加わり、光線銃によるアクションなども盛り込まれたが、映画作品としての評価は芳しいものではなかった。小松左京が執筆した小説版は、初期の映画の脚本を基にしたノベライズである。登場人物や地球の未来社会も綿密に描かれており、むしろこちらの方が評価されている。
あらすじ
西暦2125年、更なる宇宙進出のため、木星を新たなエネルギー源、第二の太陽として活動させる「木星太陽化計画」が進行していた。
しかし、過激な環境保護団体ジュピター教団がそれに反対して、テロを引き起こす。
そのころ太陽にブラックホールが接近しつつあることが判明し、計画は「木星爆破計画」へとシフトしていく。
製作の経緯
1977年、アメリカではSF映画『スターウォーズ』が公開され、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』のヒットも手伝って、日本ではSFブームが巻き起こる。『スターウォーズ』の日本公開は1978年となり、日本でもヒット間違いなしと言われており、この公開前に日本でも『スターウォーズ』に便乗したSF映画が各社で作られた。東宝では『惑星大戦争』、東映では『宇宙からのメッセージ』といった作品である。実は『惑星大戦争』の製作前に、東宝側から小松左京に原作提供の申し入れがあったのが、本作を製作するきっかけとなった。かねてから日本でも『2001年宇宙の旅』に匹敵する本格SF映画を作りたいと念願していた小松は、即席の便乗企画でなく、改めて本格的なSF映画をということで、東宝と合意。東宝は急遽、『惑星大戦争』を製作し、1977年12月に公開した。
以前、アニメ制作会社東京ムービーに依頼されて、小松がアニメ原作として考えていたストーリーを原案に、1977年暮れから、当時の若手SF作家を中心に集合をかけ16回に及ぶブレーン・ストーミングを行なれた。このブレーン・ストーミングに参加したメンバーは、豊田有恒、田中光二、山田正紀、野田昌宏、鏡明、伊藤典夫、井口健二、横田順彌、高千穂遥といった面々で、当時の日本SF界が総動員されたといっても過言ではなかった。また、ハードSFで知られるSF作家の石原藤夫にも声がかかり、映画に登場する天体の軌道計算という考証面で協力を行なった。軌道計算のコンピュータ・シミュレーションは、当時出始めの8ビットCPUのパソコンで行なわれ、映画の宣伝も兼ねてパソコン雑誌でも紹介された。その結果は木星の質量でブラックホールの軌道を変えたとしても、ブラックホールの影響を排除しきれず、地球の公転軌道が大きく変わってしまうというものであった。いくつかのシミュレーションがあり、条件によってなんとか人類の生存が可能な状況になるものもあった。
1979年半にシナリオの第1稿は完成。アメリカでの著作権登録も行なう。これは、第1稿が上映時間3時間を越え、外国人俳優数百人を要するというスケールの大きさから、小松がアメリカとの合作も視野に入れたためである。後に現実にアメリカの映画会社から原作を買い取りたいという申し出があったが、アメリカ人を主役とし、小松を製作には関与させないという条件で、合作ではなくアメリカ映画として製作するというものだった。そのため、小松が断ったという逸話がある。あくまで小松は日本人の手で本格SF映画が作りたかったのである。以後、4度目の改稿からは東宝の橋本幸治監督も協力して、登場人物とストーリーを刈り込み、6度の改稿の末、撮影用の台本は完成した。
映画化に先駆けて、映画の第1稿項脚本を原作としたノベライズを1980年から週刊サンケイに連載した。連載中の1981年、小松左京はこの本作製作のために、株式会社イオ(個人事務所)を設立。本作は東宝とイオの共同製作。つまり小松左京が私財を擲って製作した映画である。小松は脚本執筆のみでなく、総監督として現場の指揮も執っている。
1983年3月に撮影用台本は完成。4月に特撮、5月に本編がクランクイン、7月末にクランクアップ。編集や合成、音響制作作業を経て、完成したのは1983年10月のことである。
スタッフ
キャスト
- 本田英二:三浦友和
- マリア:ディアンヌ·ダンジェリー
- アニタ:小野みゆき
- ミリセント·ウィレム:レイチェル·ヒューゲット
- カルロス:マーク·パンソナ
- 井上博士:平田昭彦
- ムハンマド·マンスール:岡田真澄
- 地球連邦大統領:森繁久彌
- ピーター
- イルカ
- 他