海城中学校・高等学校
海城中学校・高等学校(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、Kaijo Junior & Senior High School)は、東京都新宿区大久保三丁目にある私立中学校・高等学校。中高一貫教育を行う男子校である。
| 海城中学校・高等学校 | |
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| ファイル:CIMG0924.JPG | |
| 過去の名称 |
餘力學舎 東京英華學校 海軍兵醫學校豫備校 海軍豫備校 日比谷中學校 海城學校 海城中學校 |
| 国公私立の別 | 私立学校 |
| 設置者 | 学校法人海城学園 |
| 設立年月日 | 1891年11月1日 |
| 創立記念日 | 11月1日 |
| 創立者 | 古賀喜三郎 |
| 共学・別学 | 男子校 |
| 中高一貫教育 | 併設型 |
| 課程 | 全日制 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 13540C |
| 所在地 | 〒169-0072 |
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東京都新宿区大久保三丁目6番1号 | |
| 外部リンク | 公式サイト |
概観
明治時代に海軍予備校として創設された。 かつては1学年1000名もの生徒数がいたことから、規律を維持するため非常に厳しい学校だった。最近は「フェアーな精神」 、「思いやりの心」、「民主主義を守る意思」、「明確に意思を伝える能力」を教育目標として掲げている。
建学の精神
- 国家・社会に有為な人材を育成する
教育理念
- 「新しい紳士」を育成する
沿革
経緯
1891年、佐賀藩出身の古賀喜三郎により海軍予備校として創設された。しかし、中学令により海軍予備校に併設された日比谷中学校(1899~1906年)と、その後の海城中学校(1906~1948年)が次第に主流となり、海軍予備校の跡を継ぐ海城学校(1900~1931年)が従となってくると、高等学校等へ進学するための普通の中学校に性格を変えていった。終戦直後、GHQより閉校命令が出て学校存続の危機に陥ったが、学制改革により1947年に新制海城中学校、1948年に新制海城高等学校として発足し現在に至る。
年表
- 1891年 - 海軍予備校として発足。
- 1896年 - 麹町区下弐番町(現、千代田区二番町)に分教場を設置。
- 1897年 - 麹町区八重洲町(現、千代田区丸の内)に移転。
- 1899年 - 麹町区霞関町(現、千代田区霞ヶ関)に移転。海軍予備校に併設して日比谷中学校を設置。
- 1900年 - 海軍省の要請により、海軍予備校を海城学校と改称。
- 1902年 - 海城学校・旧日比谷中学校校友会を合併し学友会が発足。
- 1906年 - 日比谷中学校閉鎖、海城中学校発足。財団法人海城学校認可。
- 1914年 - 古賀喜三郎逝去。学校葬を挙行。
- 1921年 - 海軍予備校、日比谷中学校、海城学校、海城中学校の卒業生を糾合して海原会が発足。
- 1927年 - 豊多摩郡大久保町字百人町(現在地)に移転。
- 1931年 - 財団法人海城学校を財団法人海城中学校と改称。海城学校を廃止。
- 1943年 - 保護者会が発足。
- 1944年 - 太平洋戦争激化で生徒が勤労動員に出動。
- 1947年 - 学制改革により、新制海城中学校発足。
- 1948年 - 学制改革により、新制海城高等学校発足。
- 1948年 - 保護者会を解散し、PTAが発足。
- 1951年 - 財団法人海城中学校を学校法人海城学園に組織変更。創立60周年記念式典挙行。
- 1961年 - 創立70周年記念式典挙行。
- 1971年 - 創立80周年記念式典挙行。
- 1981年 - 創立90周年記念式典挙行。祝賀会をホテルニューオータニで開催。
- 1991年 - 創立100周年記念式典挙行。祝賀会を赤坂プリンスホテルで開催。
- 1996年 - 那須高原海城中学校・高等学校を創設。
- 2001年 - 創立110周年記念式典挙行。
- 2007年 - 海城中学・高等学校後援会が発足。
- 2010年 - 次年度以降の高校募集を停止することを発表[1]。完全中高一貫制に移行する予定。
基礎データ
アクセス
- JR山手線新大久保駅より徒歩5分
- JR山手線・西武新宿線・東西線高田馬場駅より徒歩12分(戸山口からは徒歩10分)
- JR中央線大久保駅より徒歩10分
- 副都心線西早稲田駅より徒歩5分
- 大江戸線・副都心線東新宿駅より徒歩15分
創立年月日
象徴
校名
校名の『海城』とは戦艦を意味する古語。海軍省の要請により、海軍予備校を海城学校と改称した経緯がある。
校章
現在の校章は、本校教諭だった利根山光人のデザインで帆布でKaijoとSchool又はShipの頭文字をとったKSを模様化したもの。1947年から用いられる。それ以前、創立当初から55年間用いられたのは、錨にNavy Schoolの頭文字をとったNSをあしらったもので、海軍士官と間違られるほど似ていたため当時の生徒の大変な誇りでもあった。戦後、海軍が消滅したため1946年に小判型の校章に変えざるを得なかった。これは生徒からの評判が悪く、わずか1年余りで現在のものに変更にされた。
校歌
現在の校歌は、作詞は品田聖平、作曲は向出利雄で、1923年に制定された。
校旗
現在の校旗は、KSの校章をあしらったもので、1961年より用いられる。それ以前、終戦時まで用いられた校旗は、赤地に白で校章と波形が表されたもので、縁は紫の房がついた軍旗風のものだった。街頭行進の時などに用いられ、旗手は成績が首席の者がつとめた。現在は学校の資料室に保存されている。
校風
武道必修の文武両道校。高い知性と豊かな教養、フェアな精神をもつ「新しい紳士」を育成する。中学からの4年間を基礎学習の伸長と充実を図る時期と位置付け、主要科目の時間を増やし、内容の濃い学習指導をする。
制服
現在の制服は、黒の学生服に校章入りの金ボタンとなっている。
スクールカラー
スクールカラーは、海にまつわる学校だけに『青色』である。校章にも用いられる。
学校行事
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4月
5月
6月
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7月
8月
9月
10月
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11月
12月
1月
2月
3月
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主な行事
- 海の家
- 中学1年の夏休みに千葉の富浦寮で行われる、遠泳を目的とした「海の家」と呼ばれる70年以上の歴史を持つ伝統行事がある。赤い海パンをはいての伝統の長距離遠泳や自然観察を通じて団体生活を学ぶ。また挨拶の徹底などの規律が厳しいことで知られる。
- 山の家
- 高校1年生全員を対象に、湖や森林に囲まれた自然環境の中、ハイキング、オリエンテーリングなどを通じて連帯感や協調性、自然保護の大切さを学ぶ「山の家」がある。
- PA(プロジェクトアドベンチャー)
- グループで困難を解決しながら、人間関係を構築するPA(プロジェクトアドベンチャー)がある。中一春、中ニ秋(1泊2日)に高尾の森わくわくビレッジで実施される。
- 海城祭
- 文化祭である海城祭は9月に2日間行われ、毎年20000名程度を集める。
- 体育祭
- 中学生のみの体育祭は9月に、生徒会と体育祭実行委員会が中心となり実施される。
- スポーツ大会
- 高校生のみのスポーツ大会は6月に、スポーツ大会実行委員が中心となり生徒が企画・運営する。学年ごとにクラス対抗で行われる。サッカー・バスケットボール・卓球・腕相撲・駅伝などの種目がある。
- スキー教室
- 中学の希望者を対象として、スキー教室は行われる。志賀高原にて実施。
学校施設
- 運動施設
- 運動施設としては、グラウンド、アリーナ(体育館)、屋外プール、柔道場、剣道場、テニスコート2面、弓道場がある。本校の体育館は珍しくアリーナとなっている。また、グラウンドの敷地は山手線内の私立では最も広い13,000m²の広さがある。
- 特別教室
- 特別教室として視聴覚教室、音楽室、美術室、書道室、物理実験室、化学実験室、生物実験室、共同実験室、合同教室などを備える。他に図書館、講堂(450名収容)、家庭科の調理室、カウンセリングルーム、ガラス張りのカフェテリアなどもある。カフェテリアの営業はレパストに委託されている。
特色ある授業
- 社会科の総合学習
- 92年からスタートした社会科の総合学習の授業は、中学1年から3年までレポート作成にあけくれることで有名。会社や公的機関などへの取材が必須となっており、中学3年では原稿用紙30~50枚の卒業論文が課される。教員がきめ細かく指導し、「社会に出た時に通用するスキルを養う」ことが目標となっている。詳しくは、こちらを参照。
- 武道(剣道・柔道)
- 海軍予備校としての歴史を持つだけに中学1年から高校2年まで体育で武道は必修。剣道と柔道から選択する。共に有段者の教員が指導する。
部活動・同好会
主な戦績
印のある部は現在廃部又は休部中である。
- 新聞部* - 毎日新聞社賞・朝日新聞社賞受賞
- 端艇部* - 対外試合は原則禁止だったが、自他共に認める都下最強校だった。
- 相撲部* - 全関東学生相撲大会優勝、武狭世界関東学生相撲大会優勝、明大主催全関東学生相撲大会優勝、明大主催御即位記念学生記念相撲大会優勝、全関東連盟大会優勝
- 写真部 - 東京都私立学校写真コンクール会長賞受賞、全日本写真コンクール入選
- 美術部 - 全日本年賀状版画コンクール郵政大臣賞・日本版画協会会長賞受賞、全日本学生美術展推奨(最高賞)受賞、毎日新聞コンクール最高賞受賞
- 将棋部 - 全国高等学校将棋竜王戦東京都代表
- 柔道部 - 関東大会ベスト4
- 剣道部 - 都大会ベスト8
- 陸上競技部 - 全国大会出場(棒高跳び・走り高跳び・400mハードル)、関東大会出場(走り高跳び・砲丸投げ、110mハードル)
- 硬式野球部 - 全国高等学校野球選手権東京大会ベスト4
- バスケット部 - 都大会ベスト8、関東大会出場
- サッカー部 - 関東高等学校選手権大会東京都代表、東日本高等学校選手権大会ベスト8(東京都代表)、都大会準優勝
- ラグビー部 - 都大会ベスト16
- バドミントン部 - 都大会ベスト8
- アメリカンフットボール部 - 都大会ベスト8
- 水泳部 - インターハイ出場
天野賞
学年末に、成績優秀者に授与される天野賞は、天野敬一第6代理事長から寄贈された100万円を基金として設立された。天野は明治39年、日比谷中学校閉鎖の危機に創立者古賀喜三郎を助け、財団法人を組織させ、以後引き続き理事を勤め、昭和23年から41年まで理事長となり、60年の長きにわたって本校の発展に貢献した。
進路
昭和40年代前半頃までは、大学へ進学せず就職する生徒の比率の方が高かった。 その後、都立高校の滑り止めとしての地位を獲得してからは徐々に進学校化し、更に平成に入ってからは現在とほぼ同様の中高一貫校体制を築いた。 現在では東京大学、一橋大学、東京工業大学を始めとする国公立大学、早稲田大学、慶應義塾大学などの私立大学への合格者を数多く出している。
姉妹校
学園関係者と組織
関連団体
- 海原会 - 海城学園の卒業生による同窓組織。現会員は約18,000人。
- 海城中学・高等学校PTA - 会員資格は、在校生の父母と教職員。
- 海城中学・高等学校後援会 - 2007年発足した。会員資格は、在校生の父母と教職員、教職員OB、卒業生、卒業生の父母、学校理念に賛同する個人と法人。
学園関係者一覧
- 海城中学校・高等学校の人物一覧を参照。
関連書籍
脚注
- ^ 生徒募集変更のお知らせ(PDFファイル)