松下政経塾

松下幸之助が設立した政治塾

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公益財団法人松下政経塾(まつしたせいけいじゅく、The Matsushita Institute of Government and Management)は、松下電器産業(現在のパナソニック)の創業者である松下幸之助によって、1979年昭和54年)に設立された政治である。これまでに、国会議員地方首長地方議員などの政治家を中心に、経営者大学教員マスコミ関係者など、各界に多数の人材を輩出している。

公益財団法人松下政経塾
The Matsushita Institute of Government and Management
正門の様子
正門の様子
創立者 松下幸之助
団体種類 公益財団法人文部科学省所管)
設立 1979年6月21日
所在地 神奈川県茅ヶ崎市汐見台5番地25号
法人番号 2021005005451 ウィキデータを編集
主要人物 理事長 佐野尚見
活動地域 日本の旗 日本
主眼 21世紀理想の日本を実現する
活動内容 諸理念・方策の探求と、それを推進していく人材の育成
活動手段 政治経済活動
ウェブサイト http://www.mskj.or.jp
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概要

実業家として成功を収めた松下幸之助がその晩年に、次代の国家指導者を育成すべく70億円もの私費を投じて神奈川県茅ヶ崎市に設立した公益財団法人である。現在は幸之助の遺産利子や運用益を財源として運営されている。なお幕末に多くの指導者を輩出した私塾松下村塾を連想させる名前であるが、こちらは設立者である松下幸之助の姓に因んだものであり、松下村塾との関連性はない。

在学中または就職中でない22歳以上35歳以下の青年[1]、所定の選考に合格した者のみが入塾を認められる。入塾後は塾内ので集団生活を送りながら、4年間[2]2010年入学者までは3年間)に渡り研修や実践活動を行っていくことになる。在籍中は毎月20万円の「研修資金」が給付されるほか、各自の活動計画に基づいた「活動資金」が別途支給される。

研修カリキュラムは政治学経済学財政学などの専門的なものから、茶道書道坐禅、伊勢神宮参拝など日本の伝統に関する教育、さらには自衛隊体験入隊・武道・毎朝3kmのジョギング・100km強歩大会といった体育会系的なものまで幅広く用意されている。中にはパナソニック工場での製造作業や同店舗での営業販売など、松下電器産業に関係するものも見られる。

財界人である松下幸之助の意向で設立されたこともあり、結果としては、卒塾生の多くが新保守主義新自由主義志向を示す傾向にある。(政経塾在塾中に政治思想や立場に置いて特定の指導がされたり、一定の思想が排除されるということはない。)かつて多党制の時代には、民社党、日本社会党に所属する地方議員もおり、現在でも公明党に所属する地方議員がいる。卒塾生の43%が政治の道に進んでおり[3]、現職の政治家である卒塾生は2010年8月30日の時点で衆議院議員31名・参議院議員7名・地方首長10名・地方議員24名の計72名に上る[4]。彼らの多くは二大政党である民主党自民党のいずれかに属しているが、現在では特に中道左派社会自由主義政党である民主党に多くの卒塾生が所属しており、同党内では右派に位置する勢力として、党のスタンスに一定の影響を及ぼしている。

入塾から卒塾までの流れ

入塾まで

現在では、入塾年度の前年7月頃に願書を提出した後、夏から秋にかけて選考が行われる。選考のスタイルは年度によって多少の修正がなされる。現在の選考は小論文・教養試験・論述試験などの筆記試験に加え、集団討論・個人面接などの口頭試験、TOEICによる語学試験、さらには体力測定や適性検査なども科される[5]

募集定員の定めはないが、例年200名前後の出願に対し合格者は10名未満と非常に狭き門になっている[6]。また男女共学であるが、女性は卒塾生の8人に1人程度と少なく、現在の在塾生(29期・30期・31期)は全員が男性である[7]

入塾金や授業料を納める必要はなく、逆に前述した研修資金・活動資金の給付を受けられるなど、金銭面での待遇は優れている。他方で、研修と並行して職業に就くことは許されず、卒塾時の就職斡旋等も一切行われていない[8]ため、入塾にあたっては将来のリスクを引き受ける覚悟が必要になる。また入寮が義務付けられているため、家族と同居している場合には長期間の別居を余儀なくされることになる。

在塾中

入塾後2年間(2010年入学者までは1年半)は「基礎課程」と位置づけられ、前述したカリキュラムに従った研修が中心となる。その後の2年間(2010年入学者までは1年半)は「実践課程」として、各塾生が自身のテーマに基づいた政治活動や執筆活動を展開していく。

在塾中は原則として寮での集団生活を義務付けられるが、実践課程の期間で活動の本拠を寮外に置く必要がある場合は外部での生活も認められる。寮費は月4,500円で、食事代は別途負担。土曜日は自由研修日とされ、日曜日祝祭日のほか、ゴールデンウィーク夏休み年末年始に数日間の休暇が与えられる。ただし休暇中に研修が入ることもある。

毎年9月3月には審査会が設けられ、各自の活動に対する評価が下される。この評価に基づいて活動資金が増減額されるほか、評価が著しく低い場合には退塾を命じられる場合もある。

なお設立当初は松下電器産業から出向してきた職員が新入社員研修と同じ方法で指導に当たっていたが、「塾生を管理するばかりで自主的な活動ができない」との反発が生じ、中川暢三(1期生)など自主退塾する者が現れた。そのため民社党同盟系の研修機関「富士政治大学校」を参考に研修内容の見直しが行われ、塾生の自主的活動を重視する現在のカリキュラムが導入された。

卒塾とその後

最終年度末に設けられる修了審査会で修了が認められれば卒塾となる。

2010年5月7日時点での卒塾生242名の進路は以下の通りである[9]

政治分野 経済分野 研究・マスコミ分野 その他
104名 43.0% 68名 28.1% 40名 16.5% 30名 12.4%
現職政治家 70名 28.9% 役員・会社員 38名 15.7% シンクタンク等 16名 6.6%
政治活動中 26名 10.7% 経営者 30名 12.4% 教職員 15名 6.2%
政策スタッフ 8名 3.3% マスコミ 9名 3.7%

また、かつて松下政経塾で行われた「地域から日本を変える運動(ちにか運動)」の一環として、卒塾生らによって各地に地域政経塾が開塾されている。ただしこれらは松下政経塾の地方支部と言う位置づけではないため、大半の政治塾同様に研修資金等の給付はなく、逆に入塾料と会費を支払わなければならない。現在は千葉県岡山県愛媛県に地域政経塾が置かれている。

卒塾生の政界進出

国政

当選者数の推移

卒塾生から53名の国会議員を輩出しており、1986年第38回総選挙逢沢一郎(1期生)が当選して以来、国会から卒塾生の議席が無くなったことは一度もない。

衆議院議員総選挙参議院議員通常選挙ごとの党派別卒塾生当選者数を以下に掲載する。

  • 衆議院議員総選挙
回次 執行年 合計 自民党
第38回 1986年 1 1
第39回 1990年 1 1
回次 執行年 合計 自民党 日本新党 新生党 さきがけ 諸派・無所属
第40回 1993年 15 2 7 1 1 4
回次 執行年 合計 自民党 新進党 旧民主党 諸派・無所属
第41回 1996年 12 3 7 2 0
回次 執行年 合計 自民党 民主党 諸派・無所属
第42回 2000年 19 6 12 1
第43回 2003年 25 7 18 0
第44回 2005年 28 13 15 0
第45回 2009年 31 6 25 0
  • 参議院議員通常選挙
回次 執行年 合計 自民党 民主党 諸派・無所属
第18回 1998年 1 0 0 1
第19回 2001年 1 1 0 0
第20回 2004年 1 0 1 0
第21回 2007年 3 1 2 0
第22回 2010年 5 4 1 0

1期生の逢沢が早々と初当選を飾ったものの、それからしばらくは後に続く当選者が現れなかった。全体的に右派色が強い傾向にある卒塾生にとって、55年体制下で思想的に距離が近い政党は基本的に自民党か民社党に限られていた。しかし、自民党は現在ほど候補者公募に熱心でなかったため後ろ盾のない卒塾生が公認を得ることは難しく、また民社党は多くの候補者を立てるだけの力がなかったため、当時は卒塾生の受け皿になる政党がない状態が続いていたのである。世襲候補として当然に自民党の公認を得られた逢沢はむしろ例外的な存在であった。1990年の第39回総選挙では逢沢に続けと数名の卒塾生が出馬したものの、その大半は政党の公認を得られず、結局逢沢以外の全員が落選している。

しかし政界再編期に入ると日本新党・新生党・新党さきがけと言った保守系新党が卒塾生の受け皿として機能するようになり、1993年の第40回総選挙で卒塾生の国会議員が大量に誕生することとなった。特に大量の新人候補を擁立した日本新党から出馬して当選するケースが目立った。

その後、卒塾生らによる新党構想の一環として「志士の会」が結成されるなどしたものの結局頓挫し、卒塾生の大半は新進党から民友連を経るコースで民主党に合流していった。さきがけなどを経て旧民主党の結成に加わったのは前原誠司玄葉光一郎など少数に留まっている。また高市早苗伊藤達也など、非自民政権構想に見切りをつけて自民党に移籍する議員も見られた。

同塾出身者同士が公選で激突したのは1996年(平成8年)衆院東京都第3区松原仁宇佐美登、2005年(平成17年)・2009年(平成21年)衆院京都府第2区前原誠司山本朋広などが有名。

内閣への参加

1992年平成4年)宮沢改造内閣で1期生逢沢一郎が初の政務次官(逢沢は初の国会議員であり、また幸之助が多額の寄付をして松下記念図書館寄贈した慶應義塾大学工学部出身)、2002年(平成14年)の小泉改造内閣において5期生伊藤達也および高市早苗が初の副大臣、2004年(平成16年)の第2次小泉改造内閣において伊藤が金融政策担当の内閣府特命担当大臣として同塾出身者で初入閣し、2005年(平成17年)には第8期生の前原誠司民主党代表に就任、初の野党第一党の党首および初の総理大臣候補となっている。2009年(平成21年)の鳩山内閣では、国土交通大臣に就任した前原や総務大臣の原口一博などを中心に計8人の出身者が大臣・副大臣・政務官などで入閣。2010年(平成22年)の菅政権では、留任の前原・原口に加え、玄葉光一郎が政調会長、樽床伸二が国対委員長、福山哲郎が官房副長官、野田佳彦が財務大臣など、政権中枢の要職を政経塾出身者が占めている。

主な出身者

現職政治家

衆議院議員

自由民主党
民主党

参議院議員

自由民主党
民主党

地方首長

都道府県議会議員

市区町村議会議員

その他

脚注

外部リンク

座標: 北緯35度19分25秒 東経139度26分20.9秒 / 北緯35.32361度 東経139.439139度 / 35.32361; 139.439139